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29 平穏? その1

 あれから、嗣平は学園生活に戻っていった。

 初めの内に感ぜられた、クラスメイトの嬉々とした好奇の目も、3日もたてば元どおり。

 小山内はここぞという時以外絡んでこない。一応形だけでもカップルということで、何かあれば和也たちにそれっぽい対応をしてはいる。しかし、和也たちも乗り気でないのか空気を読んでくれているのか判然としないが、特に詮索することもない。

 なので、嗣平は和也たちと相変わらずだらだらと過ごした。月曜日。いきなり抱擁してくるのでは、などと和也の反応を予測していた嗣平だったが、和也が言ったのは一言だけだった。

「元気そうで何より」

 その薄い反応に肩透かしを食らった気分となり、自意識過剰さ加減に嗣平はちょっとした恥ずかしさを覚えた。

 相も変わらず授業は行われているし、コイバナやだるい授業についての話があちこちから聞こえる。そこからわかるのは、変わったことなど何もなく、結局は1人の生徒が休んでいただけというだけの結果を、平和な世界が映し出しているに過ぎないということだ。

 まあ、こんなもんか。

 嗣平は、己のクラスでの立場をそう総括している。

 たった一つだけ変わったことがあった。

 嗣平が退院した翌週金曜、和也が保とけんかをしたらしい。らしいというのは、その場に嗣平はいなかったからだ。伝聞の形になるが、詳細を言えば、購買で保が和也を茶化した際に、何やら口論になったのだという。あわてて仲裁した購買のおばちゃんは心配そうに「どっちが受けなの」と語ったともされるが、真偽は不明だった。

 嗣平は胃が痛い土日を過ごした。

 翌週になると板挟みの日々が続く。しかしその成果もあってか、だんだんと二人の距離は縮まっていき、金曜日にはまた馬鹿笑いをするくらいには回復した。

 まあ、よくあることだ。

 嗣平は、二人の関係をそう総括している。

 日常が帰ってきた。そんな気分でいるうちに、高3の4月は過ぎた。

 いつの間にかゴールデンウィークもやってきて、浮かれいく教室の喧騒がだんだんと一つのクラスとなってきたような熱を帯びてくる。嗣平もその一員となったのだとクラスの雰囲気からそう思った。

 学校外のことで言えば、一応名目は病気の後遺症やらなんやらで病院通いも終えた。

 初夏。

 5月がやってきた。


 * * * 


 一日一日、暑さが増してくる。 顔のしわにまで浸みこんでくるような太陽光線が、汗を誘う。

 テレビからは、綺麗な格好をしたキャスターの声で、天気予報が流れた。

『5月9日金曜日。今日も一日熱くなりそうです。東京の最高気温は、なんと32度! お出かけの際には熱中症対策をしてお出かけください』

 道を行くリーマンが手をあおぎながら、時折まくったシャツで顔を拭く。嗣平はそれを見ると、汗が噴き出したような感触を再び得た。別に欲しくもないのだが。

 しかし、汗の理由は暑いからだけではない。

 一歩一歩走るたびに、汗は徐々に加速度を増して零れ落ちる。

 柚瑠が振り向いた。

「ほら、来てる来てる。あの人たちなんなのかしら本当執念深いというか友達思いというか」

「ちょ、待って。待って」

 先を行く柚瑠は汗ひとつかいていない。嗣平が振り向くと、和也と保らしき二人の姿が大きくなるのが見えた。

 というか、何をやっているのか。顛末が終りまで迎えたとはまるで思わない嗣平たちの、足取りを振り返ってみよう。


 * * * 


 5月9日は、東京見学の日だ。

 例年、大体の3年生は進路希望も方向性が見え始め、それに向けて勉強を始める。では、なぜこの時期にわざわざ東京見学などをするのだろう。

 しおりにお題目が掲載されている。

 就職するにしても、上の学校に進むにしても、東京都にほど近いこのあたり埼玉の生徒にとって、行き先は似たような結果となる。つまり、電車に揺られ、東京にてその生活をするようになるのだ。

 そのため、教師は生徒たちにこう教えて聞かせる。

「前もって東京を良く知って、自分の望む進路に役立てなさい」

 しかし、そんな理由が付いたのは後の話らしい。結局のところ、「ガキがごちゃごちゃうるせえから、勝手に遊ばせて不満をそらす」という話でしかないこの行事に、もったいぶったお題目を付けておくのは、教師もたまにはサボりたいから、という理由があるに過ぎない。

 特に班決めもなく、自由に行動していい。ということになると、逆に何をしていいのかわからなくなるのが、高校生の情けない所でもある。多くの生徒はだらだらとゲーセンに留まるか、それか適当な場所で手の届かない値段に羨望の目を向け、この日を終える。

 メンバーも変わり映えしないことが多い。

 嗣平は、和也と保、それに加えて、女性陣からは奏と柚瑠と渡瀬多恵たち三人と一緒に回るという話になった。


 当日。集合場所は上野。解散するや否や、私服の高校生たちは迷惑極まりないほど散らばり、目的地を目指す。

「じゃあ、俺たちもいくべか。アメ横いくべ」

 和也を先頭に、集団も改札を出てアメ横へと出陣した。

 が、嗣平は柚瑠に服を引っ張られた。先を行く他の四人を横目で見ると、話に夢中で気が付いていない。

 信号が赤に変わった。

「何だよ。あーあ信号変わっちゃったよ。つーか服引っ張んないでくれ」

 柚瑠はぐいと嗣平の耳元へ顔を寄せ、

「わかってるわよね」

「わかってるよ。あんまり人が密集してたり、変な場所にいかないようにすればいいんだろ」

 嗣平はそう言うと腕を払い、柚瑠の手を自分の服から離す。嗣平の目には、柚瑠が不満そうな顔をしたように見えた。

「……そうじゃなくて。まあ、それもあるけれど、一応その、ふり・・、を」

 そう言うとため息をつく。

 ああ、そっちの心配してるのか。嗣平は何度か頷き、「わかってる」と告げ、青信号と共に、自分たちを呼ぶ奏に向けて歩いていく。

 問題はここから始まった。

 多数の人に紛れ、6人はいろいろな場所と物を見て回る。その内に誰かがいないと他人が言うと、ちょっとして「ごめんごめん」とまた6人に戻る。喧騒の中で誰かを発見するのは難しい。

 要は、それを逆手に取ってしまおうという魂胆なのだと気が付いた時にはすでに実行されていた後だったわけである。

 6人がいつの間にか4人になった。

 気づいた2人が周囲を確認すると、目に映ったのは、身覚えのある2人がはるか遠くの人ごみにまみれ遠ざかってく光景。

 4人がいつの間にか2人になった。

 追う2人は和也と保である。上野から御徒町を通って、秋葉原にほど近くなってもなお、男2人は嗣平と柚瑠を追う追う追う。

 しまいにゃ本当に秋葉原に着いた。

 そして、嗣平は巨大スクリーンに映った天気予報の話を聞くに至った、という話である。

 

 * * * 


 通行人は「待てーい待て―い」とほざく和也と保の二人を見た後に、決まって嗣平たちを眺め、その反応は二つに分かれた。一つはほっこりとした笑顔で、自分の学生時代を思い返すようなものだ。もうひとつは、舌打ち。こちらも自分の学生時代を思い返しているのかもしれない。少なくとも筆者はこっちのほうが正しいと思うと付記しておくがとくに他意はない。ホントないです。

 今更ながら、嗣平はその疑問を口にする。

「ちょっちょっと。何で逃げてんだよ俺たち!」

「だから、追ってくるから逃げてるのよ!」

「じゃあ、逃げなきゃ追ってこないだろあいつら!」

「じゃあ、何? 私と二人は嫌ってわけかしら!?」

「なんでそーなるの!? そうじゃなくて!」

「嫌なの!?」

 怒気の混じった声色。「嫌じゃない」と半ばヤケに言った嗣平の手を取り柚瑠はまた走り出す。

 止まった。

 恐る恐る嗣平は聞いた。

「……おい。どうした?」

「……暑い」

 急に小山内の体からは力が抜けたように、嗣平にもたれかかった。ふらーとした柚瑠の体はひんやりとしていたため、嗣平の脳裏には先ほどの天気予報『熱中症』が現実のものとしてよぎり、

 そして次の瞬間。

「ぐう」

 少女の腹から異音が聞こえた。

 生放送だ。生放送でなければ女優が笑って「いや~♡ちょっと~やだ~。カメラ止めてカメラ」というのかもしれないが、生も生。この時、嗣平はアクシデントを写さないようにするカメラマンの様に、その視線を別の場所に移した。

 駅前の温度計が30度を指している。大きな時計を見ると、既に12時を回っていた。

 しばらく、無言の会話を何度も自分の中で繰り返し、嗣平がようやく口を開いた。

「……飯、食い行こっか」

 小山内は頷くだけだった。顔が赤いのは、暑いからだろう。きっとそうに違いない。

 追ってきた二人が追いついてきた。和也が恨めしそうに、

「おいおい何で逃げるわけ? まさが秋葉まで徒歩で来るとは思わなんだぞ」

「何? 何かあったわけふたり? この前は」

 保の言葉を遮るように好々爺のような眼をした嗣平が、

「……飯、食い行こっか」

 向けた指の先にある時計をみた和也と保はよくわからないまま、優しい目をした嗣平をみると、何を察したのか、

「……そうだな」

「……そうしようそうしよう」

 同様の優しい目をしてそう言った。

 少女は1人、死んだ魚の目をして死んだように立ちあがると、

「……行きましょう」

 一言だけ言って、誰とも目を合わさず、飲食店の多い方へと歩き始めていった。


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