11 大人とこども
中古車屋の裏へと続く夜の道はひどく見通しが悪く、小山内の言う「何か」が何なのかを理解するまで暫し時間を要した。
停止していた思考もそのせいもあってかとりあえずの形を成して、時計が動き出したかのように急速に培われる嗣平の理解もよろしく、小山内はその先を一歩踏み込んだ。
小山内はホルスターのごとく腰に巻いた嚢に手をかけ、そのまま暗闇を睨みつける。
「荷物を置いて、こっちを向きなさい」
暗闇の中から、シルエットがゆっくりと大きさを増す。
人だ。
嗣平はしかし、そこまでしか目視で確認はできなかった。顔や髪型は判然としないが、影の大きさからなんとなく量ってみるも、得られた情報はその人物が男なのではないかと推理ができる程度。
人をかたどった影はさらに大きさを増す。
それに、小山内は姿勢を保ったまま言い放つ。
「止まりなさい。向けといったのよ。来いとは言っていない。それ以上近づくと……」
嚢中で金属が擦れる音が響いた。
足音はそれきり消える。
「それでいいわ。いくつか質問に答えて」
「……何だ」
嗣平には未だその顔がはっきりと見えない。
しかし、どこか心当たりのするその声に、他人事のような過去の記憶と、その中でなんとなく心当たりのある口ぶりと一致しないその人に、薄気味悪さが増してくる。
今すぐこの場から逃げ出してしまい気持ちに駆られた。
それでも、足は根を張って動こうとはしない。
「あなた、ここで何をしている……いや、していたの」
小山内の問いに、その男は、
「それよか、いいことしないか。ビジネスだ、お嬢ちゃん」
「ふざけないで質問に答えて」
「ふざけてなんかいない。ただ、そっちの野郎も混ぜて楽しく――」
「だめ。質問に答えなさい」
その男のシルエットから、男は頭を掻いたのだと嗣平にも理解できた。もう、あの男とこのシルエットとは概ねの一致を見せ、嗣平の中では次第に問題が「何が」から「なぜ」へと変わりはじめている
「わかったよったくしょうがねえ。仕事だよ。しーごーと」
「針を抜いたのもそうするとあなた?」
「間接的には、イエスだ。いやしっかし偉いねお前。もう大体わかってるだろうによくそんな毅然としていられるね。俺にはできねえなあ。やっぱり男より女のほうがタフだなしかし」
「狙いは、何?」
いい加減付き合うのも嫌だと言わんばかりに、小山内は言葉を放った。
「ありゃ。お堅いねえ。ま、いいけど」
男は煙でも吐くようなしぐさを見せ、大きく深呼吸。
「厭の回収だよ」
「……そう」
小山内は、手を腰から離した。
男は、それを見てか見ずかわからないが、また接近を始める。小山内は何も言わない。
今度ははっきりと嗣平にもわかる。
二人の話は今のでもう終わったのだということ。そして、自分は何も分からなくて、それでも口をはさむ資格を持たないこと。
男は小山内を見ながら、
「ま、それが賢明だ。こっちのことはちゃんとこっちでやるよ」
建物の陰から現れたその手にはコンビニの袋をぶらぶらさせている。その音すら聞こえないくらいに、さっきは緊張していたのか。
そう思うと、嗣平は己の矮小さに姿を隠したい衝動にさらされる。
「よ。また会ったな」
若槻はいつもの若槻と変わらない様子で、声をかけてきた。
* * *
「話はなんとなくわかったか」
若槻は今度は嗣平を見ている。
「……まったく」
嗣平が小声でつぶやくと、若槻は大仰に笑った。
「だろうな! あはははははははっははあ」
「な、何がおかしいんですか」
「はあ」
声は止んでも、若槻は笑顔のままだ。
「ほら、ま、説明はあとあと。お前の仕事やんなよほら」
「仕事ってなんだよ!」
思わず敬語ではなく、裸の疑問を突き付けていた。
「聞かされてなかったのか? おい。嬢ちゃんよ」
小山内は話を聞いていなかったのか、もう一度若槻が呼びかけて、それから少し間をおいて返事をした。
「何よ」
「こいつに挿すように説明しなかったのか」
「したわよ。 復唱もさせたわ」
「ほら、されてんじゃねえの。じゃあ出番だ。だしな」
そう言われると若槻は嗣平の手を引っ張りそのまま元の針を拾った場所に連れ出す。
小山内はその場から動かなかった。
「ほら、針出して、親指と人差し指でつまめ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
急いでブレザーのポケットの中を探す。
しかし、
「あ、あれ?」
「どうしたよ。まさか、」
「いや。ちょっと待って」
ズボンにも手を突っ込んで、いつも通り財布とスマホがあるのは確認できた。しかし、
針がない。
そんなはずはないと2回3回とポケットを探すも、見つからない。
「どうしよう」
「どうしようじゃねえだろ。何か心当たりは?」
「ない」
「少しは考えろよ! ノータイムで胸張って言うな!」
そう言うと、若槻はコンビニ袋を探りだした。目的の者を発見したらしく、それを取り出すと、嗣平に突き付けた。
「しゃあねえから代わりにこれ挿しとけ」
嗣平が渡されたのは、焼き鳥の串。
「こんなんで大丈夫なの」
「一日二日くらいなら、な。ほら、早く」
嗣平はしぶしぶ元あった穴にその串を突き刺す。「ねぎま」と書かれた持ち手の部分が余計にみじめったらしい。
「で、だ。本当に心当たりがないのか。たとえば、今日一日どこかに出かけたとか。誰かと遊んだとか。そういうの」
背中越しの問いに、嗣平は今日一日のことを思い出そうと頭をぐるぐるさせるが、途中から記憶があいまいになる。
そのくらい、朝の出来事が尾を引いているのだろうか。
何かほかにあったような気がするのだが、その度に「あっち行ってて」という声が聞こえる。
奏の声で。
「その調子じゃあ本当にわからんみたいだな」
「ごめん、なさい」
「別にいいけどよ。……いや、やっぱりよかねえか。待ってろ」
若槻は、そこにいたと思ったのもつかの間、いつの間にか小山内の方に移動していた。
何やら二人は話をしている。
いつの間に、どうやって移動したのだろう。
そんな疑問もわいてはきたがそれも長続きせず、また恐怖が支配した。
自分の消えた記憶。その間に何があったのか。自分は何をしたのか。誰かに何かをされたのか。
今の自分一人を残して進んでいくすべてに、嗣平はただ何もすることができなかった。
* * *
「結局、あなた何がしたかったわけ?」
「聞かなくても解ってると思うが? 多分、お前の思っているとおりだ」
小山内は銃が弾を放つごとく、豪勢なため息をついた。
「で、どうするのよ。こっちにせっかく帰ってこれたって言うのに、これじゃあ始末書喰らうわ」
「まあ、針を見つけるという手もあるが、あともう一つあるんだが。どうだ?」
その笑みがいやらしい。まったくもって、答えが分かっているかのように、人を見下すその目が。
「いや。あなたが全責任を負うべきだわ」
「そうかい。でも、始末書書くくらいなら、俺はそっち取るけど」
「……あなたのことは信用ならない」
「別になにもしねえって。そもそも――」
若槻は自分の口をおさえた。
「そもそも、何?」
なんでもないとばかりに、手で口をおさえたまま首を振っている。
「まあ、ポンコツな失敗するような人、どちらにせよ信用できないわ。どうせ、厭を刈ってボーナスでも貰おうという魂胆だったんだろうけど、それだって立派な規約違反。あなたのかあちゃんにでも叱られればいいのよ」
若槻はニヤケ面で口を開いた
「わかってんじゃねえか。そんなポンコツ相手なら、何も心配するこたあねえだろ」
なかなかやる。皮肉というのはどこか自虐を含むとなかなか相手にしづらい。
しょうがない。ここいらが手の打ちどころなのだろう。小山内はしぶしぶといった風に、
「わかったわよ」
そして腰の嚢から一つ、紙を取りだした。
「じゃあ、これ、書いて」
「“封”か……。“減”じゃダメ?」
「ダメ。ほら、早く」
その時、紙を差し出した小山内の左手を見て、若槻の顔色が変わった。
小山内の手首をつかみあげる。
「お前、これ……」
赤く染まった5本の指は、痛々しい血塊があちこちに見て取れる。
「あんたらの仕業でしょう。駅前の」
「駅前?」
今となっては、特に秘密にすることでもない。むしろ、こっちはあんたの考えなんかおみとおしよ、と言う態度を見せてしまえば、それが抑止力になるかもしれない。
それに、己の能力がそこまででもないと思わせることができれば――油断一生とやらだ。そのときに間抜け面かいてもしらないから。
一人そんなことを張り巡らせている小山内に、
「駅前の方は、カタづいてたんじゃないのか……?」
「は、だれがそんなこと」
「ちょっと待て、それじゃあ、あいつ、杉内嗣平。あいつも見たのか」
若槻はちょっとこれまでと雰囲気が変わった。
その若槻の驚きに、小山内も驚く。
「そ、そうだけど。なに、自分は関係ないとでも? あなたがここにいて、彼があそこにいた。理由は簡単。注意をそらしてこっちで一儲け、と。じゃないと、あんなところ――」
「いいか。聞け」
鋭く刺した言葉が、小山内の動きを制した。
その棘は一度射抜いたものを手放そうとしない。それまでとこれからがまるで断裂してしまったかのような錯覚を覚え、その男の放つ言葉が心根に無理やりしみこんでくる。
「報告では一つきりだった。分かるな? 言ってる意味。信用に値する情報元だ。下級とはいえそれが複数出てきたのなら、もしかしたら泉が湧くことも考えられる。 それも分かるはずだ。俺もそうと知ってたなら、こんなところでブラブラしてらんねえよ」
いちいち言われなくてもそんなことくらいはよくわかっている。そんなことが聞きたいわけではない。
その後ろに控えている「大物」の引き出しをとっとと開けと言わんばかりに、小山内は、
「……つまりは、何が言いたいの」
「一つ一つ調べる。それは俺が当たるから、頼まれごとをしてほしい。それが済んだら”減”だろうが、”封”だろうが何でもしてくれて構わない。だから」
そう言うと、若槻は指を指して振り返る。
指の先には、杉内嗣平の姿がある。
「あいつちょっと貸してくれ」
……。
……。
「はあ!?」
聞き違い。
そんなことが脳裏をよぎったが、どう聞いても聞いたままの意味でしかないように、つまりそのままの意味以外に思考が至らない。
小山内の動揺はそれはもう見事で、手からは“封”の紙は落とすは、開いた口はそのままだわ、それを見た若槻も思わず笑いをもらすほどだった。
「なんだ、そんなに大事かあいつのこと」
「違う。違う! そうじゃなくて、一般人巻き込んであまりにもわけのわからないことぬかすからぶん殴って煮て焼いて食べて吐いてお腹がたまらなく狂ったようにわめいて」
「何言ってんだお前」
また雰囲気が変わった。今度のは、溶けた、という感じだ。
「まあ好き嫌いは冗談としてもだ。ただ貸してくれないなら、説明をあいつにしてやってほしい」
小山内は黙ってしまった。
「針の捜索も何があったのかもこっちで調べる。だからせめて、消すのではなく教えてやってほしい」
そう言われても、小山内は即座に、はいもいいえも言えなかった。
本当になんて言っていいのかわからないのだ。
本人に聞け。そう言ってしまってもいいのだが、巻き込んでしまったがてら、そう言うのも無責任に思えてならない。
しかし、本人を呼んで話をするわけにもいかないのは、目の前の男も同様のはずではないのか。
それよりも大切なことが、そんなに重大なことでも起きているのだろうか。
小山内は二つを秤にかけて、答えを出した。
「……やっぱりだめ。杉内君は巻き込んじゃいけない。あと紙は書かないでいい。でも」
一息で言い切れなかった言葉が、呼吸に遅れてやってくる。
「今回は、一応だからね。だから、だから……あとで全部教えるって約束して」
その言葉が月なのだとしたら、若槻の顔に浮かぶ陰はやはりその言葉によってもたらされたのだろう。
事の深刻さは、思っているより深い根を張っているのかもしれない。
「わかった」
それだけ言うと、杉内嗣平の方を向くこともなく、若槻は去っていった。
小山内柚瑠は、一人、その方角を見て、
「……どうしよっか」
そうつぶやいた。




