12 よそはよそ
玄関の灯りにつかの間の安心を貰い、靴を脱ぎ廊下をわたって二階へ上るその途中、おそらく30年は優に超えたであろう生活の跡を、嗣平はきしむ床からかみしめていた。
小山内のおばあちゃんは案外普通のババアといった感じで、小山内がまさかこの時間にだれか連れてくると思わなかったのだろう。でっけえ屁をかまして、今に繋がっている戸を開け顔を覗かせ、それはもう見事な表情を見せ、そのまま嗣平と目が合う前にそそくさと隠れてしまった。
店長の言っていた手の付けられないババアにもかつては乙女心でもあったのだと、嗣平は知りたくもない知識を一つ増やした。小山内は「ごめん」と口にはしないが、そのしぐさから、あとが怖いことはなんとなく想像がつく。
2階に上がると、正面の引き戸を小山内はガラガラ音を立てて開けた。
「適当にくつろいで構わないから」
「わかった」
室内は質素なもので、畳に座布団と座卓が置かれているだけの6畳間だった。
その様子から、小山内が転校した来たということが案外最近だったのだと嗣平は思い出し、
「爺ちゃんちに来たみたいだなあ」
腰を落ち着ける。
そうすると、眠気と腹の気――もとい、食い気――が体の中にすとんと落ちてきた。さすがに人様の家で勝手気ままにお休みと洒落こむわけにもいかない。腹減ったと言うほど肝っ玉がデカくはない。
スマホをいじる気分にもなれなかった。
天井を見上げ、今日一日のことを何とか思い出そうとして、思い出せない記憶のかけら。
しょうがないので、その代わりに、浅い所に残っている記憶から辿ってみることにする。
直近の記憶はやはり、こうだったと思う。
*****
あの後、小山内から言われた一言に、嗣平はどういう意味で捉えるべきか判断に迷った。
良い意味なのか、悪い意味なのか。
いずれにせよ、厄介ごとに巻き込まれたいわば被害者であるような自分に、何らかの情報を得る手段はほかにあるかといわれると、何もないのも事実である。
だから、
「これから、私の家に来て」
この言葉には頷くことしかできなかった。
いつも通りの調子で、いつも通りの歩き方で、小山内は歩く。先ほどまでとはまとった雰囲気がまるで異なり、学校にいた小山内柚瑠を感じさせる。
「小山内の家って、富士見だっけ」
言ってから、こんな話している場合じゃないんじゃないかとか、それを聞いてどうするんだとか、己の浅はかさを攻めるも、
「そうね。もともとおばあちゃんの家なんだけど」
小山内は真面目な顔だ。それから、
「妹とおばあちゃんいるから、杉内君が妙な気を起こしても叩き出されるからね」
笑みをこぼした。
嗣平は小山内の意外な言動に固まる。
それを見た小山内は、してやったりといったところか。
「じょうだんじょうだん」
いまいちこの女がつかめない――
腑に落ちないもやもやにやられても、案外いやな気分ではない自分に首をかしげた。
*****
「ねーねー」
ひとり記憶の森を彷徨いニヤニヤとしている最中だった。
「ねーってば」
いきなり後ろから声をかけられ肩に手をかけられた。
嗣平は驚き半分気恥ずかしさ半分、振り向こうとして、思いっきり頭が遠心力に振り回される。そして、
刺さった。
一瞬とはいえ、目から指が生えた。
「ギャ――――――!」
「うわ――――――!」
「いたいいたいいたいいたい!」
けたたましく抜けるんじゃないかと思うくらいの音が階段の方から聞こえてきて、おそらく小山内だろう、
「なにごと!?」
声が飛んできた。姿は見えない。目が痛いから。
「目が。目があああ」
「いった―い! 突き指した――――――」
同時に叫ぶ二つの声。
どたどた鳴らす足音が室内に入ってきて、その光景を見て、その後がよくわからない。
何とか片目で入口の方を見る。
小山内はあきれていた。
「何してるの、あんたたち」
*****
よくよく考えてみれば、小山内には姉妹がいたのだから、何も幽霊に手をかけられたような反応をすることもないはずなのだ。
でも、こわいものはこわい。
そして、恥ずかしかった。
姉の方は、知ってのとおりの小山内柚瑠。なのだが、このちっこいのは、なんだろう。
ミニ小山内といったとでも言っておこうか。
「ミニとかちびとかいうな!」
じゃあ一号二号か。
そんなことを嗣平が考えていると、
小山内二号に、一号は、
「こら。ちゃんと礼儀正しくしなさい。というか、子どもは早く寝る」
「こどもじゃないもん! こども扱いしないで!」
「じゃあ、明日から弁当にピーマン入れるからね」
「!!!」
「あと大人だっていうなら、タマのトイレ掃除もあなたがやるのよ」
妹の方はうんうんうなりだし、
「……大人扱い、しないでよ。大人げない」
それきり、部屋を出て行ってしまった。
「ごめんね」
小山内は嗣平の方へ向き、座卓に両肘をついた。
なぜか正座の嗣平と、正面で向かい合う状態である。
「別に気にすんな。確かにびっくりしたけど」
「あの子、こっちにいたときまだ赤ん坊だったから、なんか興味津々で野良猫みたいに気が猛ってるみたいでね」
「小学生はそんなもんじゃね?」
「たづな、中学生だけど」
うそだ。どう見ても、中学生とは思えない。あれじゃあ小五くらいじゃ……。おつむもタッパもまだまだガキもいいところだろう……。
そんな顔をしてしまった嗣平に、
「やっぱりそう見えるのね。あれでも、中一」
小山内は念を押す。
そういえば、聞きなれない単語があったのを嗣平は思い出す。
「あのこ、たづなっていうんだ」
「名前、言ってなかったわね。手に綱ってかいてたづな」
「ふーん。あのちびっこがねえ」
「あんまり本人の前で小さいって言わないでね。結構気にしてるみたいだから」
「うん。わかってる」
妹といえば、自分の妹はどうしているのだろう。
ふとそんなことを思って、嗣平はポケットに手をかけようとした。
しかし、
「じゃあ、本題に入ってもいい?」
小山内の真剣な顔がそこにあった。
もちろん――。
その返事の代わりに、嗣平はうなずき、それから姿勢をただした。
*****
「まずは、そうね。何から言おうかしら」
一口、湯呑みを飲む。
「正直、あなたを巻き込んでしまっている当の本人が言うことでもないとも思うんだけどね。本当はあまり話したくはない。そうは思っているってわかっておいて欲しい」
「でも……」
「そうね。でも、知りたい。わかる。だから、私も考えた結果……」
小山内は3本指を立てた。
それが意味していることは何かわからない嗣平は、ただそのまま、
「……さん?」
「そう。3つだけ教える。それが嫌なら、最終手段」
小山内は腰につけていた嚢を座卓に乗せる。
その中からゴロゴロと見たくもない武器が転がり出てくる。
「全部忘れてもらいます」
その尋常じゃない目つきに、さすがに冗談が言える空気ではない。嗣平も息をのむ。
物理的手段で出られたら、自分が勝てるわけがない。あの変な敵みたいなやつと、己の姿が重なる。なんとか打ち消す。
はじめから、答えは一つしかないのだ。
嗣平は武器から目を離す。
「それで、3つでいい。そして、他言無用。それでいいんだろ」
「物わかりが良くて助かるわ。じゃあ、もう一つ条件。」
ちょっと固まった空気が和らいだ。
「質問も禁止」
「うん。言うと思った」
それを聞くと、小山内は笑みを見せ、手を一度打ち鳴らし、
「じゃあ、始めます」
そういって、話し始めた。
壁にかかっている時計が、12を回り、4月10日は過去のものとなった。




