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32 事態 その2

 部屋の外があわただしくなってしばらく経っている。しかし、嗣平にはその喧騒も、よそ事の様に聞こえる。

 外部に情報として存在するのは音だけなのかもしれない。嗣平にはそんな風に思えた。

 戸内から、人々が左から右、右から左へとサラウンドに行き過ぎる光景を想像してみる。それなりの広さを持つ廊下だというのに、何だか肩をぶつけ合わせるくらいに狭苦しくすれ違っている姿が浮かんだ。

 心理が空想にまで影響しているのかもしれない。誰かが、ではなく、自分が落ち着かないせいなのだろう。嗣平が一人納得していると、足音がひとつ、聞こえなくなった。

 一枚挟んだ向こう側に、誰かがいるのか。

 その予想は当たっていた。

 ノックのすぐ後に、部屋の戸が開く。

 嗣平の見知らぬ職員が、手招きをした。それから、

「待機場所の方に来てもらう」

「……はい」

 後をついていく。

 部屋の外へ出てみると、以外にも自分の空想とさほど変わらない世界が開けていた。忙しそうに、焦った表情で、人々が行き交っている。

「何かあったんですか?」

 嗣平の口から出た質問に対して、その職員は反応をしなかった。

 しょうがないので黙ったまま嗣平は後ろをついていく。

 しばらくそうしていると、その職員はばつが悪そうに、

「向こうで話すから」

 それだけ言って、再び、口を閉ざしてしまった。


 * * * 


 確認が取れた。

 どうやら間違いないらしい。

 中古車屋付近からは、小山内柚瑠の声が聞こえる。多少の怒気を含むその声の大半は、諦めの感がある。

「誰か、対応はしているんですか?」

『そちらは心配しなくていい』

 通信先からの返事など大して期待してなどいなかったが、それでも、聞き返さずにはいられない。

「ですけれど」

『君は君のやることをしてくれ。その対応は、こちらが責任を持って行う』

 声が無意識に大きくなったのが自分でもわかった。

「行かせてはくれませんか」

『ダメに決まっている。君は君のやることをしてくれ。では交信終了』

 しかし、それだけ一方的に告げられると、機械からはブツンと音がして通信が切れた。

 問い合わせなどしても、たまったものは苛立ちくらいだった。

 聞かずにいられなかった。

 柚瑠は通信機を乱雑にポケットにぶち込む。やはり対応から、先ほどの情報が真実であるのだろうと悟る。

 若槻の組織で確保していたボマーが奪還された。

 今しがた入ったその一報に、柚瑠の気が逸る。脳裏には、奴にのされた妹の姿が浮かぶ。

 許せない。

 しかし、組織の命令に逆らうことなど、誰の利になどなりはしないと頭で理解している。心もその指示に従っている。自分は非常な人間なのかもしれない。そう、少々の侮蔑を込めて、己に言い聞かせる。

 大丈夫。間違っていない。

 封はしっかり締めてある。もしものためなのだ。

 自分に対してなのか、厭の封印に対してなのか、はたまた両方かもしれない。しっかりと仕事を務めれば、大丈夫なはずだ。

 時間が経過して、封じた結界から反応が大きくなるのを把握すると、柚瑠は一本の護符を結界に追加した。

 感触から、おそらくここに厭の本体が来ていないことを察知する。

「大丈夫、ね」

 近くのスーツ姿の男が、工事につかうヘルメットを頭に乗せたまま、

「だろうな。本体が来るにはサイクルが早い。少なくとも、冥界は、動いたのは失敗だった、なんて今頃思ってるだろうよ」

「そうだといいのだけれど」

 柚瑠は、反応が一通り収まると、ひと息ついて天をあおいだ。

 月が、天頂へと向けて、昇っていくのが見えた。

 雲がその前を行過ぎ、再び月がその姿を見せる。

 

 異変に気が付いたのは、その後すぐだった、


 * * * 


 月の下にある建物の屋上に人影が見えた。柚瑠はその姿を人間であると何故が確信をもって認めた。

 あれは――。

 頭の中で資料をめくる。すぐに見つかった。あれは、

 萩原を襲った女だ。

 柚瑠は振り向いて、中古屋裏の自分以外の2人を見る。まだ気づいていないらしい。おい、あくびなんかするなと柚瑠は思う。

 頭の中に選択肢を浮かべる。

 攻撃されたらまずい。目的は何か不明。封を解かれないように守るべきだ。いや、むしろ向こうが気付く前にこちらから……。

『ダメに決まっている。君は君のやることをしてくれ。では交信終了』

 頑なに赤く縛りつけてくる規則が、それらの選択肢を排除した。

 いけないのだ。冷静に鳴れ。

 行うべき優先順位を柚瑠は確かめる。まず最初に行わなければならないのは、通信だ。

 柚瑠は仕舞い込んだポケットに手を突っ込んで、慌てて通信機を取りだし、

「こちら小山内。聞こえる?」

『どうぞ』

「あの、萩原を襲った女。あいつの居場所、わかる?」

『……不明。中間からは中間襲撃の際に見かけなかったと聞いている』

「こちらから見える場所にいるわ」

『少々待機せよ。今取り次ぐ』

 ノイズが鳴った後、通信が変わった。

『こちら本部高級。詳細を報告されたし』

「中古八時方面、6階建てビルの屋上に対象らしき姿を認識」

『了解。待機せよ』

 通信の最中、柚瑠の焦る気持ちが増大していく。

「今が好機です。行かせてください。何人かで――」

『待機だ。優先すべきは厭。わかっているだろう』

「しかし……」

『それとも、君は……のいう……だ…………」

 強烈なノイズが鳴った。

 耳が刺されたように痛い。柚瑠はかいがいしく、何べんも通信機に尋ねる。

「ちょっと! 応答せよ! ……」

 返事がない。

 萩原を襲った女が、移動を開始したのが柚瑠の目に映った。

 報告ができない。

 焦っているせいかもしれない。一度通信機を地面に落としてしまう。

 雲が月を覆った。

 柚瑠の体からは熱がはじけあがり、そのくせ嫌な汗が一斉に噴き出す。額から、背中から、腕から、心臓からさえ不快な一つ水が滴る感触がした。

 通信機を拾い上げる。

 判断を迫られていると思う。

 交信しようと通信機に罵倒じみた言葉を浴びせる。当然反応はない。

 報告ができない。

 通信機は壊れたみたいにおんなじ音しか発さない。

 でも、誰か、対応しないと、また前の様に――。

 嫌な想像で脳内が満たされる。妹、たづなを襲ったボマー。萩原を襲ったあの女。そして、

 曇る横顔に灯りが照らし出される。

 月は、黒髪の少女が震えている肩に煌々とした光を浴びせるだけで、何も語ることはない。


 * * * 

 

 ゴーグルの隅に、ノイズの感知が表示された。

「?」

 和也は一度ゴーグルをはずして、再起動。もう一度かけ直す。しかし、ノイズの感知は依然消えないままだ。

 ま、いいか。

 ちょっとした野良電波でも干渉してきているのだろう。そう考え、和也は気にしないことにした。

 ゴーグルに映し出されたデータの方へ意識を移す。巨大な反応が示すもの。それを和也は嗣平の居場所だと見積もっている。

 しかし、和也が何をしているのかなんて、ハタからみると意味がまるで解らないものである。

 本人はいたってノリノリで行っていることなのだが、事情をかいつまんでみると、要は、単なるストーキングの延長に過ぎない。

 昨日の金曜日、和也は以前より疑問に思っていたことを試してみようと考えた。

 和也はこのために嗣平の物をちょくちょく借りパクしていった。それらに付着していた「嗣平成分」をいろいろと、鑑識よろしく調査して、それを、とあるブツで解析。その後、父親の残したメモ通りに、探索支柱と呼ばれるオートマトンへと放り込むと、レーダーに反応があった。何かが点滅している。

 巨大な何か。

 おそらく、アジトかどこかにいるのだろう。

 そう目星を付けると、その反応をゴーグルで感知できるように改造し、ついでに壊れかけの小型移動ドッグを久しぶりに点灯させ、持っていくことにすることにした。

 しかし、今さらになって、自動で追尾してくる機械音がむしろおっかないと感じる。

「やめときゃよかったかな……」

 ひとりごちる。

 一度建物の玄関を出た後、和也はもう一度中に戻った。理由は簡単。

 監視がいることを思い出した。どこから表に出ても、ばれてしまいそうな気がする。

 しかし、当然、腹案くらいは用意してあるもので。

 この建物が地下道と通じている。そんなこと、向こうは知らないはずだ。

 監視にばれないよう、地下を通って遠くへ。この建物の構造を、和也は大昔から知っている。

 よく遊んでいたのだ昔この辺で。

 苦い記憶も思い出した。

 嗣平たちとかくれんぼしていて、しまいにゃ誰もみつけに来ず和也は眠りこけてしまったことがあった。ああ。あれは、あと1時間遅かったら、迷子の届け出を出されていたかもしれないんだったっけ。

 その場所を通り過ぎ、足早に出口へ向かう。見覚えのある場所に出た。

「ああ、ここか……」

 地下を抜け、違う建物の裏口から外へ出る。

 月がすでに出ていた。

 予め検討をつけていた、森の方へ抜けることに躊躇いはなかった。

 そちらの方に向かうと、反応が大きくなるのがわかった。後ろからは浮遊誘導型の小型移動ドッグがついてくる。自律稼働を可能にする高化エネルギーを基に、結節部分に半重力装置を搭載されたその構造は、さすがの和也もいまいりよくは分からない。どうもオリストと呼ばれるものを陽子と中性子の構成変化に加えることで、よくわからない反応を起こし、SFじみたうさんくさい結果をだすのだという。これも、父親がメモに残したものだった。

 メモ通り組み立てると、最終的には自律的に修復を始めたそれに、主人と任命されたのかもしれない。電源を入れると後を追尾してくる。ペットみたいでかわいいと思ったのも最初の内だけだった。

 ちゃんとついてきていることを確認すると、前方へ目を向ける。

 眼前に木々がありありと屹立していた。

 こちらの森にしばらく来ていない。

 二つある内の、「千間林」と呼ばれる方の、あまり人がいつかない場所。たまにカップルが変なことをしているという噂でもちきりなくらいには人が寄り付かない。だからこそ逆に、こういうところにアジトがあるのは自然だと思う。

 目的地は近いはずだ。

 和也は一息ついて、意気揚々と出発しようと歩き出す。


「どこ行く気かしら」

 後ろから声がした。心臓が飛び出るかと思った。

 和也は振り向く。

 テンがいた。

 やっべえ。汗が顔をつたう。

 テンは笑みを浮かべながら、

「おっと、動かないでね。あたしはあんたの腕の二本や三本もってくわよ」

 以前の酔っぱらった人間とは別人のようなとげとげしい言葉。別人かと思いもう一度テンを見つめる。間違いなく、本人だった。

「……三本じゃ、一本多いけど」

「治った後、もう一回へし折ってやるってこと。そしたらみんな言うこと聞くからね。あ、これは、経験談」

 わざとらしくつけた最後の言葉は効果が抜群だった。

 いきなり和也の頭に浮かび上がる惨劇。存在しない痛みで顔がゆがむ。

 どうにか消し去った。

 和也はどうしようか考える。しかし、考えれば考えるほど、混乱に脳みそを破裂させられてしまいそうだった。

 浮かばない。

 どう考えても素人の自分に、向こうが放つ殺気を避けるすべはない。

 天をあおぐ。

 月が依然として煌々と照っている。

「あ?」

 不審なものが目に入ってきた。和也は思わずその姿を目で追う。

 茶髪の、綺麗な、お姉さんが月といっしょに空を飛んでいるようにみえた。

「あ、あれ」

 和也は人差し指を向ける。

「はいはいそんな手段喰わない。だまされないわよ」

「人間が、空、飛んでる」

「は、何言ってんだか」

 和也の指出す方角へ、テンはその殺気ごと一緒に意識を向ける。

 雰囲気が変わった。

「あいつ……どこかで……」

 はっとすると、テンは急に通信機を取り出した。

 連絡を取ろうとするもつもりなのだろう。しかし、一方的に機械へ罵詈雑言を向けているところを見ると、どうやらつながらないらしい。

 ブちぎれているテンが空へ向けて言い放つ。

「ちょ、何なの本当。意味わかんない!」

 本葬にせっぱつまった人間が振りまく怒気は周囲の大気を震わせる感がある。

 さすがの和也も何か異常な事態があったことを理解。

 テンに近づいて、ゴーグルを渡す。

「これなら、使えるかも」

「あ? なにそれ」

「わかんないけど、通じることは通じると思う」

「嘘だったら承知しないわよ」

 和也の手からゴーグルを掴みとると直ぐに着用。その回線βを指定するように和也が指示をすると、テンが掌を向け、待てのポーズをとった。

 繋がった。

「こちらテン。聞こえる? ああ、繋がった。どうなってんのこの機械。ああこっちのはなし。え? そう、報告義務」

 相手の言葉は和也にはまるで聞こえていない。スピーカー機能にしようと思ったが、今、操作して何かあったらただじゃすまされないような気がしてやめた。

 いきなり、テンが「は⁉」と大声で言った。和也は飛び上がった。先ほどの思ったことがばれたのかと思い、気が気でない。

 しかし、テンは和也のことなど忘れたかのように、

「え、連絡着いたの私だけ? 要件? ああ、あの冥界の奴がいたってこと。若槻寄越しなさいよ。10時方向。観測地点はgeakogen。って、またきこえないよ! おい。こら! ……だめだ」

 ゴーグルをはずしたテンは、ようやく和也の後ろにいる浮遊誘導型の小型移動ドッグに気が付くと、

「あんだ、それ」

 その隙をついて逃げようとした和也の後ろ、小型移動ドッグのしっぽをとらえた。しかしすぐに離す。

 再びゴーグルをつけて、テンが質問した。

「まあいいや。ところでさ、なにこれ。反応みたいなの」

 ああ、機能切ってなかったんだっけ。

 なんだか、嘘をつく気力が失せてしまった和也は、正直に話した。

「わかんない、けど、嗣平についてた情報を親父のやつにぶち込んだら、反応があって、だからこれ辿ったら嗣平いるかと思ったから」

「ああ、あいつ探してんのね。教えるわけないじゃん場所。ああ、だから探してるんか。でも、」

 ゴーグルをはずして、テンが小馬鹿にした風に、

「あんなとこにはいないよ。しかし、気になるねえ。なんだろこの反応」

 なんだ。

 やっぱりこの人、この仕事向いてないんじゃないか。そう和也は思いホッと胸をなでおろした。

「でしょ? だから俺も気になって」

 近づこうとする。

「あ、下手に動かないで、殺すわよクソガキ」

 足が根を張った。テンは悪いことを思いついた猫のように、

「私が見てくるから、いいって言うまで距離開けてついてきなさい。何もなかったら、私があんたを安全な場所まで送ってそのあと怖いことしてやるから覚悟しておけ。いいね。いうこときけよ」

「……わかりましたよう」

 2人は森を抜ける。主導権を握られた和也はテンの背中を見つめながら後ろを歩く。ある程度離れると接続が切れるので、一定の距離を保った。反応が増しているというテンの言葉に、いったい何があるのか、期待と不安が暗い林間を振幅して増していく。

 静かな空間に響いてくるのは二人の足音だけである。しかし、和也は緊張が増してきたせいなのか、その音が何倍もの軍靴で歩く軍隊の醸し出す音のように聞こえる。

 足がもつれそうになる。何度かたたいてやると、元気を取り戻したのか、熱を持って動くようになった。

 徐々に木々の腐っていくような臭いが増していく。

 森の奥に着いた。

 前方をはるか進んでいたテンが立ち止まった。どうやら行き止まりらしい。和也の眼前にテンの背中が大きく迫った。しかし、その姿には違和感が生まれる。そしてもう一つ。

 「崖……?」

 こんなところに、崖なんかなかったはずだ。記憶が間違っているかもしれないが、この状況では、自分の記憶を信じてみたいとも思う。

 音が聞こえた。

 テンがゴーグルを落としていた。

 その時、ジャミングが溶けたらしい。テンの腰元から、何やら音声が聞こえる。

「あ、あの! 通信来てる来てるきて……る……よ?」

 テンが振り向いた。

 和也は、目に映ったその表情を見て固まった。

 すごいことになっている顔が、わなわなと震えていた。


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