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30 平穏? その2

 海田奏と渡瀬多恵がその飲食店に足を踏み入れると、すれ違いざま、一人の女性が怒った様子で外へ出ていった。

 扉越しに見ながら、奏は多恵も見ずに話しかける。

「おーこわ。ああはなりたくないなあ」

「なんかあったのかな今の人。すごかったよね」

 そんな話をする2人に声がかかった。

 顔を向けると、店員の笑顔があった。

 店員の「2名様でしょうか」の問いに、既に来ている4人のことを告げると、2人は席へ案内され、ようやくのことで合流した6人の一座にまた戻る。

 和也と多恵の目が合うと、

「おひさしぶりでございますわね」

「人置いてくんじゃないよまったく」

 まだ食べ物のかけら一つもないテーブルを見ると、多恵は笑顔のまま毒づいた。

「別に頼んじゃっても良かったのに。杉内嗣平がどうせみんなに言ったんだろうけど」

「お前本当に態度悪いよな」

「あんたほどじゃないけど」

 なぜか笑顔で毒づきあう2人。当然、いつものことだと知っている面々は口を挟みなどしない。

 しかし、一人、そうとも知らず、柚瑠は口を開く。

「まあまあその辺で。私が言ったの。そろってから食べたほうがおいしいからって」

 その言葉を聞いた和也と保が、メニューから目の上だけを覗かせ、なぜかオカマ口調に、

「ふふふ。小山内さんはまだまだね」

「そうよ。まだまだ甘いわね」

「え? 何のこと」

 意味不明な言動に多少たじろぐ柚瑠に、テーブルにはちょっとした笑いが生まれた。


「あーあの人? なんかすげえ電話にキレてたね」

「そうそう。ありゃあ痴話喧嘩かなにかじゃんかねえ」

「いやいや、仕事の話っぽかったぜ。商談失敗した部下を殺しに出かけたんじゃねえの?」

 先ほど見かけたスーツ姿の女性はそれほど印象的だったらしい。しばらくそのことについて話していると食事が到来、全く関係ない世間話に変わった。

「午後、渋谷方面行きたいけどいい?」「いいともー」

「中間テストわかんねえ。ノート見せて」「いやだとも」

「あ。UFO」「あれは一平ちゃん」

「あれ傑作だったよな、内村の」「ああーすごかったねえ」

 食事も済ませると、これからについて全員の了承が採れた。渋谷・新宿方面に出て、帰りはまたスカイツリーの方に出た後、時間になったら上野に帰る。まあ無難なところではある。

「これからといえばさ、みんな、進路とか決めてんの?」

 保が爪楊枝をくわえながら言った。隣から和也が、

「俺は研究系やんな。ここだけのはなしだけど」

 なぜだか慌てるように奏が身を乗り出して、和也と保を交互に指さし、

「聞いたぞー。カズやんとタモっちゃん、それで喧嘩になったんだってね」

「おーよく御存じで。情報通とはこのことだ。カナヤンにあとでシールをあげよう。で、カナヤンはどうすんの?」

「話そらしたな。まあいいけど。うーんと、私はまあ専門だね。料理系。多恵ちゃんと離れるのやだなあー」

「ちょ。すり寄らないでよ暑い暑い。別に今生の別れじゃないんだから」

 嗣平が口をはさむ。

「渡瀬多恵はどうすんの?」

「うるさい青のりついてるぞ杉内嗣平あっちいけ」

「食ってねえよ青のり! 目医者でも言って来いお前ホント!」

 何事もなかったように、多恵は

「まあ、私は四大。文学系行きたいから、晩稲大とか」

「文学少女は似合わねえぞ渡瀬多恵。つーか晩稲とか絶対お前にゃ無理だわ100億年早い」

「あ。小山内さんどうするの? 私と同じ四大?」

「無視すんなよ……」

 視線が柚瑠に集まる。一瞬、柚瑠はびっくりしたような態度になったが、すぐ元の表情に戻ると、

「進路……よね。どうかしら。就職……かな」

「え!? うそ! あたまいいんでしょ?」

「そんなことないわよ。私、妹いるし、大学に行くお金ないし、一応、就職口も紹介してもらってるから」

 嗣平と和也、そして奏はなぜだかわからないが、目をそらし、息を呑んだ。

 一方、保は何事もなかったように、話を紡いだ。

「へえ。じゃあ俺といっしょか。今、売り手だから結構いい感じだし、それもありだと思うよ。そういえば、嗣平お前どうすんのまだ決めてないんだろ?」

「ん? ああ。どうしよっかなって。多分進学すると思うけど」

「え、何? 杉内嗣平まだ決めてないの? うわダサキモバカゴミじゃーん」

「うっせ。でも、どうすっかな。将来」

 真顔で返す嗣平。

 以外にも、柚瑠が反応を示した。

「教師とかいいんじゃない?」

「いやいや教師は向いてないでしょ嗣ちゃん人の心分からない朴念仁だから」

 奏のその返事に、柚瑠はそれでも、

「そうかしら? 妹さん見てると結構向いてると思うけれど」

 和也が抑えきれない笑みを少しこぼしながら、

「ああー。こいつシスコンだもんあ。自分より若い子には確かにやさしい」

「へえ杉内嗣平いいとこあるじゃんきもいけど」

「うっせ」

 テレくさいのかペーパーナプキンでいきなり口元を拭い、それから嗣平は時計を見た。そして、今更ながら、二つ気が付いた。

 一つは時間のことだ。

「そろそろ、出たほうがいいんじゃねえかな」

 確かに嗣平の言うとおり、時間もいい塩梅となっていた。まだしゃべり足りないのか、不満そうな顔を見せた女も一名いたが、あっさりと店を後にして6人は駅へと向かった。


 * * * 


 やっぱり、この場所からでも中は見えないように工夫が施されていた。

 スカイツリーの展望デッキから、空を覗く。顔を下に向けると、仰々しさなどまるでない、小さなビルディングのつむじを見ることができる。それが地面にいるときには、突き抜けるように空に刺さっているのだから、妙なものだと思う。

「アリみたいよね」

 後ろから柚瑠が声をかけてきた。

「ここから見ると、みんなちっぽけなのにね。 私もその一人だけど」

 その方向を一瞥し、嗣平は再び外へ目をやる。

 軍の設備など、まるで見えないのに変わりはなかった。

 人間のような物体が見えるような気がしたが、気のせいかもしれない。

 あっと。返事をし忘れていたことへと考えが至った。

「俺らもあんな小さいのかね。あ、ほかのみんなは?」

「あっちで休憩中。いろいろ見て回ったから、疲れたんだと思うわ」

「そっか」

「二人きりじゃ嫌かしら」

「だからさ、はあ」

 嗣平はため息をついた。

 嫌じゃない。

 嫌ではないが、なにかむずかゆいのだ。それに、何か違和感がある。

 違和の正体などはるか昔に忘れてしまったのだろう。思い出せない。別にいいけど。

「嫌じゃないって、秋葉でも言ったろ」

「うん」

 柚瑠は横へ来ると、身を乗り出し、下界をまるごと見ようというほどつんのめって外を眺めた。体勢を戻すと、

「上から見るのと、下から見るのと、どっちがいいのかしらね」

「うえ、かな。邪魔されるものも少ないし」

「お兄ちゃんだから?」

 脳みそが多少の逡巡をする。合点がいくと、嗣平は「ああ」言って手を叩いた。

「柚瑠だって、たづながいるだろ。うえ、だ」

「どうだろ」

 ちょっとした距離が開いたように、お互いに口を閉ざした。

 そして、柚瑠が口を開いた。

「そういえば、本当に進路、決めてないの?」

 良い質問だと嗣平は思う。

 飲食店で気づいた二つ目。できればしてもらいたくなかった話題だ。

 陰りを見せる柚瑠の顔は、あらかじめ答えを知っていて、それでも違う答えを期待している陪審員の様に見える。

 もし、自分が、柚瑠と同じ答えをあの場所で言っていたら、みんなはどんな反応をしただろう。

 そのとき、柚瑠はどんな顔をしたのだろう。

 果たして、自分に選択肢など用意されているのかどうか。気が付かなかった方がよかったかもしれない。

 だから嗣平は、満面の笑みで、

「いや、教師もいいかもな」

 嘘をついた。

 嗣平の目に、柚瑠の顔は冷たい膜を一枚まとったように見えた。

「もし、何か気にしているようなら、気にしない方がいいと思う。きっと、本当に進みたい道があるなら、きっと大丈夫」

「何を根拠にそう言ってんの?」

 その質問はまずい。そう嗣平は思う。あわてて取り繕おうと、

「ごめん。そうじゃなくてさ、なんというか、」

「いいえ、大丈夫よ。もし、私……私たちに気を使ってくれているなら、そんなことは別にいいから」

 柚瑠が己に示す態度に笑顔でいられなくなった嗣平は、わざとらしい咳を一つした後にそのたまり切った鬱憤を晴らすがごとく、次の言葉を断じて吐き捨てた。

「柚瑠は、じゃあ、どうしたい・・・んだよ」

 誰もいないみたいにしんとしたデッキに、自分の心臓音が響き渡っているような気がした。

 どうしたい。それを聞いて、いったい、自分がどうするべきかなんて返ってくるわけがない。それでも聞かずにはいられなかった。

 自分以外の誰かが、目の前にいる柚瑠が、その答えを知っているはずないと高をくくっていたから。少しでも楽をしたかったから。理由はいくらでもある。

 しかし、嗣平の予想と異なり、柚瑠の言葉に躊躇いはなかった。


「あのね。嗣平君、どうにかして欲しいものを手に入れようとしたとき、どうする?」

「欲しいもの?」

「うん」

 柚瑠を見る。どこか遠くへ想いを馳せている柚瑠の目には、どことなく深い悔恨を深くしわに刻んだ幼子を映し出しているような寂しさが見える。

 何かが静かに、しかし悠々たる足取りで、近づいてくる実感がある。

 白いキャンバスに、突如、色が付いた。

 小山内とこの姉妹が、ガチャガチャをしている風景がありありと描き出された。

 以前に店長に聞いた話を、理由などわからずも、嗣平はこのとき急に思い出す。

 欲しいもの。それはつまらないものかもしれないし、つまるものかもしれない。

 もし、望んでいるものを、手に入れようとしたら、どうしたらいいのだろうか。その問いが、現実味を持って押し寄せてきた焦燥感に駆られだす。

 柚瑠が嗣平の目を見据えて捉えたまま離さずに告げる。

「私はね、欲ばりかもしれないけれど、何かのためにだれか傷ついたりしてほしくない。他の人に犠牲になってほしくないの。だから、どうにかして欲しいものがあったら、我慢をするか、ちょっとだけ自分を削ってでも守りたい」

 なんとなく、その意味は理解できる。しかし、それを肯定するということは、嗣平はしたくないと思う。かといって、

「だけど、それはあくまで形のあるものだけ。形のないものや既に形じゃなくなったものを手に入れようとしたら、そんなんじゃだめ……。私はそう思うの」

 かといって、否定などできない。きっと、この少女は自分よりもたくさんの死線を知っていて、その中で成長していったはずだ。その優しさと、厳しさと、すこしのポンコツっぷりを知っている今、己に必要なのはそれに対抗できるくらいの、自分自身で生きてきて出した答えしかない。

「全部を使ってでも、守ったり、戦ったり、決めたりしないと、きっとつかめない」

 しかし、その答えなど嗣平は持っていなかった。

「あなたにはそんな風になってほしくない。だから、まだ、嗣平君には、未来があるから」

「未来?」

「うん。何かあれば、私が守る。私たちが守る。あなたにはあなたの道がある」

 急に開けた未来という言葉。そして、それと同時に、一つ、嗣平の不安が姿を見せる。時折寄せてくる違和感の正体。

 過去は、


 * * * 


 既に消灯している室内。ベッドの上で嗣平は1人ただ考える。

「ああ! くそっ!」

 どうしても思い出せない。違和感のある過去が、もやついては姿自体を暗い底へと混ざりこむ。背中にいる巨大な蜘蛛に一枚ずつ捕食されていくような感覚が、脳みそにこべり着いて離れない。

 将来。未来。

 いま。

 誰にも話せない。巻き込みたくはない。そう思う。

 しかし、誰かに話さないと、自分が消えてしまいそうな不安が己の影を引っ張ろうとしている。

 それでも、何とか正気を保っていられるのは、昔からの友達、そして、記憶。小山内柚瑠が、組織の皆が、自分を守ってくれているという安心感。

 しかし、これらのことを思うたびに、少しずつ押し寄せてくる違和の正体はなんなのだろう。

 息が苦しい。

 思いっきり壁を叩く。

 怒りとは違う何かが、座りの悪い感情が、どこからか体内に侵入して悪さをしている気すらしてくる。

 首に手をあてる。痛みはない。

 もしかして、と浮かべた誇大妄想を打ち捨てるも、はつらつとした空想はそれでも、鮮やかな色彩をもって、眼前に浮かび上がる。

 ノックの音がした。

 嗣平はその音に救われたような安堵の表情を浮かべる。大きく息を吐いた。先刻まで自分が呼吸を忘れていたなどとは決して気が付いていないように。

「だれだ?」

「わたし。お兄ちゃんうるさい。何時だと思ってんの?」

 夕月だった。嗣平はそれでも緊張が解けず、唾液を飲み込んだ。

「わるい。嫌な夢見たから」

「一緒に寝てあげようか?」

 夕月の言葉でようやく、今自分がどこにいて誰なのか、はっきりと認識できたような気分になる。

「なんだ、怖いのか?」

 その問いに、ドア越しからでも聞こえるようなため息があった。よし。と嗣平は思う。

「そんなんなら大丈夫だね。さっさと寝なよ。おやすみ」

 夕月の去っていく足音が小さくなり、それが消えると、妙な安心感が押し寄せる。もし、室内まで入られたら、


 やめよう。

 その先の、存在することのなかった可能性を、どうにか打ち捨て、嗣平は眠りに落ちていった。


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