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04 変化

 家に荷物を置くと、制服を着替えることもなく嗣平はまた家を出た。

 何の変哲もない自転車をギコギコさせて向かうのは、何があるわけでもない隣の市。結構なかっぺとみやこ落ち組の集まり。幸せな解釈をすれば、豊富な自然と都市に負け劣らない住み心地の良さが、この辺の売りということになる。

 自転車をこいで最初に気が付くのは、何もないこと。田んぼに田んぼ。たまに畑が姿を見せるがまた田んぼ。

 人々の暮らしがまばらながらも見え始めるのが10分ほどこいだあたりで、このあたりに「村」と「市」の境界を見つけたような気になって、いつも嗣平はその境界線を探し始める。

 前は一本前の道がそうだと思ったし、今度は一本先の砂利道がそうなのではないかとにらむ。そんな調子で暇つぶしをするのが日常となって、もう一年近くになった。

 さらに10分ほど市街地に向かって走り、時折曲がり、たまに信号に停止させられて、坂をあがると、国民の祝日には国旗が掲揚されている家の前に出ることが出来る。

 到着した家の安っぽい表札の「高杉」の文字が嗣平を迎えてくれた。

 嗣平は自転車を原付の横に置く。カギをジャケットのポケットに入れようとした時、あまり覚えのない感触に気が付いた。

 そして、思い出した。

「あ、渡しそびれたんだっけか」

 小山内が坪下の机の上に忘れたハンカチは、ポケットに入れっぱなしだった。

 明日、渡すときの言葉を考えなておかないと。

 そう思いながら、嗣平はチャイムを押すこともなく玄関の扉を開けた。

「おじゃましまーす」

 我が家のようにスムーズに靴を脱ぐ。玄関わきの階段から二階へ上がろうと進むと、保と階段で鉢合わせした。

「あれ? 保いたんだ」

「おう。麦茶持ってくるから上行ってろよ」

「サンキュー」

 和也の部屋に入ると、キャトルミューティレーションでもされたように、あちこちに何かの部品がげっそりと積み重なっていた。

 そして、臭い。シンナー臭が締め切った部屋の中に充満している。微かにカレー集もしている。

「くせえええええ! 窓開けろ窓!」

 窓を開けようとする嗣平を、和也が阻止した。

「だめだめだめ! 今開けるとムラができるから!」

 しょうがないから近くの徳用30個入りマスクの箱から一つ抜き取り、嗣平は開いている場所に腰を落ち着ける。

「で、今度は何作ってるわけ?」

「内緒」

 階段を昇ってくる足音がして、戸が開いた。

 保のでかい肩幅が姿を見せた。

「ほら、持ってきたぞ麦茶」


 * * *


 和也は時折妙なものを作る。

 こないだは「歩く食器洗浄機」なるものを作っていた。

 動き出して1分40秒で暴走し、その後、うんともすんとも言わなくなった。

 その経験から、今度もどうせ使い物にならない物だろうと嗣平は思い、放っておくことにした。

 保に聞いてみたかったことがある。

「保さー。転校生のことどう思う?」

 なぜか和也が口をはさむ。

「あー! オレはねオレはねやっぱり小山内さんは」

「お前に聞いてねえ!」

「ちぇー」

 和也は作業に戻る。

「でどう思う?」

 保はテレビゲームに顔を向けたまま、

「まあ、珍しいよなこの時期に転校なんて。しかもうちの学校公立だし、頭もそこまでよくないところだしな。でも嗣平、お前のほうが詳しいって話だろ?」

「いや、別に。学校案内しろって坪下に言われてその通りにしただけだけだぞ」

「彼女と町でデートしたんだろ」

「は?」

「そうそう! 部室から飛び出して、小山内さんのとこにダッシュしてさー!」

 和也が口をはさむ。嗣平が睨みつけると、小悪魔のようにニヤリと笑った。意外な反応だったけれど、こいつはなんだか憎めないからたちが悪い。

 嗣平はというと、正直焦った。

「お、お前、アレは違うっての」

 そう言ったあと、事情を説明。ハンカチを忘れてたこと。そして街で見かけた話。男のことも話した。

「だから、多分小山内さんのコレなんじゃないかな」

 小指を立てる。別段落ち込んだ様子もなく、淡々と嗣平は話した。

「へえー。ほんとに隅におけねえでやんの」と、和也。

「あの人姉妹居るんだ」と、保。

「あーあと、店長の話によると」

 嗣平はガチャガチャの話をした。

 それが終わると、今度は、和也と保が小山内について話すのを嗣平は黙って聞いた。芸能人の誰それに似てるとか、夏服なのは多分汗っかきだからとか、くだらない話は何故か全く関係ないほうへと進んでいった。

 退屈になってきた嗣平が週刊漫画誌に手を伸ばすと、和也が、

「兄弟っていいもん?」

 嗣平には2つ下の妹がいる。保には3つ上の姉がいる。和也は一人っ子。

「いや面倒くさいよ」と嗣平。

「そうそう。男兄弟ならまだしも、女はね」と保。

「なんかぜいたくだなあ」と和也がこぼしたのが引き金となった。

 今度は、嗣平と保の二人が苦労話を始める。しかし、和也にとってはそれでも楽しそうに話す二人がなんとなく羨ましかった。

 しかし、それも最初のうちだけ。エスカレートしていく不幸自慢は笑えない領域まで発展していき、

「あーもうそういう苦労した自慢はもういいから!」

 和也が珍しく音を上げ、話題を打ち切った。


 * * * 


 なんでこうなったんだっけ?

 嗣平は千鳥足で自転車を押してそんなことを考えた。空はもう真っ暗で、時々照らしてくる街灯に、むしろ恐怖心をあおられる。

 街灯というのはただ一点を照らすのではなく、連なりによって暗闇を減らして事故や事件の危険を下げるためにあるべきなのであって、こんなに飛び飛びにあっても余計に闇の深度を掘り下げていっているように見えてしまう。役人どものばか。嗣平は惚けた頭をぐるぐる回す。

 決して怖いわけではない。もう18だからこわくない。

 何か別のことを考えて紛らわそうとして、そうするうちに本題を思い出した。

 きっかけはそう。和也のバカのせいだった。思い出してきた。

 あいつが、変な物持ってきたんだ。


「まあ、元気だせよ! せっかくの春だ! いい出会いも、きっっっっっと、ある!」

 そう言って、チューハイと、ウイスキー、そして変な色をした飲み物が入った1リットルペットボトルを和也は持ってきた。

 TVゲームで勝負して、負けたらどれか一つを飲む。たまにこんな遊びをしてはストレスを紛らわす。

 そして、結果はいつもよりも散々なものだった。

 保の10勝2敗、和也の7勝5敗、嗣平ザコの3勝14敗、そして和也の母親の1勝0敗。

 最後に乱入してきた和也の母親はクソ強かった。

 その終わり際に一言。

「飲み干してから帰れよ! 無料ただじゃないんだからな!」

 そう言って、誰も口にしなかった変な色をした飲み物を嗣平はすべて飲み干さなければならない羽目になった。

 

 * * *


 先ほどから世界が点滅していた。

「やっばい……」

 まだ自分の家まで歩いて30分くらいはかかる。

 どこかでちょっと休みたい。そんな気持ちが湧いてきた。

 角を曲がったところに確か自販機があったはずだ。そこで何か買って、少し酔い・・を抜いて、を楽しもうか。

 嗣平は、自分で思い浮かべた洒落にすら笑う余裕がなかった。

 角を曲がると「お酒・タバコは18になってから」の看板に出くわして、嗣平は一瞬それを人だと勘違いした。よく見ると看板で、べつに向こうは動きもしない。普段なら見逃してしまうその文字も、今日は薄ら笑いを浮かべているように見える。これは役人さんがおりこうだ。ぼかあ、ちょっとびびってるぞ。

 そこからちょっと歩くと、自販機が3つほど並んでいた場所に出た。

 先客がいた。

 嗣平の心臓が跳ねた。飲酒がばれたら停学だと思って、身を電柱に隠す。制服に赤ら顔。言い訳が聞かない。

 様子をうかがう。しかし、その男はべつにこちらを気にしていないようだった。

 男は自販機を叩いて、わめいている。

 よせばいいのに、そういう人たちに声をかける類の人がいることは嗣平の疑問の内の一つだった。たいていロクなことにならない。しかし、見事にとりなす人であれば、たまらなくカッコいいとも思う。

 実際にやってみれば気持ちもわかるかもしれない。

 ジャンキーな好奇心に負けて、嗣平はその男を止めに入った。

 近くで見ると、顔がよく見えた。無精ひげに、疲れた表情。おそらく普段は髪をオールバックにしているのか、髪を後ろに流した癖がついている。男は20代後半のように嗣平には見えた。

 そして、自分を少し見下ろすくらいの身長。180センチちょいと言ったところだろうか。

 嗣平の接近に気が付いても、男はなお自販機を叩き揺らす。

「おじさん、おじさん、壊れちゃうよ」

 ようやく、ちらりと嗣平を見た。

「何だよお前。ああちょうどいいところに来た。タバコが出ねえんだよこの自販機」

 嗣平が自販機のほうを見ると、すぐに原因が分かった。タバコ購入に必要なカードが読み取られていなかったのだ。

「カード読み取らせないとだめだよ」

「カード? なんだそれ。昔はいらなかったぞ」

「買うのにいるようになったの結構前だよ。昔ってどのくらい前なの?」

 嗣平は、ランドセルを背負っていた時分には既に必要だったことを思い出した。

 おじさんは昔話を始める。その話しぶりに男を案外怖くないと嗣平は思うようになった。むしろ友達たちよりも面白いとさえ思う。

 一通り昔話と購入方法に決着がついて、その男は思いがけないことを言った。

「お願い聞いてくれる?」

 眉根を寄せて、嗣平は訝しげに問う。

「お・ね・が・い?」

「そうだ、お願いだ」

「何すか? いいですよー」

「まだ何にも言ってねえぞー。しっかりしろよ」

 おじさんと嗣平はケタケタ笑う。嗣平は全身から自分の心臓に染み入る熱を感じて、また興奮して妙なテンションになっていく。

「まあ、話はできるみたいだから大丈夫か。お願いっていうのはさ、おとしものを探してほしいんだよ」

「何の? ビニ本とか?」

 嗣平は一人でアハアハ笑う。

「まあそれも捨てがたいな。できれば洋物」

 今度は二人でギャハギャハ笑う。

 そして、おじさんは一度咳払いをして、嗣平の目を見る。

「ぶっとーーーい針なんだよ。このくらいのな」

 そう言って、手で唇の両端くらいの大きさを示す。

「目星はついてるんだけど、な。人手が欲しくてさ」

「いいすよいいすよ。お任せください」

「ホント? 悪いね」

 そして、嗣平は詳細を教わった。

 目ぼしいのは4か所。もしかしたら全部の場所で落としたかもしれないらしい。

 第一公園。第二公園跡地。爆発物騒動のあった中古車屋の裏。愛宕神社のどこか。

「4つも無理ですよー」

「全部はいかなくてもいい。時間があったらよろしくな。杉内」

 おじさんが言った4か所のルートを考えながら、手癖の悪い嗣平は自転車のベルを指で叩く。リズミカルな運動は、人の少ない葬式のような静けさの中でただひとつの音を鳴らし続けた。

 3分くらい黙って考えて、ようやくまとまった。

「じゃあ、おじさ――」

 いない。

 顔を上げておじさんのほうを見ると、足音もせずに姿が消えていた。

「なんだよ。まったく」

 そして、肝心なことを聞き忘れていたことに気が付いた。

 自分のことも教えてないし、相手のことも知らないということは――もし、そのおとしものを見つけたら、どうやって渡せばいいのだろう。

 嗣平は酔いが冷めてきた。肩を落として自転車を引いて帰った。


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