(2)
ふたりを始めに結びつけたのは、爪はじきにされた者同士の奇妙な共感があったことは、たしかである。
そもそも地方出身のいわゆる「田舎騎士」として出世が望めるような後ろ盾を持たないユーインが、王子であるアシュリーの側に仕えることになったのは、偶然にも彼女の秘密を知ってしまったからだった。
そのときのユーインは単に王子らの遊行の数合わせに集められたに過ぎなかった。それがアシュリーが川水で月の汚れを流している場面を目撃してしまって一転、秘密を知ったのであれば目の届くところに……と彼女の側付きの騎士にされたのである。
もしかすればユーインを始末してしまえという声も上がりそうであったが、それはさすがに不憫だと先手を打ったのは他でもないアシュリーであった。
こうしてあれよあれよという間に、ユーインは一介の騎士から王子直属の騎士へと、一見すれば栄転を得たのである。
最初は、特別な感情など抱いていなかった。強いて言えばアシュリーがユーインに感じていたのは「申し訳なさ」くらいである。
まともに会話を交わしたのは、剣技の師にしごかれて、いつものようにへとへとに疲れ切った晩のことである。
ユーインは不思議そうに、そしていささかの哀れみを持って、なぜ剣の扱いに向いていないのに、そんなに力を入れるのかと問うた。
アシュリーは生来からして、体が頑強なほうではない。しょっちゅう熱を出して寝ついていたし、ともすれば明日には疲労から発熱するかもしれない。
それに体格も恵まれているとは言い難かった。女であることを差し引いても、アシュリーの体躯は貧相のひとことに尽きる。
だからユーインは婉曲に「なぜ無駄なことをするのか」と問うたのだろう。嫌味な気からではなく、合理をよしとする彼の気風からすると、アシュリーの行いは純粋に不思議だったに違いない。
「……そうしないといけないからだよ」
「他のことではいけないのですか」
「たとえば?」
ユーインはちょっと考えるような顔をしてから口を開いた。
「そうですね。殿下はギターを弾くでしょう」
「そうだね」
「そういうのではいけないのですか?」
その無知さを、というよりはあまりにも無邪気な答えに、アシュリーは自然と笑みがこぼれた。嘲りでなく、それは安堵にほど近かった。
ユーインはアシュリーよりずっと年上だと言うのに、妙なところであまりにもまっすぐ過ぎた。
「うーん……それは王子に求められているものではないからね」
「それもそうですね」
己の答えを恥じる様子もなく、けろりとした顔でユーインは納得した様子でうなずいた。
「けれども、殿下がこのまま剣の授業を受け続けても良いとは思えないのですが」
「どうして?」
「それは殿下ご自身がよくわかっておいででは? 授業のたびに熱を出していては、体が持ちませんよ」
アシュリーはベッドに寝転んだままユーインを見た。彼の黒い瞳は薄暗い部屋の中では夜の森のような闇色で、吸い込まれてしまいそうだとアシュリーは思った。
真摯な瞳。そんな目でアシュリーを見てくれる人間はいくらいるだろうか。母だってこのような目でアシュリーを見てはくれない。
「ユーインは」
「はい」
「なぜそんなことを言うの?」
ユーインの言葉は、自惚れでなければアシュリーを心配しているように聞こえる。
けれどもアシュリーはユーインからそのような気を配られる覚えはない。むしろ辛く当たられても仕方のないようなことを、彼にした記憶ならある。
ユーインはアシュリーの直属の騎士たちの中でも浮いていた。元からいた彼らから、田舎騎士と面罵されたことも知っている。
けれどもユーインにはどうすることだって出来はしない。王子直属の騎士の任を降りようとすれば、頭が首とくっついているかは怪しいからだ。
それでもユーインは彼らの安い挑発には乗ることはなかったし、かといって任務をおろそかにするようなこともなく、実直に働いてくれている。
それがアシュリーには不思議でならないのだ。たとえユーインがくさしたって、アシュリーは咎めなかっただろう。いや、咎める権利などないだろう。だけどユーインはそんな様子は一度として見せたことはなかった。
「なぜ、とは?」
ユーインは心底不思議そうな顔をしてアシュリーを見返した。寝室は薄暗いのに、アシュリーにはそんなユーインが至極まぶしく見えた。
「ユーインが私の騎士になったのは、事故みたいなものだから……。だから」
「だから、心配する義理はないと?」
「……なんだ、わかっているんじゃないか」
アシュリーは無理に笑みを作る。けれどもユーインは笑わなかった。
「私は、殿下の騎士です」
「うん」
「そうなった理由がどうであれ、私は騎士としての義務を果たしたい。そう思っています」
「うん。……そうか」
義務、というその言葉にアシュリーはちょっとだけ傷ついた。当たり前だというのに、わかっていたというのに、改めて言われると少し辛いのはひととして仕方のないことだろう。
「――そう思っていましたが」
「え?」
「今は、殿下に仕えることが出来て良かったと、心から思えるのです」
「ユーイン……」
そこで始めてユーインは微笑った。いつものいかめしい、生真面目な顔ではなく、柔らかな微笑をたたえて、アシュリーを見ていた。
「殿下はだれよりも頑張っていらっしゃる。それが、私には誇らしいのです」
「ユーイン」
アシュリーは不覚にも泣きそうになった。けれどもそれをぐっとこらえて、代わりに笑って見せた。
「ありがとう……ユーイン」
ふたりの距離が近くなったのは、それからである。