15 納得はしてない
とりあえず窓は閉めた。
夕月も追い出して、散らかった部屋の中でさっさと着替えて、それから洗面所で顔を洗った。もはや寝癖がどうとか、ネクタイを締め忘れたとか、そんなことはどうでもいい。
ただ、もしかしたら.
もしかしたら、なんて思う。
昨日の話で、監視されるというような話があったと思う。
それも実は最初の内だけで、危険が去ったら「あの話は嘘だ」と言われ、誰もいない場所へと連行されてしまうのではないだろうか。監視というのは嘘で、何らかの適性を図るための、研究目的の一人として自分がピックアップされていて、実は奴らの掌で自分は孫悟空を演じているのだ。要件を満たしたいっちょ前の孫悟空のもとへ、次に「体を知り尽くしたと評判」の先生がきて、それもクリアしたなら、「ユメを抱くより兵器を抱け」がスローガンのおじさんが、自分をしつけに来るかもしれない。
一挙手一投足をまるで軍隊の鬼教官の様に指摘指導され、我々にお前は必要ないと判断されれば首を切られ、ハイさよなら。きっとそうなるかもしれないから、捨てられないように必死で芸を覚えて、ご機嫌をうかがう。ご主人様が「お手」と言ったら右手を、「おすわり」といったら空中イスだ。
そんなふうに矯正されて一人前の兵士となった俺は基地へ送られると、コードネーム「被検体0018U」とかそんなわけのわからない名称を付けられ、身体の恥ずかしいところまでいじられて、改造されて、最終兵器と化して、そうしたらこの前髪も何だか邪魔くさいと教官に言われ、同僚が何かを俺に打ち込んで、体中から力が抜け、意識はそこで離脱。
目を覚ますとちょうど、鏡の後ろの荷物が動いたのを知覚する。よく見るとそれは荷物ではなくて、自分の似たような真っ黒い炭でも顔に塗ったような同僚で、ニヤニヤと笑みを浮かべながらうしろからバリカンでバリバリバリと
「いつまでやってんの」
心臓が死んだ。
生き返った。
鏡の後ろに夕月がいた。手にはバリカンの代わりか、空の茶碗としゃもじがある。
「うんもう大丈夫だよかっこいいよお兄ちゃん。だからさっさと朝食食べて片して学校行きなよ」
ニヤニヤ笑みを浮かべながら、
「ゆ・ず・る・さ・ん・と」
ハートマークが語尾についていたのは間違いない。
* * *
洗面場から戻ると、居間のソファに小山内は座っていた。
「いきなりごめんなさいね。連絡しようと思ったら、杉内君、まだ私の連絡先登録してくれてなかったでしょ。だから、」
だから、こうして直接乗り込んできたってか。
嗣平は一応その言葉を最後まで聞くことなく、「ゆっくりしてて」と適当な言葉で濁し、朝食へと手を伸ばす。
言われてみれば、確かに小山内の言うとおりだった。
どうも腑抜けている。昨日からそんな自分がいることが、はっきりとわかった。
それが証拠に、一噛み十秒、一飲み一生、注意たいせつ食卓安泰、ヨシ、の標語が印刷された紙を横目で覗いて、その隙にのどに詰まって、ハインリッヒの「1」を引き当てそうになった。そんな嗣平をしり目に、
小山内の横には、夕月もひょっこり座っていた。
「柚瑠さんって、おにい、んん」
喉ががなる。
「つぐの彼女さん?」
「そうよ」
一息つかずの返答は効果テキメンだった。先制パンチのはずがカウンターを食らって、夕月の乙女心と兄弟愛は天秤にかけられることもなく、勝負を決した。無論、兄弟愛などは腹の足しにもならなかった。
「うそっこでしょー? それ」
「うそよ」
うふふあはははと二人の声が居間に響く。嗣平はなんとか水を飲みほし、生命の危機を脱した。
そして思う。
何か妙な会話が聞こえた気がしたのは聞き違いだっただろうか。
まあ別にいいか。
そんなことなど知ろうともしない夕月は嗣平の方へ向き、
「だってー。残念だったね、つぐ」
「いや、今最高の気分だ。生きるって素晴らしいんだな」
「何言ってんだか」
「妹よ。水は大切だ。悪い水もいるが、今、俺が手にしているのはいい水さんなんだ。きっとヘブライの民も、何でもいいから水をくれとは思っておらなんだろう。きっと、こうしたいい水さんを欲してマイムマイムを踊ったんだきっと」
「もういい」
あきれ果てた顔の隣に、微笑む顔があった。
「仲いいのね本当に」
「そんなことないです」「そんなことは決してないぞ」
そのハモリが、小山内のどこぞにあるツボを刺激した。
「ふふ……ふふふふ……あはははははは!」
「はははははは」
「あははははは」
奇妙な笑々三唱が響き渡ったのは、いつ以来のことであっただろうか。
* * *
「じゃああたしここで。柚瑠さん、またね」
「うん。夕月ちゃん、気を付けて」
今生の別れかと言わんばかりに手を振り、駅の構内へ夕月は消えていった。見送りながら、嗣平が、
「ごめんな。あいつ、馴れ馴れしくて」
「いいのよ。楽しかったから」
上っていく夕月を見届け、嗣平はロータリーへ視線を移した。
「で、あのタクシーはなんなんだ」
「言ったでしょう。あなたは私たちの保護下に入ってるの。だから、あんまり人の多い所とか、逃げられないところとかはダメ。でも、歩いていくわけにもいかない。となると、一番いいのは、信頼のおける人と一緒に人目があまりつかないもので移動すればいいの。いろいろ考えて、その結果がこちら」
黄色い線がなかなかイカスタクシーの扉が開いた。
「一応、理解はした。」
でも納得はしてない。
「そう、よかった」
小山内が先に乗る。
なぜか、嗣平がタクシーに乗り込むとき、
「あれ?」
頭をタクシーにぶつけた。
「大丈夫?」
「うん。まあ、大丈夫だいじょぶ」
軽い眩暈がした。気のせい気のせい、と己を納得させる。朝起きるのがちょっと早かったからだ。嗣平の心はそう決め込むことにした。
タクシーに乗り込んで、学校から少し離れた人の少ない場所を小山内は伝えた。それからはダンマリを決め込む。
「あのさ」
嗣平は気になっていたことがあった。というより、そもそもの大前提に行きつくまで、やけに我慢した方だと思う。
「あのさ、なんで、俺の家にまで来て、一緒に来たんだ」
「さっき説明したわよね」
「でも、それだったらどこかで合流するとか、そもそもな。別に小山内でなくてもいいんだろ? なんか男女二人だとさ……」
言わなくてもわかるだろと嗣平は無言のコミュニケイションを行ったが、小山内は次の言葉を待っている。
「だから、変な噂になったら、いやだろ?」
「いやなの?」
「いや、そうじゃなくってさ」
「うそっこ、うそっこ」
そういうと、また一人でくすくす笑い出す。
嗣平は、小山内がその言葉を気に入ったのかと思う。こいつは本当に何を考えているのやら。小山内は笑うこと十数秒、それから、
「興味、あったから」
ぽつねんと口を動かした。
「興味って、ウチに?」
「言ってたよね。妹がいるって。私も妹いるし、それに、杉内君、私の家に来た時、たづなと会ったそのときの感じから、なんか自然だった。だから、どんな妹さんなのかなって気になったの」
窓の外を見ると、街の景色が変わり始めていた。学生服らしいものもちらほら見え始める。
「いい、妹さんね」
「……そう。ありがと」
自分がほめられたでもないのになぜか、気恥ずかしい嗣平だった。
* * *
授業中、嗣平は視線を感じた。
乙女ではない。男だ。
しかも奴は自分の席の後ろで自分の背中を凝視している。教師が黒板に向かう隙をついて、嗣平の様子を窺っているのだ。何か変なところはないかな、いったいどんな風な学園生活を送ってるのかな、どうして今日はダンマリを決め込んでるのかな。そんなふうにして得た情報をノート代わりのルーズリーフに綴り、その検証結果を被検体本体に突き付ける様を想像すると、笑いが込み上げてきたよう。
チャイムが鳴った。
笑いも鳴った。
「あひゃひゃひゃひゃひゃ」
「バーカ」
「ひゃひゃひゃ……。お、反応アリ」
反応がむしろ目的を達成するきっかけとなったようだ。まずったと嗣平は思う。和也は何かを紙に記す。
嗣平はため息づいて、バッグをあさりながら、
「それ止めろ気分悪い」
「まあまあ、後でのお楽しみお楽しみ」
和也と向き合っている必要も別にない。なのに、わざわざ付き合っている。どこか、何か、紛らわせたいものがあるのかもしれない。あ、おにぎり発見。
嗣平は、あらかじめ作っておいたおにぎりを一つ食べる。まだ、2時限目終わりだというのに腹が鳴る。
片肘を机について、左手でおっくうそうに口へおにぎりを入れる。うん、うまい。
コンビニ袋を探る和也は、疑わしがる目つきで嗣平を見つめる。
何かを発見し取り出して、それから、急にトーンが変わった。
「あのさ、嗣平さ、昨日、どこ居た?」
「昨日? ……いえ、かな」
なんとかもっともらしい答えを発したが、正直、にわかに沸いたその昨日に少し逡巡した。
「家? でも返信くれなかったジャン。ほんとかー?」
「家にもいたし、ええと、そう、ちょっと病院にも言ってたんだよ。だから、頭がちょっと悪くてさ」
「顔が悪いの間違いじゃない、か?」
背中越しに保が声をひっかけてきた。
「うるせーよバーカ」
和也と保は笑った。しかし、違和感を嗣平は覚える。いつもとなんだかちょっと違うと思ったのだ。
ひとつ、気が付いた。
二人とも、嗣平といる時、確かによく笑う。しかし、何だか今日は気味が悪い。
へらへらとしている感じじゃなく、今日は何だかニタニタしている感じがする。
この野郎ども、何隠してる。
しかしその気持ちを正直に言っても、もっとニタニタは増しそうな気がする。
保はそんな嗣平をからかうように、
「で、病院って、風邪かなんか? でも、別に体調悪くはなさそうだぞお前」
「まあ、軽い頭痛があってなんかきもちわるかったか」
めまい。
その瞬間、肘が払われたように、すとんと嗣平が落ちた
保が、後ろから嗣平をさする。和也も、前から肩を揺する。
「おい、大丈夫かよ」
「今凄い落ち方したぞお前」
気持ちが悪い。世界が揺れる。なんだ、これ。
混乱が自分の全部に置き換わる感覚がする。くらくらとするたび、首筋と心臓にちくりと針がさす。そんな痛みが襲う。
嗣平は起き上がらない。
「お、おい! お前本当に大丈夫か」
ようやく、事態の深刻さを二人も咀嚼し、二人が吐き出す前に、教室にその波紋が広がった。周囲に、「どうしたの」とか「大丈夫?」とかそんな言葉が少しずつ撒き散らしながら、焦りが波及していく。
一人、その中心に近づく女子生徒がいた。
「保健室連れて行った方がいいんじゃないかしら」
小山内柚瑠は、何事もなかったかのように和也と保に話しかけた。
「あ、ああ。そうだ」
ぐったりしている嗣平を下から保がおぶるように持ち上げる。小山内は嗣平の顔を心配そうにのぞきこみ、
「大丈夫。保健室連れてくから、ちょっと我慢してね」
そういって、保と和也と小山内は、嗣平といっしょに保健室へと向かった。
嗣平の気持ち悪さは、首筋の針がさすたびに増した。
なんだか、気持ちわるい。




