40.Relief.(14)
兄の上着に文字でも書ければ手っ取り早かったんだが、残念ながらペンはおろかそう言った道具を持ち合わせていない。
だからひとまず僕らは「自然の中にある不自然」を使って、人為的な環境を作り上げて救助を要請する作戦に出た。
上着を旗に見立てることで、本来人が居ないであろう無人島には不釣り合いな光景を作る。これにより救助がよりスムーズになるだろうと言う判断から、森の外周を黒木さんとゆっくり歩いて適度に太く長い枝……と言うか、棒を探して回った。
水だけは余裕があるせいか、惜しげも無く水分を補給しつつ炎天下を歩く僕らの間に会話はない。このままでも一向に構わないのだが、昼間の兄の発言が頭をぐるぐる回るせいでどうにも心が落ち着かない。
黒木さんのことは好きだよ。そりゃそうさ、こんな可愛い女の子とお近づきになれるなんて数ヶ月前の僕じゃ考えられなかったんだから、羨ましいだろと言って回りたいくらいに喜んでいる自分がいるさ。
けれど、多分それは恋とか愛とは違う好きなんだろう。嫌いではあるが、決して離れては欲しくない兄への好感度と同じく、これはラブでなくライクなのだ。
そう言う意味じゃ黒木さんには申し訳ない気持ちで一杯だ。こんな男と一緒で、さらには好きでもない無理やり付き合わされようとしてる彼女には頭が上がらない。
だからだろう、そんな謝意を込めながら声をかけたのは。
「黒木さんは無事に帰れたら、まず何をしたい?」
白百合さんとの会話でもあった内容だ、少なくとも良い天気だね、なんてありきたりな問いを投げかけるよりも良いだろう。
適当な棒を拾って、欲して居た長さじゃないことからそれを捨てた黒木さんは言う。
「お風呂に、入りたい」
「あー……」
そりゃそうだ。今は男女交代で海を使って体を洗うだけに留めている。それも日が暮れる寸前を使って、簡易的に。
そりゃ適度な温水で体を休めたくなるよね、何より女の子なんだから当然の欲求だ。
風呂は命の洗濯とはよく言ったものだ、こんな状況じゃそれは命を悪戯に擦り減らすだけなんだから。
「僕もお風呂入りたいなー……」
「うん、お風呂大好きだから」
「おっ、良いね。風呂上がりにコーヒー牛乳とか煽っちゃうタチ?」
「いつの時代なんだろう……」
ようやく、僕への信頼度と同じくらい薄くだが笑ってくれた。ボケた甲斐があるってもんだ。
「お風呂上がりは何も飲まないよ、私……」
「そうなんだ。ちなみに風呂上がりの牛乳とか、冷たい飲み物は体がほとんど吸収出来ないらしいよ」
「そうなの?」
「うん、むしろむくみの原因……要するに太るんだって」
昭和三十年代、テレビと洗濯機と冷蔵庫は三種の神器と呼ばれる代物だった。銭湯はその冷蔵庫を使って牛乳なんかを取り入れたことによって一躍繁盛したらしいが、その裏ではダイエットのNGワード、太るを加速させる行為だった。
そんな加速装置は今尚どこの銭湯でも見受けられるものとなったが、女の子にとって実は避けねばならない物だったりする。
「詳しいんだね、藍原くん」
「うーん、学業じゃ兄さんに勝てないし……かと言って勉強もする気にならないから、僕が気になったことを知ろうとしたらこうなった、のかな?」
ことトリビアと雑学は料理に続いて兄を肉迫出来る唯一の取り柄なのだろうが、きっとこの分野でも敵うことはない。
兄は全てにおいて僕の前にいる、例えこんな雑学を言ったとしても「おー、知ってる知ってる!」と返されておしまいだ。
産まれながらの勝利者、産まれてこの方必敗だけがもたらされる僕とじゃ天と地程の開きがある。どうしようもなく、途方も無い距離。
それを埋めようとしない僕も僕なんだけどね……。
「他には何か知らないの?」
「他かぁ、例えば……動物は好き?」
「好き」
何故だろう、動物「が」好きなのは知ってるはずなのにドキッとした自分がいる。
「じゃあ、パンダの食費とかは知ってるかな」
良い具合の棒を見つけ、拾い上げつつ問う。答えはノー、首を横に振られた。
「約一万円。それも1日でね。笹だけで良いと思われがちだけど、あいつらしっかり肉とか食べるからね……育て続けるにはそれなりの経済力が動物園側には求められるそうだよ」
「うわぁ、結構高いんだね……」
時に黒木さんや、自己紹介した頃とはテンションと言うか性格違くない?
まるで初めて出会った船内でのテンションだよ?
「高いで言えば、宇宙服とかね。あれ諸々含めて一着一二億も掛かってるらしいよ」
「凄いもの着てるんだね、宇宙飛行士って……」
逆に言えば、それだけの物を着られる人間でなければ務まらない仕事でもある。僕じゃ無理だが、兄さんならきっとなり兼ねない。あの人、本当出来ないことがないんじゃないかな。
「あとは──」
それから、適度な長さと太さのある枝を拾い、兄の上着を使って旗を立て終えてからも僕の雑学講座は続いた。
そう言えば……絆も物知りだったな。多分そう言う限定的な知識については、夜通し語り合える唯一の人材になると思う。
いつしか旗を背に座り込み、左隣で新品の玩具を与えられた子供のように目を輝かせる黒木さんと、ついつい話し込んでしまった。どれだけの時間をそれに費やしただろうか、気づけば夕方を知らせる程太陽が落ちかけていた。
茜色に染まった僕らは、それでも語らった。一方的だけれど、黒木さんは毎度反応を示して返答してくれて。
「っ!?」
廃墟で幽霊に出くわしてしまったかのような、血の気の失せた顔で突然息を呑んだ。あー、何となく察しがついたぞ。黒木さんの目線、そして彼女が怯えるだけの何かが僕の背後にはいる。
「ごめん、つい話し込んじゃった。そろそろ戻るから勘弁してよ」
首を向けず、言葉だけを差し出す。先に立ち上がって、黒木さんに手を差し伸べて。
「詰まらない話しを延々としてごめんね、帰ろうか」
無言で頷いて、その手を取り立ち上がる黒木さんはそのまま小走りで僕らの下を立ち去ってしまった。
目線で追いかけた先には分かりやすい程不機嫌な仏頂面で立ち尽くす、篠崎絆が居た。
案の定だったな。
「M24 SWSさえあれば……」
その狙撃銃で一体何を狙い撃つんだい?
僕のハートか?
悪いけど絆、そんな鉛の愛を受け止められる程僕は頑丈じゃないからね。いや、僕じゃなくても止められないと思うけど。
こんなの山本リンダじゃなくても、もうどうにも止まらないよ。
「おい」
「はい」
「『はい』は一回」
「一回しか言ってねぇわ。それで、どうしたの?」
「しら……しら……シラミが呼んでたわ」
「白百合さんが?」
体液や血液を吸う二〜三mmしかない寄生虫に関してはアウトオブ眼中である。絆がまともに人の名前読んでるの聞いたことないな、と思ったところで無駄なこと。だって言う気がそもそもないんだろうから打つ手なしだ。
「何だろう……って、帰りが遅いからか。協調性に欠けることしちゃったなぁ」
「…………」
「痛い、痛いよ絆。何で執拗に右手の甲を殴るのさ」
「やばっ、目が合った……」
「えっ、何? まさか惚れた? 目と目が逢った瞬間好きだと気付いた?」
「ウンコ投げられる……」
「ゴリラかよ」
と言うか、女の子がそんな気軽にウンコとか言わないの。
「あぁ言う女子が一番怖いわね」
何のことなのかすぐに理解するには時間を要したが、それでも黒木さんを指していることには気づけた。
船へ戻りながら後ろを付いてくる小さな影に声をかける。
「絆にも怖いものとかあるんだね、何か安心した」
「これでも、か弱い女の子だからな。怖い物だらけよ」
「手強いの間違いじゃないかな……」
か細い体ではあるが、およそ絆をか弱いと感じたことはない。物怖じしないストレートな性格はどこへ出しても猛々しく生きていけそうな、言うなればライオンみたいな子だと思うから。
「あぁ言う奴の独占力は計り知れない。意識的な好意と無意識的な悪意を同時に伴う、理性の化け物よ」
それはここまでの時間のことを言っているのだろうか。だとすればこれは独占なんて道徳に違反するものじゃない、僕が縛ってしまった上で確立した事象だし。
「僕が引き止めちゃっただけだよ。独占なんて大げさ過ぎる」
「そう思ってるだけで充分あいつの思うツボだってのよ」
「……絆、なんか怒ってる?」
何故だか分からない。それでも僕は彼女が今普通の状態じゃないことに気が回った。
普段絆は僕なんかのために多感なくらい絡みつくのだが、今日に至ってはどこか様子がおかしい。
詳しくは浮かばないし、これを言葉にするにはどうすれば良いのかなんて貧相なボキャブラリーしか持ち得ない僕の頭では形容出来ないけれど。
それでもやっぱり、今日の絆はどこかおかしい。
「チッ……キレてないわよ。頭はキレてるけど」
彼女にしては珍しく早歩きで僕より先に船を目指し始め、取り残された僕は違和感だけを胸に秘めて。
「……思春期なのかな」
多分見当違いな解答に行き着いていた。
その後は特筆すべきこともない、ただ漠然とした時間だけが過ぎて行った。救助もなく、言葉もなく、僕らはただいつか訪れる過酷へと──小さく、だけど確実に進んで行く。




