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10 厭(オーン)

ここから、造語も増え始めます。ご容赦のほどを。

 音を吸い込み吹き飛ぶ数多の塵芥を照らすは駅の照明と天に浮きし星々。

 月は満面の笑みをこぼし、小星の群れは爛と鳴り、ままならん時を訥々と告げるばかり。

 普段の半分どころか、他に人っこ一人見当たらないロッカー近く。

 照らされる影が二つ。

 ひとつは小山内おさない柚瑠ゆずる

 もうひとつは杉内嗣平すぎうちつぐひら

 杉内嗣平の見るもう片方は、姿かたち大きさの精度を増す。

 見れば見るほど、あの、小山内柚瑠だった。

 白日の陽光を背に受けていた姿とは違う。

 その表情にも毅然とした尖りが失われ、先程まで手にぶら下がっていた針は手綱を離れ、今は地面に寝転んでいる。

 声がでない。

 近づいてくる小山内に嗣平は声をかけようとして、言葉が喉をつっかえて、ぐちゃぐちゃの思考を放つ術を他に見つけられずにただ一度己の喉が鳴るのを聞いた。

 ようやくのことで、何かを話そうとする思考に口が追いつこうとした時である。

「なんで、ここに、いるの」

 先に口を開いたのは小山内だった。

 その表情からは、怒ることも、笑うことも、その他の表情をも、見てとることができない。

 真顔。

 いったいどうすればいいのか。

 理屈をこねくり回した嗣平の顔が次第にひきつった笑顔へと変わり、放っておけばそのまま泣き顔へと変わるその直前、なんとか実際の声よりも大きな勇気を振り絞り、

「わ、わから、ないんだ」

「そんなわけないでしょう。べつにただ――」

 その時だった。

 小山内は言い切るすんでのところで、強い力に引かれたように後ろを振り向いた。


 * * * 


 最初は小山内の置いた荷物が動いたように思ったのだが、しかし、じれったいと言わんばかりに弾む音を打ち鳴らし、それは伸びては悪意を晴らすように姿を大きく見せる。

 異形。嗣平の目に映ったそれに、脳が拒否を示し言葉を失う。

 しかし、そいつに突っ込む女をただ目で追い、三度しばたいた後、その姿は小山内で上書きされた。

 彼女の動きは、冗談めいた肉食獣のそれと映る。

 投擲。

 避ける仕草を見せない異形に、小山内の逆の手を月光が照らす。

 血袋を破ったような赤が灯る指先。

 それだけが目に焼き付いて、気がついたら、異形は消えていた。

 幕引き係が、その幕を下ろす。

 いかなる混乱をも結論づけるつもりなのかその闇が再び姿を薄く、存在はむしろ濃く、一切の感覚を麻痺させていく。

 月に雲が差し掛かった。

 だが、心を一突きするためか、月光が再びその幕を開くように差し込む。

 もう声を出そうとも思わなかった。

 小山内が、ただ一人、月夜に照らされている。

 きれいだ。

 そう思った。


 * * * 


 そうも言っていられたのも短い間。

 感動も二度三度、四度五度、と押し寄せても来るのであれば、呆けた嗣平の面にも異なる色を塗りたくる。

 その後も異形は姿を現し、その度に小山内は赤き輝きを放った。

 血。

 灼けるような臭い。

 次第に嗣平にこんな感情がやって来る。

 怖い。

 異形も、それをやっつける小山内も。

 最後だと思われし一匹? を燃やし、喘ぐように空気を吸い込んで、ようやくといったばかりに、小山内が嗣平と対峙し、顔が面した。

 面するやいなや突っ込んできた。

「うわ! ちょくぁwせdrftgyふじこ」

 そんな声にならない声をすり抜け、小山内は何かを放つ。

 灼ける音がする。

 その背後に、ドブ川のような臭気と何か消える気配がする。

 音は、嗣平の後ろのそいつが消える音だったと、理解がおよび、嗣平の背中に汗が滴る。

 音が失せ、荒れに荒れている小山内の呼吸がそれにかわって耳に入る。

 聞くまでもないのに。

 口にしないと不安だった。

「だ、だいじょうぶ?」

「じゃ、ない、のは、わかるでしょ」

 最後のわかるでしょを一息で言うと、小山内は嗣平を睨み付ける。

「あ、なたこそ、だい、じょうぶ?」

「怪我とかは特には。うん。特にはないけど」

「良かったぁ」

 ため息と一緒に、その言葉を吐いたみたいに、まだぜえぜえ息をきらす。

「また、怪我人出たら、嫌だった、から、そ」

 消えた。

 小山内が停止したように嗣平には見えた。

 その目は依然として嗣平に向けられている。しかし、呼吸がその音を消し、

 仮面のような顔がそこに鎮座している。

「そういえば、なんで。そうよ。なんで」

 突如としてぼやきだす小山内に、嗣平、どう言葉を取り次いでいいかわからず、

「え。な、何が」

「なんで怪我してないのよ」

「怪我はしてないよ。小山内が守って」

「違う! そう言う意味じゃなくって、何て言ったらいいか、えっとその、そう! あなたにオーンがよってこなかったのかって。それに、封印が明らかに」

 ぐるぐるこねこね脳みそのリソースを最大限に瞬時に回しだしたのか、小山内がうーんうーんと唸りだした。

 うつむいたまま、唸り続ける。

 怖いけれど、このままにしておくわけにもいかないので、嗣平も勇気を出してみることにする。

「だ、だいじょうぶか?」

 うーん。うーん。

「お、おいって」

 つまり。ああもう。あ。そうか。いやでも。しかし。うーん。

「おい。おい。しっかりしろよ!」

 返事がどうも的を射ない要領を得ない意味わかんないのないないないづくしで、嗣平もどうしたものかとポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出そうとすると、

 小山内にその手を掴まれた。

「あなた。なにもってんの」

「何って。なにも変なものは」

 その時、嗣平に電流走る。

 汗が出る。手が滲む。唇がしぼみ、アゴにしわができる。

 2つ、思い当たるものがある。

 ハンカチと針。

 ヤバいと思った。

 ハンカチは小山内に返し忘れたもので、針だって小山内が持っていたのとすごく良く似ている。

 似ているというか、多分、同じだと思う。

「何、も、変なものは、ない、ないありよ」

 変な口調になってしまった。

 小山内は何もしゃべってくれない。突っ込んでくれたら、この気まずい空気もなくなるのに。そうだ。彼女が悪い! 意味がわからない。ちゃんと説明してくれても

 ブレザーのポケットに手が突っ込まれた。

 彼女の手が引き抜かれ、その手には針がある。

 嗣平の、自分の顔とその針を何度も往復する小山内は可愛い。

 彼女は大きく肺に息を吸い込む。嗣平は、彼女から逃れるように背中をそらそうとして、やって来る言葉を少しでも遠ざけようとした。

 無意味だった。

「早く言えーーーーーー!!!!!!」


 * * * 


 駅から嗣平の家まで自転車で10分かかる。その家から爆発物騒ぎの場所までは自転車で8分ほど。

 その距離を足し算した距離が、今回のランニングコースとなる。

「早く走って!」

「ちょっ」

「ゴタゴタ言わない! いい? さっき説明したこと覚えてるわね!」

 なんか普段と全然違っている小山内は、気持ちを飛ばして足を前へぐいぐい進み、たまに振り向いては後ろに激を飛ばす。

 嗣平はじたばた足を踏み出すも、さっきから小山内との距離は開くばかり。

 返事をする余裕はもちろんない。むり。

「返事いいいいいいいい!」

「はい! はいいいい!」

 彼女は心を読んだのか。

 そんなわけもない驚きに、ただでさえ苦しむ心臓がさらにドキリと刺激を増した。

「復唱! あなたが抜いた針を元に戻す!」

「私がああ。自分で抜いたのをおおおお。あなにいいい。ぶっさしてええええ。も、もとに、も、どすうううううううううううううう」

 ちょっと間があった。民家の二階に電気が付いた。

「……大丈夫ね。じゃあスピード上げていくわよ」

「鬼かああああああああ」

 走って走って、この奔走はそのまま海まで続くのではないかと思うと、気が遠くなりそうだった。

 しかし、何とか体とは別に、嗣平の脳内で話の糸筋が見えてきていた。

 小山内が言っていたことは簡単だ。

 針は抜いた人が挿し直さないと意味がない。

 だから、抜いた自分が挿さねばならぬ。

 彼女はこう言う。

 理由は、あとで言うから。

 だって。

 そんな言葉をそのまま素で受け取り、今、嗣平は小山内のケツを追いかけている。


 * * * 


 順調に目的地に近づいていたはずである。

 なのに、足音を急に消し、走るというより歩く速度となった小山内は、

「静かに」

 そう言った。

 もはや拒否権などハナからないとも嗣平は理解しているのか、ただ一度首を縦に振る。

 ただ、何が待っているのかが知りたくなって、自然と小声で尋ねる。 

「なんで急に?」

 小山内も小声で返す。

「気配がするの」

 気配。嗣平にはそんなものはみじんも感じ取れない。

 針を拾った場所まで距離にしてあと200メートルはある。2回曲がって、建物を通り過ぎたその裏にいる、「何か」がこの位置からわかるというのか。

「駅前のアレみたいなやつか?」

 口に出してみると不安になったのか、不思議と爪が掌に食い込んだ。

「違う」

「じゃあ」

「いいから。私のそばから離れないで」

「……わかった」

 一歩一歩また一歩と近づく小山内の背だけを視界に収め、ついて行く。

 いくら夜歩きなれている嗣平であっても、違う夜が来る度に怖いという感情は湧いてくる。ひとたびその感情を乗り越えてしまえば、たかが春の日常、そんな夜の一つでしかなかったのだと、心を穏にも落ち着かせるものである。

 しかし、今日は何かがおかしい。

 一度日常から抜け出そうとして、そこから抜けきれなかったせいなのか、だんだんとその暗さは鋭さを増していくように思えてくる。

 風が吹くたびに、自分が照明に照らされるたびに、息をするたびに、一歩踏み出すたびに、心臓の高鳴りが胸を刺す。

 小山内が嗣平を見た。

 ためらいのない唇に少しの恐怖が点っているのか、斑に見え隠れする目には自信が灯っていないよう嗣平には映る。

「準備は、いい?」

 いつの間にか、もう、建物までやってきていた。後は曲がるだけで、その「何か」がわかる。

「うん」

 指折り数えるほどしかもたない勇気を、振り絞って嗣平は答えた。


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