03 案内
杉内嗣平と小山内柚瑠の二人が、視聴覚室の中であちこちを触っている。
学校の備品を、である。
片方は紺のブレザーを着て、もう片方は半袖のセーラー服。片方は、学年カラーであるえんじ色のサンダルをペタペタ音をさせて、もう片方は来客者用の黄色いサンダルを音もさせずに歩く。
もちろん、普通でないのは転校したての女子生徒のほうだった。
男のほうが口を開いた。
「視聴覚室ってさ、めったに使わないんだわ」
「へえ。そう」
嗣平の説明に、もうずっとそっけない態度をとる小山内。
とりあえず校内を全部回るのもアレだからと、西棟で使う機会がありそうな教室を回って、最後に来たのがここ視聴覚室だった。
教室の説明をされても、「へえ」「ふーん」「そうなんだ」「すごいね」と、とりつくしまもない。抑揚のない会話が続いて、いい加減、嗣平もどうしたものかと、だんだんに口数が減り始めていた。
そんな嗣平にも気になることがあった。そのことについて尋ねてみることにして、小山内のほうを向くと、また仮面のような微笑を見せる。
「あのさ。なんで、夏服なの」
「まだこの学校の制服出来てないの。急に転校決まったから。冬服、こっち来る途中でどこかいっちゃったみたいで、ね」
小山内の特に気にしていない様子は、嗣平には打ち解けてきたのか、それともまともに取り合われてないのか、よく判断が付かなかった。
「へえ。あ、そういえば、俺遅れたから聞いてなかったんだけど、小山内さんって前はどこに住んでたの」
「四国。瀬戸内海に浮かぶちっぽけな島よ。」
四国。今はB級危険地帯として指定されている地域。疎開ということなのだろうか。嗣平はそんなことを考える。
「でも、昔はこっちに住んでたけどね。千馬に小1までいたわ」
いきなりふっと湧いた千馬という言葉が、嗣平の意識を職員室を出た当初のテンションへと戻した。
「え、千馬? 俺住んでるの千馬だけど」
「へえ。でも私、杉内君は知らないけどなあ」
「まあ、俺が転校してきたの小2だから。え、どの辺」
「そうなんだ。私は富士見よ」
「じゃあ近いじゃん。俺、本堂だからさ」
富士見と本堂は隣り合っている地区だ。どちらも、千馬市の住宅街に当たる。
それから、地元トークが少し花咲いた。あそこの駄菓子屋が今は高層ビルになってるだの、公園の遊具がカラフルになっているだの、学校の案内よりもよっぽど楽しく盛り上がる話を二人で交わした。
ようやく距離が近まってきたみたいだ、と嗣平は思う。
それにしても、なんでこうしてるんだっけ?
そんなことがふと頭の中に浮かんだ。
すぐに思い出せた。
* * *
20分ほど前だった。
「なんで俺?」
嗣平はそう思った。ついでに、しまりのない嗣平の口はお漏らしをした。
「なんでとはなんだ」
職員室で正面に対峙している、坪下博之42歳独身日本史教師はいくつもの正論を嗣平に突き付けた。
「お前遅れてきただろ。それに、お前ら全く知らない同士じゃないみたいだしな。少しくらい時間とれるだろ。お前今は部活もやってない、アルバイトもやってない。だから、頼むぞ。な?」
一つとて、否定できない。彼ら教師からしてみれば、杉内嗣平君というのは、学生の本文である学業に勤しむでもなく、青春の詰まった部活動に励むでもなく、貧乏なガキがスターになるためにこなすアルバイトをしてもいない、つまり暗い思春期を過ごしているイチ男子に映るのだろう。
いつも一緒にいるのが男子。坪下は去年も担任だったから、よくその光景を教室の高いところから見てきている。そこでこう思ったのだろう。
こいつ、大丈夫か。
もしくはこうかもしれない。
こいつ、かわいそうな奴だな。
そんな表情が透けて見えるような顔をしているのようにも見える。ウインクしたら完璧だが、坪下はそんなことをしなかった。
なんで俺。
でも、自分でよかった。嗣平はそうも思った。坪下博之42歳独身日本史教師の言っていることを無視してバックレて帰ろうかとも思ったけれど、帰らなくてよかった。
呼び出された職員室には、小山内柚瑠もいるのだから。
今、嗣平と肩を並べて立っている小山内が見せる、両手の指を絡める仕草が、なんとなく色っぽかった。何かを待っている。そういう風にも見える。
「案内してやれ」
その彼女の校内案内を、坪下博之42歳独身日本史教師が嗣平に命じているのだ。
「いやだったら、別に構わないけど……」
小山内はそう呟いた。
嗣平は横目で小山内を見る。そして、嗣平は「やります」と言い放った。
困っている人は何だか放っておけない。それは嗣平の信条のひとつでもある。
職員室のどこからか校内図を引っ張り出して、小山内を連れだした。
* * *
それから、視聴覚室で会話を満喫し、西棟を一周して職員室に帰った二人は、そこで別れた。
坪下はいつの間にか自分が顧問を務めるワープロ部に顔を出しに行ったらしく、不在だと近くの先生が話していた。
嗣平は小山内に「メシでも行かないか」と誘ったが、小山内には用事があるとのことで、断られている。
まだ、引っ越してきたてらしいので、大変なのだろう。
「ちょっと商店街のほうでそろえなきゃいけないのがあるから」
そう言って、小山内柚瑠は足早に職員室を去った。
坪下の机に薄いサックスブルーの上質なハンカチを忘れて。
「きーらわれた、きらわれた。つぐひらくん、きらわれたー」
今、嗣平と和也は一緒に軽音楽部の部室にいる。
和也は、ヘタクソなアコギの音に乗せて、気持ちよさそうに歌っている。
一方の嗣平は机に肘をついて、ぼんやり窓の外を眺めていた。
嗣平の背中越しに和也は歌う。
「おーさないさん、おさないさん。あんたもすみにおけないねー」
嗣平はずっと返事をしない。
和也は急につまらなくなった。アコギを弾くのをやめた。
「なあ」
嗣平がようやく口を開いた。しまいながら、和也は答える。
「はいよ。なにさ」
「小山内さん、四国から来たっていってたよな」
「言ってたねー。うんたら島だってねー」
「今、四国って、B級危険地帯だよな。危ないから、疎開してきたのかな」
「んー、でもそれじゃあ意味ないじゃん。こないだこっちでも爆発物騒ぎあったし」
「でも、それは未遂じゃん。あれはテロじゃなくて、昔に国防軍が処理し損ねた、やっこさんが出てきたんだろ? 疎開に来てたばっかりなら知らなくても別におかしくないじゃん」
カチャカチャ音がして、バタンとフタが閉まる音がした。
「そうだっけー? 俺はそういうの分かんない。もう、本人に直接聞けばー?」
和也はアハハ、と笑った。本当に分からないのだ。他人がどんな理由でどうしようとも、口に出した言葉以上のものは分からない。あえてそこには触れないようにするのも、相手を信頼してのものだ。
誰かさんに対しても言えることだが。
「そうする」
「は?」
嗣平は立ち上がって、机の上のバッグを肩にかけ、下足を履いて出て行った。
「おいおい。ちょっとー」
一人部室に残された和也は、天井を仰いだ。
そしてボヤく。
「だめかー。やっぱ……」
* * *
この辺りで商店街というと2つの場所を指す。
一つは高校から駅と反対側に歩いた方にある、主に橘台高校の学生が向かう「たちばなはなまるロード」である。安価で食事、遊び、買い物なんかが出来るので、見知った顔と嗣平もよく出会う。
もう一つは、嗣平の住んでいる千馬の「銀座商店街」である。若い人向けではないが、その代わりにマニアックな店が多く、知る人ぞ知る場所として隠れた穴場と、その界隈では話題になっている。
今、嗣平がいるのは「銀座商店街」の方だった。
そして、小山内柚瑠はいた。
スーツ姿の男性と一緒に。
男は、父親というには若すぎるような風貌をしている。嗣平の見立てでは、25歳くらい。出来るビジネスマンみたいなギラギラした容姿は、パッと見では小山内と接点があるようには思えない。
一瞬不安になる。言葉がよぎる。不純男女異性交遊なのではないのか。
ブレザーのポケットにあるサックスブルーのハンカチに触れた。
しかし、小山内に限ってそんなこともあるまい。あれは、兄か親戚かなのではないだろうか、いや、しかし……。
嗣平は挙動不審に遠くから二人を見ている。周囲から見れば、制服さえ着ていなければ、不審者の十分条件を満たしている。
そして、そんな状態なのに接近に気が付かないところが、より不審者っぽく見える。
「あれ? 杉内さんとこの」
嗣平は体が3メートルくらい浮かびあがったような気がしたが、その人にしてみれば、猫背が伸びた程度にしか見えなかった。
声をかけたのは、スーパー「封神」の店長、高田勝彦52歳だった。男なのに妊娠しているかのようなお腹を揺らして寄ってきて、四角い黒ぶちメガネを指で整えた。昔と変わらない仕草。もっとも、変わることもある。
頭が、ウインブルドンの決勝の芝みたいになっている。
英語でいえば、bold。日本語でいえば、「このハゲ」といったところか。
「あ、どうも」
「どしたのこんなとこで。お母さん元気? しばらく来てなかったじゃないの」
「ええと。まあ、気分転換に」
曖昧に返事をして、嗣平はまた小山内に集中しようとした。
「あれ? あの子……」
「知ってるんですか?」
嗣平は高木店長へ振り向く。
「ああ、うん。多分。小山内さんとこの子だよね」
「そうです。小山内さん。昔住んでたけどまた帰ってきたらしいです。よく知ってますね。」
「まあね」
高田店長は小山内のほうを見て、それから嗣平を見てニヤリとした。
「なるほど。おじさんも年を取るわけだ! 嗣平君ももうお年頃だもんなー」
「あのねえ」
目の前にいるおじさんとおじいさんの中間生物をぶん殴ってやろうかと嗣平は思うが、何とか堪える。気になっていたことがあったからだ。
疑問をぶつける。
「あの男の人はお兄さんとか?」
「うん? いや、あそこは姉妹だったはずだよ。いつも二人でお菓子を買いに来ていたのは覚えてるなあ。気になるかい? へえ~。嗣平君がねえ」
耐えろ。耐えるんだ嗣平。そう自分に言い聞かせる。無言の嗣平に、高田店長は続きを話す。
「あー思い出した。ウチの前さ、ガチャガチャあるでしょ。昔、なんか流行ったハムスターみたいな人形。欲しいのが出ないって妹が駄々こねてたのを、髪のきれいなお姉ちゃんがあやしてたんだよ。10分くらいずっとそうしてたかな。最後はあきらめて帰ったみたいだったけど。懐かしいなあ。もう10年くらいも経つのかあ。あの頃はもっとにぎわってたねこの辺も」
嗣平もその流行は覚えている。ガチャガチャの中に、「ハムエッグ」というものがあった。いかにも女子が欲しがりそうなもので、一番人気は、幼馴染の奏も妹の夕月も出ない出ないと言っていたレアなチョコマーブル柄のおハム。おそらく、その子の欲しかったのもそれだ。
嗣平はその人形を持っていた。母親の買い物を待っていた時に、別に欲しくもなかったが回してみたら出た。
いまでも、机の引き出しにしまってある。
嗣平が小二の頃の回想シーンに一人入っていると、高木店長もなんだか一人納得をして首を縦に振っていた。
「小山内のおばあちゃん、いつもよりたくさん買ってたもんな。男の人が来るならそりゃあたくさん作らなきゃなだもんな。でも、そんなこと言ってなかったけどなあ。いや、もうあそこのおばあちゃん、ぴーちくぱーちく凄いのよホント……」
くどくどくどくど。よくもまあ口が付かれないものだ、と嗣平は嫌気がさしてきて、自分の本題を思い出す。
見ると、さっきの場所に小山内はいない。
これ以上追いかけるとストーカーみたいで気持ち悪い。自分を嫌いになってしまうかもしれない。
嗣平は気になりはしたが、それ以上はやめることにした。
「それでもー大変なんだよ。その竹内さんが箱を間違えるもんだから……」
まだ、店長は話している。
「じゃあ、帰りますね。俺」
一人おしゃべりモードに入った店長をあしらって、そそくさと嗣平は帰宅の途についた。