20 本心はどこに
白い建物が見えてきた。
自動車の後部座席に座ってからというもの、嗣平はずっと口を閉ざしていた。ちらと運転席へ目をやり、若槻がけだるそうに動かす車の中、先ほどまでの記憶を反芻してみる。
ドームに近づいてくる足音の正体は、若槻だった。
口を閉ざした二人は、のぞきこまれてしまえば意味なしとわかっていても、身を縮めずにはいられない。
「おい。杉内。いくぞ」
その声の主が若槻だと嗣平は当初理解できなかった。だから顔を上げなかったし、そのすぐそばから聞こえるビニル袋のこすれる音が不吉な武器の幻聴であるとすら思ってしまった。
「おい、聞いてんのか。いるの分かってるんだよ。って、誰だよそいつ」
顔を覗き込んだ若槻の顔を見て「ぎゃあ」といった後、その目を見つめてようやく嗣平は若槻を認めた。若槻の指差す方へ向く。
隣にいる奏は、彼女の両膝の中にうまっている。
若槻の人差し指が小指に変わる。声にならない声で、こう言った。
「コレか?」
嗣平は横にぶんぶん首を振った。
「まあいい、そいつも一緒に連れてこい。何、心配すんな。除霊は終わってる」
若槻の後をついていく。酷く安心したのか、疲れが急に訪れた体に鞭を打ち、何とか追いつこうとする。
駐車場に着いた。すると、若槻は車の後部座席のドアを開けた。
「乗れ」
助手席にも誰かがいるようだが、上から何かをかぶっているのか、いまいちはっきり見えない。奏を先に乗せ、嗣平も乗り込む。
車はそのまま30分ほど移動し、街並みがビルディングから農地へと変わった。その場所には不釣り合いの白い建物が、病院であることは知っていたし、それが、軍施設の一部であることも知っていた。
嗣平は、いったい自分はどうなってしまうのか、不安でいっぱいだった。しかし、同時に根拠のない覚悟が生まれ始めていた。
* * *
病院へ着くと、簡単に荷物検査を受け、建物内へと案内された。入り口から直線に進み階段を上った先の角を右に曲がり、若槻の足つきが早いので疲れてはいたが一生懸命に遅れないように努め、何やら治療室のような一帯を抜けると、その先のベンチに座って待っていろと若槻に言われた。
室内へ若槻は入ったきり、30分は出てこない。
奏と二人取り残された嗣平は、無言そのまま時を待った。
絶対に自分に関係のある事だと思ったし、通常見ることなど叶わない場所にいる自分に疑問など抱かなかった。思えば別にスマホを弄ろうがバッグの中身を見て時間をつぶしそうができたはずである。
しかし、久々に訪れた「病院」という名の施設に、ぶつける相手の見つからない怒りと悲しみがふつふつとわいて、どうもできなかった。
その時が来たらしい。
ドアが開いた。
「入って待っててもらえる?」
小山内が嗣平に告げる。入れ替わりに、小山内は廊下へ出た。
嗣平は室内に入る前に奏を見た。小山内を見た奏は、この世の者でないものを見たような顔をしていた。
「奏ちゃん。ちょっといい?」
どこかへ向けて小山内は歩き出す。
奏は小さくうなずいた後、大きくうなずいて、小山内の後を追いかける。
「はい。どうぞ」
奏は小山内からお茶を受け取った。広い病院内に人っ子一人見かけないことが奏を怖がらせ、響く声が何やらいけないことをしているような罪悪感を増幅させた。
いま二人はそれなりに歩いた先にある、先ほどとは大して変化のない風景で、座って紙コップを見つめている。
奏は自然と小声になる。
「柚瑠ちゃん。どうして、ここにいるの」
「どうして、ね。あなたには関係ないと思うけど」
一方の小山内の声量は普段とさほど変わらない。
しかし、いつもと異なる、冷気をまとったような声。話しぶり。思わず奏は顔を見つめる。
「関係ないって、ことはないと思うんだけど、その、私だって、何だかわからないけど、巻き込まれたというか、それに、友達だし、ええと」
「関係ないわよ。そんなの」
小山内は寂しさなどみじんも感じさせず、高圧的かつ淡々と、駒を指すように言い放つ。
「いいかしら? 確かに、私もあなたとはいい友人関係にあると思ってる。だけど、それとこれとは話は違うわ。だから、これはお願いなんだけれど」
しかし、その後小山内は一度お茶を口へ運んだ。奏は次の言葉を待った。
小山内はゆっくりと、口を開いた。
「杉内君に近寄らないで」
思った以上に鋭い傷が生まれた。小山内の目にはそう映った。
それが証拠に、奏は何も言わない。ほらごらんなさい。これが鳴いたキジの結末よ、といったらみんなが納得してしまうほどには遣る方ない態度で、お情けを待っている子供のようだ。
「じゃあ、話はこれで終わり。じゃあ、帰りの人をやるから――」
そう言って小山内が立ち上がったその時、
「待つよ。私」
思わず振り向いた。
「話してくれるまで、待ってるから。あと、嗣ちゃんが出てくるまで、待ってる。いいよね?」
顔を見られない。顔を見られたくない。
小山内は、近くのドアノブを回し室内に入り、閉まる間際に言った。
「勝手にして」
力のこもったドアの閉まる音がした。
背中をドアに預けると、全身の力が抜けた。
* * *
室内に入ると、たづなが泣いていた。
嗣平はてっきり、自分との再会が嬉しくて泣いているのだと思ったのだが、そばにいたスーツ姿の男(モクと呼ばれていた)に聞くところによると、こっぴどく姉に叱られたらしい。それでいぢけているというのだった。
そのモクというおとこは以前小山内と商店街にいた男だった。説明を受けた。自分が狙われていること。その男が、「それが証拠を見せる」といって立ち上がり、若槻の目の前を通り抜け、部屋の角へと向かった。
「こいつに見覚え、あるよね」
部屋の隅で布が上からかぶさっていたものの正体。ボマーだった。死んでいるみたいに身動き一つしない。
「はい。はい、こいつです。襲われたの」
「それはわかってる。今聞きたいのは、どこか、別の場所や時間にこいつと会ったことないかなってこと」
思い当たる節がない。それを表情から読み取りモクはため息をつくと、資料の一つ一つを嗣平に提示し、己の考えを聞かせた。その内の一枚、「あ」と嗣平が漏らしたのを聞きのがすほど、この男は野暮じゃない。
「これか。カッターの女。こいつを見たのはいつだ」
「え? いや、わからない」
首をなでる嗣平。モクの目にはどう映ったのか、突如、胸ぐらをつかまれる。
「わからないじゃねえだろ! 遊びじゃねえんだよ、この野郎!」
モクがキレた。
「いいか。こいつは、萩原を襲った張本人なんだぞ!? 人が一人死にかけてんだよ! てめえが決まった通りに動いてたら、そんなことにはなってねえんだ! ふざけんじゃねえ。 俺らだっていつ――」
「やめなさい」
いつのまにか、横に小山内がいた。つけた面の姿は鬼。そんな仮装を思わせる顔をしている。
「杉内君にそんなこと言ってもしょうがないでしょう。今回はたづなの責任よ」
その言葉に泣き止んでいたたづながまた泣き出したらしい。机にうつぶせになった背中が一度跳ね、その後は小刻みに震えている。
「それより。杉内君」
モクの手が離され、代わりに小山内と面する形となる。
「首、どうかしたの?」
「なんか、ときどき、違和感がある。でも、それより」
「いつから?」
シャープ芯の音がする。方角は、若槻。それを気にしないできない。記憶を探る。
「いつから? いつから……。昨日? 昨日か……?」
背筋が凍る。まさかが駆け巡る。あるはずのものがないことの恐怖が甦る。
「多分、昨日かもしれない」
「ちょっと、見せて」
タバコ一本分の距離を通り過ぎ、首に彼女の吐息がかかる。手が触れ、ある地点で10秒ほど止まった。
「いる。だから、なのね」
小山内のため息は大きい。縛られた鎖をほどけない囚人があきらめてしまうような、そんなムードになったことがなんとなくうかがえた。
「検査する必要があるわ。いてもいなくても、しばらくはここで寝泊まりしてもらわないといけなくなると思う。もちろん、学校も行かせられらないわね。いいわね」
小山内が何やら合図を出すと、いきなり部屋にスーツ姿の男が二人入り、嗣平を両側から掴みあげる。
「おい、おい! なんだよいきなり。いてえってば!」
「連れて行っていいわよ」
「やめ! ちょ! 離せって!」
離さない。もう、用件は済んだと言わんばかりに、小山内は嗣平へ背を向ける。
壁が近づく。右にいた男がドアを開ける。
何か、何かないか。
振り向かせて、何かを言わないといけない。嗣平は何もわからないまま終わるのは嫌だったし、しかしこれから何かが分かっても手遅れなような気がする。
護身? 敵の目的? 自分の価値?
どれを言っても、「言うわけないでしょ」と、そんな言葉が返ってきて、自分はもう発言権を無くしてしまいそうだと嗣平は思う。
みつけろみつけろ、言わなければならないことを、探せ、何か手がかりを――
その時、目に入った。
言っておかなければならない。その存在をどうして気にも留めなかったのか。とんでもなく酷いことをしていたのだと気が付く。
無視されても言っておかねばならない。そのはずだと、固く心に信じる。
首だけ振り返り、言う。
「ありがとう!」
時が止まった。
「たづな、ありがとう! 俺、お前がいなかったら、どうなってたことか。だから、泣くなよ! ほら、俺ぴんぴんしてるから! お前のおかげなんだから、今度、ちゃんとお礼もさせろよ!」
小山内が嗣平へ横目を刺し向ける。
しかし、その小山内を見ずに、嗣平は続ける。
「お前のおかげなんだよ! 頑張ったよ! だから、小山内もさ! 褒めてやってくれよ! お前の妹、本当に良い奴だよ! 泣かせんなよ! 俺の妹と交換してやりたいくらいだ! 褒めてやれよ! ちゃんと後で」
言えば言うほど、横の男の締め付けが厳しくなる。それでもかまわず嗣平は感謝を連射する。
小山内が、叫んだ。
「わかった口、聞かないでよ!」
狂ったようにわめき散らす。
「関係ないでしょ! 関係ない! あなたにそんなこと言われる筋合いない!早く、早く。あんたたち、連れて行きなさいよ!」
嗣平の顔が締め付けの痛みで歪み、気が付いた時には引きずられるように廊下へと連れ出された。
小山内は頭をガシガシ髪をボサボサにひっかく。いきなり、思いっきり机を蹴り上げ、天井とキスをした机はひしゃげて大きな音を立てて落下した。
若槻は、一度も発言をしなかった口からタバコの煙を気持ちよさそうにはいた。その割には気持ち悪そうな顔つきで、灰皿に押し付けると、出口の方へと歩き出す。
その姿をただ見つめていた小山内が、急に気が付いたみたいに、
「お礼は言っておくわ。妹を、たづなをありがとう。あなたがいなかったら、」
若槻は聞いているのかいないのか、その速度も変えず顔色も変えずただ、けだるげに、しかしすばやく歩を進める。
小山内とすれ違いざま、一言だけ言った。
「よかったのか?」
小声のその後には、ドアの閉まる音だけが鳴った。




