第8話 従順なる奴隷ちゃん
第8話 従順なる奴隷ちゃん
これはエクトプラズム…!
そうだ、あんたには俺が見える、俺を感じる事が出来る。
あんたは霊感体質なのだ。
ならば職人霊と接触してエクトプラズムを出す事が出来ても、何ら不思議はない。
しかもこんな電灯の明るいところで。
あんたの霊能力はきっと強い。
俺がエクトプラズムをつまんで引き出した事で、あんたの意識はなくなった。
俺の目にあんたはただ、すやすやとうたた寝をしているようにしか見えない。
そして霊はエクトプラズムを利用する事が出来る…。
それをいい事に、俺はあんたのエクトプラズムを口から吸い込んだ。
すると色付きの気体でしかなかった俺に、実体がよみがえった…。
「こいはまこち良か事じゃっどな…」
俺の片足の爪先から糸のような物が出て、霊媒のあんたと繋がる足枷になっている。
そんな物どうでもいい、遠くへなど行けなくとも良い。
俺はあんたを傷つけたいだけなのだから。
積年の恨みだ、めちゃくちゃにしてやるよ…俺は眠るあんたに手を伸ばした。
熱いというほどではないが体温はある、温かい。
やっとあんたに触れる事が出来た…。
叩いてもつねっても、あんたは反応しない。
抱きかかえてもあんたはの手足は、ぐにゃりと蜜のようにだらしない。
俺は乳になって蜜なる柔らかさに注ぎ、混ざり合って溶け込んだ。
部屋の開いた物入れの扉についた姿見に、あんたの無様な姿が映り込む。
あんたを見た右目はえぐり捨てられるだろうか。
あんたに触れた右手は切り捨てられるだろうか。
俺が何をしても、眠るあんたは声ひとつあげない。
それがどんなにひどい事であっても、あんたは嫌とも言わない。
あんたは黙って嬲られ、黙って犯される。
悲鳴のひとつぐらいあげてくれ、反撃のひとつぐらいお見舞いしてくれ。
俺は従順な奴隷ちゃんなど嫌いだ、これじゃ何の手応えもない。
あんたの身体を思い切り傷つけているのに、俺は一人で砂を犯している気分だ。
何の抵抗もなく、ただ受け入れるだけだ。
俺の恨みも、憎しみも、暴力も、あんたはただ吸収して無効にしていく。
…虚しい、これじゃ馬上の揺れる鞍に身体を押し付けるのと何ら変わりない。
男の言動の全てに従う戦国の女、形ばかりの妻にも今のあんたは劣っている。
あんたを不幸にしているという手応えがない。
俺はあんたの腹に身体を伏せて、むせび泣いた。
あんたの身体には虚しさしか残らない、産む事のない虚しさを孕んで、
あんたは俺に淋しさしか与えない。
口からエクトプラズムを吐き出して、あんたの左耳に詰め直す。
エクトプラズムは吸い込まれるように戻って行き、あんたが目覚めた。
「しまった、寝ていたか」
「良う寝ちょったど…」
あんたは霊体に戻った俺の乱れた着衣を見て、また背中を向けた。
「…いたずらでもしていたか、ハロウィンにはまだ早い」
「ああん! だからよ、そこはきゃあち悲鳴ばあげんね! びんたばしてくれんね!
おいは従順な奴隷ちゃんは嫌いじゃっど!」
「は?」
顔をしかめ、あんたはたばこを一本抜いてくわえた。
「おいはラノベんヒキオタニートな勇者やなか、何でんかんでん言いなりんおなごは好かん!
もっとこう手応えんあっおなごが良か、奴隷ちゃんは好かん!
おいはロリコンやなかでね、誰が奴隷市場なんぞで毛もろくん生えとらんごた、
つるぺたん幼女など買うか、誰が清純でおなごらしか没個性ヒロインなぞと結ばれっか!」
俺はあんたの口からたばこを引っこ抜いて、念力で握りつぶした。
「…熱弁おつだな島津豊久、お前の好みなど何の関係もない。
よくもまあ作物がそんなぺらぺらと口が回るもんだ、まったくもって感心する」
あんたは新しいたばこをくわえて火を点け、スマートフォンをいじった。
「…お、新井のじいさんからLINE来てる」
「そいは誰ね、男け?」
あんたは電話をかけた、相手はその「新井のじいさん」らしい。
「…え? じいさん本当にいいのか? うわ、見て見たい…うん、大丈夫だ。
これから着替えて行く、首を洗って待ってろ」
あんたは電話を切ると、すくりと立ち上がって着替え始めた。
「どこん行っと?」
「新井博物館だ」
「ああ…確か前にイベントん仕事したち…」
「新井のじいさんとは仕事をきっかけに、以降ずっと可愛がってくれている恩人だ。
新井直花(なおはな)、新井氏の末裔にあたる」
あんたが出かけると、当然俺もそれについて行く。
人が多くなる通りに出る前、俺は聞いてみた。
「新井ん博物館で何しよっ?」
「じいさんが倉で面白い物を見つけたそうだ、それを見に行く」
それきりあんたは話さなくなった。
話さないまま電車に乗り、皇居に沿ったビル街を歩いた。
すると小さな古民家がビルの間から飛び出して、道路と堀がそこを迂回しているのが見えた。
あんたは表に面した垣のない狭い庭に入り、奥の玄関の戸をがらごろと重そうに開ける。
木製の薄汚い表札には「新井博物館」とあった。
「こんにちはあ、じいさんいるかあ?」
すると障子が少し開き、足が見えた。
足が障子をぱんと開くと、中の居間らしき部屋に老人が寝そべって尻を掻いていた。
70代くらいだろうか、痩せた身体に白の長いあごひげがある。
「おお、直弼来てくれたか…待っていたよ」
老人も街の不良と同じく、あんたを「直弼」と呼ぶ。
「井伊直美」だからどう考えたって、そこは「直政」だろが。
「またじいさんはだらしねえな、新井直政が泣くぞ」
「…ん?」
寝そべっていたじいさんが不意に身体を起こした。
「これはこれは…驚いた、直弼の彼氏もご一緒とは」
「えっ…!」
「太った幽霊が彼氏とは、直弼もまたずいぶんと面白いところに目をつけたね…」
新井のじいさんはにやにやしながら、俺をじろじろと舐め回すように見た。
…このじいさん、俺が見えているのか!