25 見えること見えないこと その2
「うめぇ……」
その言葉は、自然に口から発せられた。
二人は、あちこちウインドウショッピングして回り、ゲーセンをぶらつき、書店や音楽ショップなどを冷やかしたあと、嗣平が誘ってカラオケへと繰り出した。
そう。たしか、自分が誘ったのだと嗣平は記憶している。
今、柚瑠が曲を歌っている。転校生で出席番号23番でたづなのお姉ちゃんの、小山内柚瑠が自分の目の前で歌っている。顔が砕けそうになる。叫び声をあげそうになる気持ちを抑える。
抜群に上手い。
こんなに上手い歌唱を見たのは、初めてだった。
同じ女で比較しても、奏はともかく、妹の夕月でも足元に及ばないと嗣平は思う。和也よりも上手いと思う。他に相手がいないか探してみる。しかし、クラスメイトや友人を思い浮かべ比べては脳内で処刑していく。
トリップする。
声が響くたびに草木はせせらぎ花は色付ける。一陣の風が凪ぐと暖かな空気に包まれ、そう、こんなにつめたーい水を打ちつけられて、びしょびしょになって、
なって、
自分が誘ったのだと記憶している。
その割にはどこかリズムがずれている。むしろ正確に合っている方が珍しいくらいに音をはずす歌声は、無駄にかかるエコーによってさらなる憐憫を誘う。
要は、音痴なのである。
嗣平は普段、そんな空気を笑顔とノリで何とかごまかしている。今回もごまかせたかと思い、嗣平が柚瑠を見ると、彼女は笑みで返事を帰した。
そして、また柚瑠の入れた曲が流れだした。嗣平はまた聞き入った。
やっぱり上手い。
しかし、先ほどより何やら控えめなその声量を嗣平は聞くと、むしろ被害者なのに何だか申し訳ない気持ちになる。
よくある話なのだ。
座っていた柚瑠が立って歌おうとしたとき、ちょっとコップにぶつかっただけなのだ。
だから、他意があったわけではない。当然それを嗣平は知っていたから、気にしないふりをして次の曲へと無理やりテンションを上げてごまかした。
気にしないでいいのだ。
嗣平がそんな風に言っても、どうやら柚瑠は気にしているのか、時折さびしそうな表情を見せた。それでも嗣平は気にしないように5曲くらいは歌い通した。
やめた。
移動した方がいい。嗣平はそう判断をして、柚瑠に何とか適当なでっち上げをしてカラオケを後にする算段を考える。
「柚瑠さ、もう、出よっか」
「……まだ、時間あるわよ。それに、まだ、ちょっとぬれてるわ」
「うん。じゃあ、もうちょっと……いる?」
柚瑠の返事は頷きだけ。「そう」とか「うーん」と体を伸ばして嗣平が次の戦局にあのアニソンでも入れようかと悩みだしてはやめた、そのわきをくすぐるように声がした。
嗣平が振り向くと、柚瑠がこう言った。
「ちょっと、お話し、してもいい?」
* * *
話は少し遡る。
週が明けて、和也が学校に来てみると後ろの席に嗣平は来ていなかった。連絡にも返事がない。まさか本当にあの女にメロメロなのかと疑心にまみれていると、HRに遅れてやって来た担任が「杉内嗣平の入院」なる言葉を吐いた。
そして、それから3日が経過した。
変わったことがないかを和也は考えてみる。変わったことと言えば、違うクラスの海田奏こと、「カナヤン」がちょくちょく教室内を覗きに来ることくらいだろう。
月曜日、和也が嗣平のことを教えてみると、「うん」とか「やっぱり?」とか言う奏に特に疑問は抱かなかったからか、和也はそのことを特に大したことではないと踏んだ。
火曜日も水曜日も見るだけ見て、和也と目が合うと奏は教室を後にする。
ひとつ、和也には疑問に思ったことがあった。
カナヤンの目的が、どっちなのか、である。
和也は斜め前へと視線を向ける。もう一つの変わったこと。むしろこっちの方が重大かもしれない。
出席番号23番の席も、3日間、主は不在。
担任は小山内柚瑠については何も言わなかった。しかし、仮に小山内も入院かなんかしていても、それでも何も言わなかったような気がしてならない。
ざまあ見ろと言う思いと、多少心配になる気持ちがまざりあう。そんなふうな自分がなんだか気持ち悪いと和也は思う。
何かが変なのだ。奴と関わると。
それでも、和也は次の手を考えていた。
水曜日の昼休み、うろちょろしている奏を和也は捕まえることができた。
「あのさ、嗣平のことなんだけど」
「うん」
「何か知ってる?」
「入院してるんだってね。つぐちゃん」
和也は奏のその表情から、奏も何かを知っているわけではないことを悟り、「じゃあ」と断りを入れて、切り出す。
「あの二人、付き合ってるって、知ってた?」
その時の奏の驚きようったらなかった。視線が泳ぎまくり「え?」と数度口にした後、
「そ、それ、なんかの冗談?」
「いや、本人談」
「つぐちゃんがそんなこと言ったの?」
「小山内柚瑠の、本人談。それでちょっと考えがあるんだけどさ」
「考えって?」
和也は双眼鏡のつもりか、指でわっかを作るポーズをして、覗きこむ。
「尾行、してみない?」
しかし答えは意外にも早く、冷たい。
「しない」
「えーしようよ」
「しない」
「したいんだけど」
「したくない」
この時少し離れた通路を歩いていた2年生の佐々木誠はその会話の言葉尻だけを聞いて、思わず淫靡な妄想をしつつ、二人の邪魔をしてはならないとその場を去っている。所詮、生涯交わることのない後輩などそんなもんである。
和也はそれでも負けじと、
「でもさおかしいじゃん。小山内はさ、いっつも早退するし、あの日もカナヤンの誘いを事前に断ってたんでしょ? 何やってんだかも不明。転校してきた理由も不明。何で嗣平とずっと一緒にいるのかもわからん。それに、」
「それに……なに?」
「付き合ってるって絶対嘘だぜ。小山内の方はともかく、あの嗣平が付き合っててそれをうまく隠すとは思えん。できるとしたら、俺たちと全く関係のない場所で、まったく関係のない奴と何かの拍子で会って、何だか秘密だらけの状態で密会を繰り返すでもないと、それくらいしか考えられないぜ俺」
奏はそれには同意見だと言わんばかりに数回頷いた。自分自身、「待ってる」とは言ったものの、そもそもの接触の機会がない以上、待ってるもくそもないような気がする。だけど、
奏はそれでもまだモヤモヤが止まらない。
「でもだめだよやっぱり。少なくとも、柚瑠ちゃんは嘘つくような子じゃないし。そんな、プライバシーの侵害だし」
「でもさ、知りたくない?」
奏は腕を組んだまま顔を上げて、
「知りたい」
「うーん。それならさあ、」
和也の意外な押しの強さが少し羨ましくなってきつつはあるが、奏はまだ首を縦に振るまでの勇気には至らなかったらしい。しかし、譲歩をしないと終わらない。そうとも思い、
「じゃあ、明日、もし柚瑠ちゃんが来たら、私聞いてみる。それでだめだったら」
その言葉に和也が渋い顔でうなずいた。奏は「決まり」と和也の肩へ手を乗せバンバン叩いて、
「それで、いいよね」
「ああ。じゃあ、一応、用意だけは忘れないように」
その後、一応の同盟関係の成立を二人は缶コーラでお祝いした。
* * *
だめだった。
木曜日に柚瑠は学校に来た。奏は朝と昼休み時間に、柚瑠をつかまえに行ったが、タイミングが悪いのか、それとも意図的なのか、結局話をしようとしても逃げられてしまった。
交わした会話と言えば、奏の「柚瑠ちゃん、病気とかじゃないよね」に、柚瑠から、「病気かもね。あんまり近くに来ると移っちゃうかも」というものだけ。収穫はゼロとほとんど変わらない。
ぶっちゃけ、腹が立った。
「じゃあ、やろっか」
和也が尋ねる。奏はその問いにイエスとは言わなかったが、かといってノーとも言わなかった。放課後となると、和也の後をついていった。
結果から言おう。
だめだった。
やっぱり変な奴なんだという和也の意見に、少々同意をしてしまうくらいには、奏も参っていた。友達じゃないの私たち。そんな悲しい気持ちが湧きあがる。しかしそんな状況でも、自分が人間である限り湧いてくる単純な欲望が湧いてきた。
腹が減った。
「カズヤン。何か食べに行かない?」
「おう。気が合うね。俺もそう思っていたとこだよん」
1時間以上無駄骨に終った尾行の穴埋めを飯で埋めにゃ、他にぶつける相手が見つからねえ。
しかし、奏の中にはまだこんな気持ちもある。
さすがにあの爆発のこととかあの病院での話とか、他言無用と言われている話を和也にしようとは思わない。今は何もなくても、和也にも危険が及ぶかもしれない。
自転車は最新のものに変わったし、駅の駐輪場の使用料がずっと無料でよくなったし、明らかに何かおかしな力が働いているのだ。関わり合いになるのはあんまりいいことではない。
それでも、気になってしょうがない。いったい何を――。
「カナヤン、大丈夫?」
和也の声に、突然尻尾を踏まれた猫のように奏は驚いて、顔をぶんぶん振り深く息を吐いた。
後で考えることにしよう。目下、気にすべきことは腹である。そう決心をして奏は叫んだ。
「よし、じゃあ、超宮ラーメン超盛行くぞー」
和也も負けじと、
「おっしゃ! 勝負だ勝負! 喰うぞー!」
中華料理屋『超宮』で超盛として県下でも有名なラーメンを平らげ、支払い無料になった二人にささげられた拍手を背に、二人は『超宮』を後にした。その2時間前に40人目が成功した偉業に続き、同時に41,42人目が誕生したことでその日の『超宮』は特別にチャーシュー、餃子無料サービスふるまわれたのだが、これはもう二人に関係のない話であった。
「ふう。喰った喰った」
「食べたねえ。食べた」
さすがに和也も奏も苦しいのか、近くのベンチに腰掛ける。
「喉かわいた」
「俺も」
……。
『ジャンケン!』
両者同時にパーを出す。次はグー。その次はチョキ。そして次で勝敗が決した。
「よっしゃあ! じゃあ俺コーラ! よろしく」
奏は「くそう」と言って、よろよろと自販機を探す旅に出た。
一人になった和也は明日以降のことへ思いをはせる。しかし、このままでは何も情報を掴めないのはわかっている。どうしようかと悩む悩む。
家へ突撃してみるか。すぐにダメだと打ち消す。警察呼ばれたら負けるぞ俺。
芸能スカウトを装っておびき寄せる。ダメ。そんなので浮かれる奴でない。
直接聞く。論外。
一芝居を打つ。どうやって。どうやって……。
どうやってもいいアイデアが思いつかない。そもそも小山内のことについて知らな過ぎて、周辺をあたろうにも、本人の癖とか思考性向とかもわからないのに対応を立てようがない。結局のところ、いつもそこにいきつく。
しょうがないので和也はスマホを弄る。つまらない連絡がたくさん入っていて、なんだかそれが腹立たしい。
「こんなときに、全然役に立たないもんなこいつら」
適当に意味不明な返事をしておいて、スマホをしまう。
和也の耳に、走ってくる足音が聞こえた。
何もアイデアが浮かばなかったことがなんだか恥ずかしくて、和也は再びスマホを取り出すと、弄る振りをしてその足が近づいてくるのを待った。
足音が止まった。
和也の肩越しから、コーラの缶が伸びてきた。受け取る。
「さんきゅ」
「どういたしまして」
男の声で帰ってきた返事に、思わず和也はコーラを落として振り返る。
「え?」
「よう。俺、若槻。おもしれえことやってるじゃねえか。いいことおしえてやろうか? ん?」
奏が遠くから歩いてくる。しかし、和也にはその姿など目に入らない。
ただ、若槻の顔を凝視し続けている。




