007 ディテクト その2
4月15日 月曜日。
もはや盗難と呼称するのも不自然な有り様だった。
被害額にしても百万どころの話じゃない。朝、最初に学校へ来る三谷がそれに気づいた。まずは教職員用にこしらえられたロッカーが足りない。数え間違いと考え、再度数える。が、やはり一つ減っている。
話はそこから加速度を増していく。
生徒の内でも声が上がっていた。自分の下駄箱が消えている。机がない。中身もない。荷物を仕舞うロッカーもない。こうした大きな被害が実に全校生徒の10%に発生し、小さなものを含めると90%の生徒が被害者となっている。
小さい「たった」の被害。
誰かがそう命名した。
怒声が興る。喧嘩が起きた。大切な物だったのに、そんな言い方はないでしょう、と友人に口にし、中には軽く取っ組み合いを始めるのまで出る有り様。
被害の発覚は波のように広がっていった。今朝の時点でその確認によれば、被害生徒は25%くらいだったらしい。それが時間が進むにつれ、まとまった判明と大きな凪、再度まとまった判明を交互に繰り返した。放課後に至るまでに、その不穏な精神が評価のタガを規定し始めるのも無理はなかった。
どちらが可哀相だなんて問題が、まともであるかのように始まった。
敵対するグループに対する視線に、怒りと不安が混じり合うようになった。
誰しもが恐れはじめていたことがあった。
アリバイ作りが始まる。誰が誰と休みを過ごした、というたわいない話を威張り散らして口にする奴もいる。出来る限り荷物を校内で持つという不自然な光景が見受けられた。被害を生んだ生徒ほど落ち込みも大きいが、荷物もデカい。
例外は、限られた奴くらいなものだった。
***
保が先にどんどん歩いていく嗣平を呼び止めた。
「なあ」
背後からそっと手を掛ける。ゆっくりと振り向きかえる嗣平に、
「気にすんなよ」
「――別に。気にしてねーから」
誰が聞いても嘘だと思うほどの生返事だった。
保は廊下の真ん中に立って嗣平を遮った。
「誰もあいつらの話が本当だなんて思ってない。もちろん俺も和也も」
「保……」
「だから、戻ろうぜ。もう全部おさまってるはずだ」
その保の言葉を信じないわけではない。
しかし、人前であそこまで叱責されたことに嗣平も内心穏やかでない。渋い顔のままじっと立ち止まる。呼び出されるまではいい。そこで何かを怒られるのもいい。
しかし、聴衆の前でとなると話は変わる。
誰しもが嗣平に対する視線を変えるには十分だった。
それも、態度となるとショックは大きい。
保の態度はしかし、実に普段通りなめらかだった。
「ほら、嗣平。だから一人でいねーでさ。なんだったら5限フケてもいいし、」
「――悪いな」
下手くそな笑みだったと思う。
「じゃあ」
「いいよ」
保が満足げに頷く。
「あ、いた!」
背後から抉り込むような声があった。保が先にその姿を見、
「お、いいところへ」
「いいところって何よ。それより、ねえ、大丈夫なの?」
奏は赤い嗣平の右頬に触れようと手を伸ばして、
やめた。
その手を嗣平が制していた。
「あ、ごめん。でも、」
「いいから」
何の用だ――嗣平は目でそう問いただす。
奏は気まずい間を一度置いてから、
「殴られたって聞いて、心配しない幼馴染じゃないんだけどな私」
「よく言うよ。今朝忘れてたくせに」
「それは――そうだけど」
そして保が何かを察知した。まずったその表情を見て、不自然な二人も遅れて気づいた。
廊下に響く靴音は生徒の物ではない。
角からその姿を現したのは、まだ若い先生――新谷だった。
次にくる言葉はきっと三人同時に思い描いたはずである。
「ちょっと、いいかな」
***
職員室へ赴いてすぐ、富田保はその件の説明を代わって始める。
始まりは、あの校内放送を聞いた堀江たちのグループによるものだった。
昼休みの購買で事は起きた。
「杉内、返せよ?」
始まりは些細なちょっかい、と言ったところだろう。
そして、堀江とその他、青木と井口、上田が小馬鹿に笑い声を上げる。茶化さないと生きていけないように毎日誰かしらに悪態を振る舞うこのグループに関わりを持とうとする奴らは実に少ない。
高杉和也が囁くような声で言った。
「おい、嗣平、行こう」
杉内嗣平は頷いた。その言葉に従おうとすると
「お、逃げる逃げる。なんだよ、無視すんなよお」
へらへらとした表情。
その進路を堀江が遮っていた。
わざと靴音を叩き鳴らし、ヤニ臭い息をぐいっと押し出した。
「お前ら、前から目に障るんだよ」
堀江の見下す視線。和也がそれを睨め付けて、
「それはお互い様だろ」
「言うねえ。でよお、パクった俺のピアス返してくんね?」
背後の三人が馬鹿丸出しに爆笑した。
「だから、つぐはそんなことしてねえって」
「ってさ」
堀江が一座を振り返ると、青木も井口も上田も不遜に笑んだ。
和也を向き、
「さっきの放送お前も聞いただろ高杉? 何も嫌疑がなけりゃ、三谷もああは言わないだろ?」
「だから、それはもう否定された」
「いや違うね」
堀江よりガタイの良い青木が押し出てきて否定した。
「何かあるから三谷は言うんだよ。俺らが一番よく知ってるぜ。そんな俺らよりもこいつに対してどエライ態度。何か一枚かんでるのがフツーよフツー」
ここへきて異変を嗅ぎつけたか、周囲が人だまりになりつつある。
保が未だ手間取っているのかレジから帰ってこない。
嗣平は何も言わない。
「ほら、黙ってる。本当だからだよ」
黙りこくる嗣平を見て、和也は挑戦的な笑みを浮かべた。
「……なあ、堀江、こっちで話そう」
「馬鹿だろお前」
「いいから、ほら」
無理矢理背中をぐいと押す。バランスを一瞬崩して、
「触んじゃねえよ!」
「ほら、人がいすぎてやべえから。お前のためをと思って」
「馬鹿じゃねえの。何が俺のためだよ。盗人のためだろ。あ?」
「馬鹿はお前らだろ?」
「おい! お前ケンカ売ってんのか!?」
井口と青木が一歩ふみ出て和也の肩を小突いた。
「は。この際だから言っておくけど、お前らみたいな馬鹿みんな嫌ってんだよ。臭いし、威勢だけよくてよわっちいし」
「おい、和也――」
さすがに不味い、と嗣平がようやく口を開いた。
それでも和也はアクセルを踏み込む。
「貧乏くせーピアスなんざいくらでも俺が買ってやるよ。あ、それとも、ママに買ってもらってんのか。だから失くしたくらいで大げさに騒いでるんだろ」
井口が身を乗り出そうとした。
「高杉、てめえ」
「井口、青木」
堀江は背後に二人を制し、自分に任せろというような合図を出した。
相手が爆発しない理由を和也は知っている。
「んなに学校嫌いなら来るなよ。もう義務教育は終わってるぜ。ほら、今すぐ辞めてくりゃいいじゃん。お前らなんて卒業しても牢屋の中が就職口なんだから、早い分世のため人のためだろ」
「和也、それは」
無視。
「なあ、どうしたんだよ。黙りこくって。さっきみたいに来いよ」
「うるせえ。お前の挑発なんか見え見えなんだよ」
「挑発じゃない。事実」
周囲の人の輪から、ようやく保が中へたどり着いた。既に百人単位で狭い食堂が埋め尽くされている。とくれば、誰かしらが先生に伝えたものと考えるべきだ。
時間稼ぎしておけば、
「馬鹿だなやっぱお前」
堀江が和也の脇腹へめがけ蹴りを入れた。緩慢な動作は避けろと言わんばかりであり、和也は間一髪逃れた。周囲がにわかに湧いた。
堀江は周囲を鋭く睨めつけ大声を上げる。
「なあ! 誰か何か見た奴いるか。俺らが何かしたって」
一歩分、中心に空洞が開いた――それに押されて保がまた引き放される。
今度は静まり返っている。
「ほら。だれも見ちゃいねえんだよ」
理由はわかる。
もし何かがあった時に、報復が怖い。所詮他人の不幸を興味で確かめるやつらはそんなもんだ。そんなことは和也も分かっている。
しかし、それよりも奇異な視線が、向けられている先。
それが堀江たちではない、
和也はその視線の終着駅を辿る。
唇を噛んでいる嗣平がいる。
「みんな思ってるんだよ。こいつが怪しい。だから、」
「うっせえよ」
和也は堀江の方を見ない。堀江は頭に指をこんこんと二度当てた。
「はん? 頭使ったつもりかよ。どうせ殴らせて退学させようとか思ってたんだろ。知ってのとおり、確かに次やったらやばいかも知んねえ。けどな」
堀江が左から入る。右足を引いて蹴りを逃すと、今度は上から伸びてくる左腕を和也は右手で対処した。
が、
「ばーか」
堀江の右手がシャツの胸倉を掴み上げる。呼吸が一度止まったような錯覚。
「んぐぐぐ」
それでも和也は何かを見ている。声にならない声をその後に、どこかへ向けた。
「何見てんだ、よ!」
堀江は左手を振りかぶる。バカみたいな力で締め上げられ、動けない和也の顔面に叩き込もうと繰り出して、ぶん殴られ――
和也は瞼を閉じる。
なかった。
目を開けると、堀江がニヤけた。
「でも、お前らはどう考えても殴られる価値がある、だからこいつら何も言わねえんだ、よお!」
周囲から視線がそれたような感覚。
そんなことどうでもよくなった。
一度持ち上げたその動作から、次は腹に来ると和也は踏む。堀江の釣り目がより深く皺を刻んだ。違う。そう思った時には遅い。わずかに浮いた重心を利用し、狙うは足。堀江は簡単に足を払い、和也は背中から食堂の机へ落ちる。悲鳴があがる。
「いっつうう」
「おら!」
一つ、二つ、腹へ向かう打撃。
だが、わずかに開いた隙間に何とか左膝を差し入れた。一発目は無理だったが、二発目は膝にあたる。当然痛い、が、堀江の顔も苦痛で歪んだ。
肘から手を机へつけ、体を半分ひねり大きく左から堀江を巻き込んだ。股に男を挟みつけ、背後を狙う。しかし早い。堀江が何らかの武術を経験していても不思議ではないと知っていはいたが、それなりの物どころではない――ようやく和也の背中に判断の誤った汗が伝う。
再び体勢を整えた堀江が和也をすり抜けた。
瞬間、繰り出していた右手を掴まれ、そして、
「おらあ!」
遠心力ごと放り投げられたくらいの痛みがあった。
今度は壁に衝突した。
つかつかと堀江が距離を詰めた。よく見れば左の目にちょっとした痣がある。かろうじて放った一発がうまく入っていたらしい。
が、まるで関係ないように、堀江は馬乗りに和也へまたがった。
また胸ぐらをつかみ上げられた。顎を見るようにしてやっと堀江の顔が見える。
「ほらみろよ。お前を助けるやついねえだろ」
「んぐぐぐ」
「あー。さっきはよくも言ってくれたよな。一発じゃ足んねえ」
鬼のような形相に代わるその表情の奥、かぶる右手にピントが合う。震えるほど力のこもったその腕に無防備な顔面は打つ手がない。薄らと開けたくもない目を開き、しかしすぐさま閉じそうになる。
だから、その瞬間を和也は見てはいない。
――パン。
人の肌を強く打ち付けたような音が響いた。
目を開くと、来ない。
目の前の堀江の左手が和也の胸元からするりと抜けた。先ほどより身を起こし、何かを見ている。
音のした方角へようやく和也も首だけ向けた。
誰も、いない。
どうやら、保は和也の合図を理解したらしい。堀江に注意を向けず、何度も送った合図を見てとり、どうにかして何らかの手段で保が嗣平を引っ張っていたのだろう。和也から全身の力が抜け、ため息となって一度出た。
そして、次の瞬間、生徒とは異なる怒声。
全ては終わった。




