00 ロッカー
拉致られた。
今、嗣平は自身がどこにいるのかようやく理解できた。
最新技術というのは凄い、とよくTVでも放送されている。テロ対策が強化された今、いろいろな物も作られては使われている。
こんなのがある。
特定の時間を過ぎるか、または、特定の時刻になった際に、自動ロックが解除され中の荷物を外へと放り出す装置。それから自立型検査装置が近づいてきてその荷物は検査され、危険性が万に一でも発見されれば、有無を言わさず消去される。
自分がいるのはそんな場所だった。
その場所は、日々、たくさんの荷物が一時的に収められる場所だ。
人間を入れて、放置しておく場所ではない。
しかし、嗣平は何故かここにいる。
千馬駅の下に3つ並んでいる内の、どこかのコインロッカーの中に。
* * *
最初はパニックに陥った。
真っ暗で、狭くて、音が妙に響いて、何だか苦しくって、死んじゃうかってくらい怖かった。
実際、その場所に入っている荷物は、いつもこんな死んじゃうかもしれないって思っているのだとしたら、人間は大変申し訳ないことをしているかもしれないと思う。
しかし、それらには意識はない。
でも、杉内嗣平には意識もあれば、親からもらった名前だってある。
だから、最初はパニックに陥った。
掌で、肘で、膝で、頬っぺたで、自分の生存領域を確かめて、硬くてひんやりとするその感触に、何かに閉じ込められていることだけを次に理解した。
それから、嗣平は己の体を探ってみた。欠損はないし、痛みもない。吐き気はちょっとあるが、吐く気はない。
制服のズボンを確認する。形から、スマホと、財布は無事手元にあることがわかる。左手の肘でブレザーを叩く。感触はない。右肘を何とかブレザーのポケットにぶつけて、ひしゃいだ紙の音から何かあることをさ
何かある。
嗣平は無理に体勢を変える。ポケットに手を突っ込む。
一枚の紙きれがあった。
その紙が答えをくれた。
暗くて文字は見えなくても、なんて書いてあるかは知っていた。
今、杉内嗣平がいるのは、4月10日夜10時の、千馬駅下のコインロッカーだった。
* * *
あの男は以前言っていた。
「明後日の夜10時、千馬駅の階段下のロッカー。そこでいいものが見れるぞ」
無理やり指で引っ張り出したスマホは、午後9時58分を表示している。
SNSの未読履歴が二桁に達して、すぐさま返信したい気持ちに駆られるが、もう夜10時はやってきてしまう。
いいもの。
あの男、若槻。
あいつは結局何者だったんだと思う。
嗣平は、その男に疑心を抱く。しかし、もし今の自分を助けてくれるのだとしたら、若槻しかいないような気もしている。
全部、仕組まれているのかもしれないけど。
でも、何のために?
そう思っても、答えは浮かんでこない。一生徒である、何の能力もない自分を捕まえて、何の意味があるというのか。
結局、自分をちょっとでも安心させてくれるような答えは、やってこない。
ただ、今、信じているのは、若槻の言っていた「いいもの」が本当に「いいもの」であってほしいということだけだった。
9時59分。後1分。
覚悟を決める。
呼吸を整える。
心臓は拍動を強めていき、いつまでも来ないでほしいとも早く来てほしいとも思う、1分後へのカウントダウンを勝手に始めているようだった。
気持ちだけでも準備をしておかねばならない。
嗣平はいつも思っていた。つまらない日常が変わってくれないだろうか、と。
しかし、いざその時が来たかと思うと、日常はそんなに悪くなかったようにも思えてくる。
それでも、こう思う。
見てみたい。
自分が失った物の代わりを。何か、己の知らない世界に触れてみたい。
午後10時00分になった。
* * *
ロッカーの扉が自動で開く。
嗣平は転げ落ちる。外に放り出され、周囲が思った通りに千馬駅のような場所であることを確かめ、急に安心感が押し寄せてくる。
照明の眩しさが急に訪れて、嗣平は目を細めた。
視界が、まだ回復しない。
はやく、はやく。はやくしろ。
それから、だんだんと灯りに慣れていき、細長かった世界もだんだんと開けて行って、影の中から、誰かの姿が大きくなってくることに気が付いた。
慌てて、ロッカーの物陰に背中をくっつけ、首だけをねじって視界の左端だけで姿を確認しようとしつつ、後方からやって来る足音に耳をそばだてる。
足音が止まった。
まずい。気付かれたかもしれない。
別段、犯罪をしているわけでもないのに、なにか罪悪感を感じて、嗣平はより一層身をちぢこめる。
足音が止まったのは、何かそこで代わりに作業を始めたからのようだった。
カチャカチャ何がぶつかっているのかは知らないが、何か作業を行っている。嗣平には、その音が自分へ向けたメッセージのように思える。
カチャカチャ。
カチャカチャ。
音が大きくなったような気がする。近づいてきてる。そう思った。
しかし、音の大きさは別に変わっていない。己の恐怖心が、自身の五感を研ぎ澄ませ、ありもしないでっち上げを行い始めていることに、嗣平は気が付いていない。
当然、でっち上げを根拠に頭を作戦を考えても、的外れな結論しか出ない。
音が消えた。
その存在が消えた。
音が消えたということはどういうことなのだろう。つまりは、その人物は消えたのではなく、作業がひと段落ついて一息ついたのだと考えるのが自然に、理に適う。ふつうならそうであろう。嗣平は冷静であれば、その結論に行きついたのかもしれない。
しかし、やっぱりでっち上げてしまった。
先制攻撃。
この結論は間違っているのに、それ以外、嗣平には浮かばなくなってしまっていた。
* * *
3、2、1、
心の中でタイミングを計り、震える握りこぶしをより一層握りしめ、腕力を込めて、左のポケットにずっと渡しそびれたものが入っている事に気が付いて、
0。
ロッカーの陰から姿を現し、そして、一歩だけ踏み出した。
しかし、そのあと。
ただ立ち尽くした。
「なん、で……?」
嗣平の目に映ったのは、あまりに意外な存在だった。
夏服の、他校の制服姿の、肩より少し長めの黒髪の人間。
初めて見た。彼女の驚く顔を。
なんで、こんなに驚いているのだろう。
小山内柚瑠が、目の前に、いた。
* * *
記憶の中から、若槻がささやきかけてくる。
「女は知り合いか」
それから、立て続けにこうも言った。
「止めとけ。危険だ」
危険。
小山内の右手には、見覚えのある、太い針が握られていた。