31 事態 その1
この頃、工事の看板をよく見かけるようになった。
大した用件でもない工事内容。しかし、今ならその意味がわかる。
例の合図だ。
嗣平は周囲を確認する。
軽く発汗する暑さの中、5月の風は春から夏へとその風味を変貌させ、ジャケットのボタンをはずした嗣平の肌をしつこく舐め回す。さらにシャツのボタンをはずし、その中に突っ込んで手探りで指を遊ばせると、目的のブツが引っかかった。
取り出す。
嗣平の手にはナンバーがある。
ナンバーの様子をそそくさと確認すると、やはり、通知が来ていた。
『二四〇五 A$七A三 afdGgeATY』
最初の四ケタは日、月だったはずだ。次が時刻。午後の5時30分。最後は、
「……よくわかんないな」
嗣平は顎に手をあて何とか思い出そうとする。
時間が分かったのだから、そうとくれば、
「場所、か」
しかし、これだとよくわからない。いったいどうしようかと嗣平が手をこまねいていると、新たに通知があった。目だけを動かして、見てみた。
『チユウコウラ』
心でも読んでいるのだろうか。嗣平はそんな不安を覚える。しかし、ただ向こうが気を利かせてきたのだろうとも嗣平は思う。
なんといっても、初めての呼び出しだ。同じように、場所を間違えてヘマをこいた奴が以前にいたのだろうか。
しかし、夏が近づいてくるたび、暑さが増していく。つらい。
看板をもう一度見ると、嗣平はあることを思い出す。
「もう、そんな季節だっけ……」
空で、何かが自分を追い越して、どこか遠くへと飛んで行く音が聞こえた。
嗣平は、今朝のTVの報道を思い出す。
海外で交戦があったらしい。被害についてはわかっていない。しかし、国内の軍はその報道によれば、暫定的に防御設備の刷新を進めるという。
何かが、起こりそうな気がする。
ナンバーをそそくさとしまうと、嗣平は帰路を足早に急いだ。
* * *
翌日の五月二十四日、十七時三十分。
その場所に停まっていた白いバンがおそらくそうなのだろう。工事看板と侵入禁止の荷物と白いバンは相性がよさそうだ。工事従事者を運ぶ輸送船のようなカモフラージュにもなる。
ドアが開いた。
たづながいた。
「乗って。早く早く」
「おう。久しぶりだな、たづな」
「話は後後。早く乗んなよ」
嗣平が乗り込むとすぐさま車は出発し、行先も告げぬまま速度を上げていく。
そのせいか知らないが、たづなも鼻息を荒くして、
「はいじゃあ一応言っておくけど久しぶり! 説明すると、今日は感知に引っかかった、厭の出現しそうな場所の警備みたいな日だからね! あんたは私と一緒にお留守番!」
耳鳴りが残るほどの近距離で、大声で、足早に駆け抜けた説明を、当然理解などできるわけもなく、
「いっぺんに言うなよ。何だって?」
「だーかーら! あんたの出番は多分ないからお留守番なの!」
「で、何処に向かってるのこの車」
「人の話を聞け――――――!」
運転している男が何かを投げ飛ばしてきた。その紙を掴むと、嗣平は畳まれた状態を開く。
なぜか知っているくせに、たづなも覗き込む。
「ああ、あそこか」
以前入院していた、軍の施設の名前がそこにはあった。
施設に着いて身体チェックを終えると直ぐに、嗣平たちは部屋へと案内された。
室内ではすでに話が進んでいたらしく、映し出された映像は途中で、教師のような女性のする説明を聞く人々は、嗣平たちに見向きもしない。
その話が一段すると、女教師(仮)は一言告げ、教室を後にする。
「じゃあ、解散。時間になったら再びこの場所で待機。以上」
入れ替わりに、嗣平にも見覚えのある顔が二人入ってきた。嗣平は、横に座っているたづなに尋ねる。
「あれ? 若槻のおっさんと、萩原先生だよなあれ」
「うん。あ、こっち来るよ」
若槻が二人分の椅子をすぐそばの席から引っぺがすと、2人は嗣平たちの前に座った。
今はもう4人だけとなった室内。
萩原が口を開く。
「待機組ね。いい機会だし、説明と確認をしておきましょうか」
「それは、ありがたいです」
「杉内君は素直でよろしい。たづな。あんたもちゃんと聞くんだよ、いいね」
たづなは両の手のひらに顔を乗せ、不満足げに、
「はーい」
「よろしい」
若槻はテレコに座った椅子の上で退屈そうにあくびをかいている。やる気があるのだろうか。
そんなことを全く気にもせず、萩原は説明を始めた。
「まずはね、感知について。分かってると思うけど、私たちが厭を封じれるのは、感知ができているから。仕組みは複雑だから今回は省く。けど、感知できてるから、もしかしたらのための人員配置ができる。封印破けてからでは遅いでしょ?」
「それは、そうですね。でも、封印してるなら、まず破られないんじゃ?」
「まあ、基本的にはね。でも、たまに、本体が出てくることがある」
「本体?」
嗣平のその言葉に、たづなが得意げに説明しようとすると、萩原がぴしゃりとせき止める。
「あなたは出てこないの話がややこしくなるから」
「ちぇー」
「話を戻すわね。本体っていうのは、厭の中でもちょっと違った種でね。他の厭に指示を出している……我々が勝手にそんな風に思ってる奴。エネルギーが大きくて、もしこいつが出てくると、封印をしていても破られることがある。そのために、人が寄り付かないように、工事現場にしたり、前もって準備をして、人員配置をしておくの」
「ああ。そういうわけなんだ」
「それで、みんながみんな現地に行くわけじゃなくて、待機する人もいる。今は軍の施設を借りてるけど、西の方なんかだと自分たちの拠点があるから、そこで待機することもある。けど、杉内君の役割はそれだけではない。わかっているわね」
役割という言葉に、嗣平は息を呑んだ。
「……渚を逃げ回るヒロイン役、でいいんですよね」
「よろしい。百点満点。囮というとなんか怖いイメージだけど、大丈夫。今回、待機組が多いのは、君を狙ってやってくるかもしれない冥界への対応も兼ねてる。こんなのもいるしね」
萩原は若槻をバンバン叩いた。
「こんなのでーす」
「冥界の活動は基本的に厭が現れたときと重なることが多い。だけど、この施設、防御姿勢、そう言ったものはしっかり整っているから、もし、出番が来ても安心していてね」
「……わかりました」
嗣平はそうは言うものの内心気が気でない。
肩を叩かれた。
隣のたづなからだった。心配そうな表情からは、それでも明るさが見える。
「大丈夫。私だっているんだから!」
若槻が茶化した。
「お! いいこというな小山内の一番ちっこいの。人様に助けてもらったくせして」
「一番ちっこい言うな!」
そんな二人を萩原はすぐに黙らせると、嗣平は苦笑する。やっぱり教師なだけあるんだなあ、などと感心した。
そして、萩原は、
「まあ、そういうことだから。何かあったら近くの人に言って。私とこんなのはちょっと用事があるから。じゃあね」
「こんなのでーす」
萩原に引きずられながら、若槻は部屋を後にしていった。
* * *
「ここにいたのね」
あの後、嗣平はたづなとは違う部屋へと案内された。出入りは自由にできるが、作戦が始まると行動に制約が入るらしく、なるべく指定場所にいるように、と説明を受けた。
そして、その部屋に訪問者があった。
ノックの音。
椅子から立ちあがりそのまま戸を開けると、そこには柚瑠がいた。
「ああ。柚瑠か。どうしたの?」
「初めてだっていってたから、緊張してるかと思って、陣中見舞……はちょっとちがうかしら」
「ああ。ありがとう。でも、大丈夫だよ別に」
嗣平は、以前に目にしたことのある嚢を結わえた柚瑠の姿を認識する。
「柚瑠は今から?」
「ええ。あの中古屋の裏のところへちょっとね。あそこは一番破られる可能性が高い場所。張り直したとはいっても、ということで自分で確認も兼ねて、ね」
「そっか。無理はしないでな」
「ええ。ありがとう」
それから、手持無沙汰なわけでもないのに、会話が止まってしまう。
話が終ったわけではないのだろうか。柚瑠が「じゃあ」とか「また」とか言わないところを見ると、自分が何かを言い忘れたのかもしれないと嗣平は焦る焦る。
いろいろ考えてみるうちに、いつのまにか口が開いていた。
「あのさ」
柚瑠は不思議そうな顔で嗣平を見た。彼女の心情をむりくり解読してみるならば、自分がかける言葉を探しているうちに、向こうから何かを言われたものだから、ただそんな表情をしただけ、なのかもしれない。
「柚瑠って、料理できる?」
正直、自分の口から出る言葉の意味がよくわかっていない。
「いきなり何の話かしら?」
しがし、柚瑠がわからないのも当然だとは、なぜかわかる。
そんな頭で、嗣平はしらみ潰しに脳内の記憶を辿ってみると、直近の食の話題に行き着いた。ただそれだけの話だ。いやに時間がかかった。
「いやさ、今日うちの夕食、シチューだったらしくて、なんか、そんなことが急に思い浮かんだらさ、まあ、別に深い意味はないんだけど」
自分でも何を言っているのかよくわからない。一方、後ろからその光景を眺める、幽霊にでも乗り移られたように冷静な自分もいる。
柚瑠は、廊下から嗣平の肩越しに、室内の点滅した灯りを見つめているようだった。瞼が、点滅するたびに、開閉を繰り返す。目を白黒に瞬きを繰り返す柚瑠を見ると、「ああ、変なこと言っちゃんたんだな」と結果を理解して、嗣平は、
「いや、ごめん。なんか変なこと言った。忘れて」
しかし、柚瑠は、
「……シチューなら、作れるけれど」
視線を嗣平へと向けた。
「今度、作りましょうか?」
「え? いや、……いいの?」
「ええ。約束」
嗣平は、思わず喜びが笑いとなってこぼれる一方で、何だかよくわからなくもあった。
「おお。えっと。そう、約束。約束だな。やった」
柚瑠も何故だかぎこちない笑顔を見せた。そして、その場から逃げるように、
「ええと、じゃあ、また、後で」
一言だけ告げると、踵を返した。
嗣平は、自分の右手に気が付いた。
小指を立てている。これじゃあまるで、
「我ながら、ガキくさいな」
指切りげんまんのポーズを、上下左右、筋肉から神経、しわの一本までを眺めると、嗣平は室内へと戻っていった。
* * *
ここに一人の男がいたとする。
どうして、いったい何を思ったのかは知らないが、急に家にも帰らず何かをしていた男がいたとする。
そして動き出す。見えないものが見えるようになるゴーグルがその手にはある。それは、父親が残した万華鏡を改造したものだとする。父親が残していった機械を弄ったら、映ったとする。後ろからは、赤外線でマスターを追尾するように仕組まれた、小型移動ドッグが居場所をはっきりと示している。
これを作っていた人物はやはり天才だったのだ。男はそう思う。
なんせ、自分が昨日から服を着替えもせず、取りかかってやっとできたのだから。
男が眠い目をこすって建物の扉を開けると、そこには流線型で空をかける飛行機が飛んでいた。そして、寂然とした赤に染まりゆく雲が、夜との邂逅を果たそうと、世界の彼方へと消えていくのが見える。
夏が近い。




