27.Relief.(1)
藍原 続は天才である。
出来ないことを探す方がよっぽど楽な兄のスペックは正直、常軌を逸している。
生後一歳ですでに言葉を覚え始め、その頃からの記憶を忘れることなく保持する頭脳は、勉学に於いてもその力を遺憾なく発揮している。
僕が今の生活をしている中でも、およそ兄さんを超えられる逸材は存在し得ない。運動もまた例外でなく、球技に必要なスキルをプロに匹敵するまで伸ばし、走力に関しては言うまでもない。全力で走れば一〇〇mを最高一〇秒手前までの速度で走り抜ける。
何よりそれらを鼻にかけず謙遜する始末、笑顔の似合う青少年である彼は、たちまちクラス……いや、学校の中心人物とされて、神聖視さえしていたと聞いている。
そんな数ある伝説を、身を以て教え込まれたその真実は飽くことなく何度も僕を苛み続け、蝕み、痛みを伴った。
「お前は本当に情けない」
文武両道はもっともだし、親として子供にその精神を求めるのは子供ながらに理解出来た。けれど、僕の父は今にして思えばだいぶ厳しかった。
とかく藍原繋と藍原続……兄さんと僕を比較したがり、競わせては敗北する僕を強く非難する。一度たりとも勝てた試しのない僕ではあるが、特段やりたくもないことを無理やり押し付けられて躍起になって勝とうとは思えなかった。
勉学も運動もIQテストも僕には実に興味をそそらない物ごとの数々であり、あらゆる才能に恵まれた兄さんの努力の陰でひっそりとそんなやりたくもないことを父親に強制され続けていた。
おかげで当時一二歳だった僕は性格が捻くれてしまい、触れる物を皆傷つけてしまうような人間性を得てしまう。その結果、スポーツ万能成績優秀で人気者の兄さんと違い友達と呼べる人を作れずに毎日を過ごしていた。
寂しくはなかった。だけど、楽しくもなかった。
「それでも藍原の名を持つ者か」
知ったことではない。藍原がどうとかなんて関係ない、僕は僕であり、この足も腕も心も人生も僕のものだ。
だから父親に何を言われようと傷ついた試しはなかった。言わせておけば良い、僕はそれで良かった。
「父上、繋は言うほど悪くはありません。今日はたまたま調子が悪かっただけです」
そんな僕が唯一気に入らなかったのは、兄の同情だった。
競わせ、戦わせた後は呆気なく必敗する僕を罵倒する父に抗議を行うこの一連の流れが毎度僕の心をざわつかせる。
湖面に滴る雫のように波紋を広げ、次々と荒げて行く兄さんが僕は嫌いだった。父親ではなく、負けた僕を勝った兄さんが助けようとする姿が、まるでそうすることすら自分のためみたいに手を差し伸べる。
悪く言えば、勝ちによる余裕を見せられているようで、ひどく心がざわつく。
負けて父親に何を言われたって良い、だけど負けて悔しい僕にトドメを刺し続ける兄さんが大嫌いで。
だけど唯一僕と対等になって話そうとする姿勢が嬉しくて好きだったんだ。
好き嫌いの同居した同じ血筋の兄。僕は彼が嫌いで好きだった。
「繋、お前練習ではあんなに凄いのにどうして本番でトチるんだ?」
今日も今日とて父のお説教を終えて助けられた後、同じ部屋の二段ベッド……その上から声が落ちる。
陽は落ちて、子供には不釣り合いな程広い部屋で就寝時間を迎えた僕らはいつもここで会話を行う。
「うるさい」
僕から言わせれば練習も本番も同じ気持ちと姿勢で立ち向かっている。今日のテストだって同じだ、勉強させられた範囲は当然あったし答案を埋めた。それなのに僕は呆気なく兄さんに負けた。
僕の全力と兄さんの全力とでは、その容量も要領も違う。
「うるさいって……お前、最近オレに厳しいな、兄ちゃん悲しいぞ」
「実際うるさいから言ってるだけだし。何言ってもどうせ言い訳にしかならないから、もう良いってば」
「良くないぞ、それじゃいつまで経っても父上を黙らせることは出来ないぜ?」
「どうでも良い、うざい」
「グサッと来た、うるさいは一〇〇歩譲って容認するとして、うざいは兄ちゃん泣けちゃう」
今にして思えば、兄さんは同情していたのではなく、純粋に僕なんかを好きでいてくれていたんだと思う。ブラコンを疑うくらい僕に構うし、競わされてる時とか終始笑顔だったし。
だけど子供だった僕にはその距離感が堪らなく不快だった、だから自然と口が悪くなっていて、父が僕にするように強く当たることが多かった時代だ。
それも信頼の裏返しであり、言い返さないのを良いことに僕はその態度を最後まで崩すことはなかった。酷い弟だったと思う。
「時に繋、お前夢とかあるか?」
「考えたこともない」
「マジかよ。オレはあるぞ、聞いて聞いて」
「……何?」
「旦那さん!」
聞くんじゃなかったと思ったね。それ女の子が将来の夢はお嫁さんとか言って本心をはぐらかすタイプの答えだからね。
なんて、この時の僕は思ってもみなかったから、素直に驚いてた。
「結婚したいの?」
「正確に言えば、自分で相手を選びたかったな。ほら、オレたちの結婚相手って父上が決めてるじゃない?」
三つ上の兄は、もう既に将来の相手を定められていた。今後僕も決められるとも兄は言うが、まだ先の話しだし嫁なんて考える程この頃は大人びていない。
兄さんはこまっしゃくれていた。僕くらいの時には既に結婚相手を決められて、否応ないのにイエスと答える程、彼は未来を見据えていたから。
「実は来週な、その子との顔合わせを含めたパーティーがある」
「……へぇ」
また誰かの家にお呼ばれしてのパーティーか。僕には愛想がないのと、父曰く「表に出すには恥ずかしい」とのことで、毎度留守番だ。
今回もそうだろうとタカを括っていたから、兄さんの次に続く言葉に。
「父上を説得して、お前も行ける権利を獲得した」
「…………」
「…………?」
「…………(΄◉◞౪◟◉`)!?」
「それ、どんな感情だ……?」
声にならない驚愕を露わにしてしまった。
僕がそんな舞台に立つとは思っていなかったし、顔見りがいるわけでもない。ましてやまともに口を聞ける気概すら持ち合わせていない僕が、そんな場に立つなんて思いも寄らなかったからだ。
「何で」
「弟の将来を心配する兄の計らいだと思ってさ、諦めてくれや」
「うぜー……」
あっ、今のは心底そう思ったよ。勝てない兄さんへの嫌がらせとかでなく、本気で余計なことを、と思った。
「良い経験になると思うぞ、大勢の人と会う機会なんてオレらじゃ滅多に訪れない。見識を広める意味でも、出てみないか? お前の判断次第では、取り下げなきゃならないしさ」
だからいきなり将来のことなんて聞いて来たのか。それはつまり、友達でも作ってそういうことを考えたり今後の自分のためにもとか、そう言うことなのだろう。
友達なんて出来なかったこの一二年と言う月日を過ごした僕に、兄としかロクに話すことも出来ない奴にとって、そのハードルは些か高過ぎる。断るのは簡単だ、今までなんて誘われもしなかったんだし、父も安堵することだろう。
だけど、と思う。
僕を嫌いなあの父を納得させてまでくれたチャンスを、兄は用意してくれた。
一八歳を迎えた頃には、兄はこの家を去るだろう。これから先も兄が側にいてくれ続けるかと言えばそうじゃない。
そう遠くない未来、僕は孤立する。
その先の自分を、そこにある姿を想像出来なかった。
オマケラジオは後日更新予定




