第7話 トリック・オア・トリート
第7話 トリック・オア・トリート
その翌日からあんたは仕事のための情報収集にとりかかった。
俺が起きるとあんたはパソコンの前で熱心に資料を読み込んでいた。
「そん仕事、美術館の戦国武将イベントち言うけんど…どこん誰ね?」
「ああ…島津四兄弟だな」
「ぶっ! 島津! で、島津豊久は? 島津豊久出て来んとか?」
「島津豊久など、そんな一発屋の雑魚は要らぬ」
「雑魚! 一発屋!」
一発屋の雑魚…やっぱりそう見えるんだ。
島津豊久は要らない子らしいですよ?
俺はがっくり肩を落として膝を折って床につき、「orz」の姿勢を取った。
「真実だ。関ヶ原からの退却戦で時間を稼いだ以外、島津豊久に目立った武功はない」
「え…庄内ん乱とか朝鮮に出兵した時とか、沖田畷ん戦いとか…」
「そんなささやかな武功など、島津にも天下にも何ら影響しない」
確かに小さな武功はあっても、俺に目立った武功はない。
「お前はまるで死ぬためだけに生まれて来たようなもんだ」
「うう…ひどか…」
当たってる…俺は死なないと武功をあげられないような雑魚なんだ。
生きていた間は全く無駄な存在だった。
世継ぎにも出来ず、せいぜいおもちゃがいいところの。
あんたはひどい、でもそれが事実だ。
「私はこの目でお前という亡霊を見た、死後の世界は存在する。
お前の人生は死んで始まった、そう思う」
あんたは画面から目を離さずに言い、ひとつふたつ咳をした。
俺の人生はあんたを呪う事かよ。
その時あんたの手元のスマートフォンが鳴った。
たぶんお買い上げ時標準のものだろう、色気のない着信音だ。
「はい、株式会社井伊デラックス…あ、どうも御世話になっております」
相手は仕事関係か。
「はい…はい、わかりました。また何かございましたらよろしくお願いします」
あんたは電話を切ると、ふうとため息をついた。
「どげんしよったね?」
「仕事の話はなくなった、取り決め通りかささぎデザイン事務所に頼むらしい」
「なして?」
「知らぬ、かささぎデザイン事務所の事だ、裏に手を回したのだろう。
せっかくお前が呪ってくれたのに悪かったな」
床の上にごろりと仰向けに寝転がって、あんたはまた嫌味な笑みを浮かべた。
俺はあんたの頭の下に敷くように膝を置いて座り、唇を噛んだ。
「なしてじゃ、なして正々堂々戦わん…おいは悔しか、許さんでね…」
涙がこぼれて、あんたの頬の手前で蒸発したように消えていく…。
こぼした涙ですらあんたに触れる事はないのか。
「仕方ない事だ、大人には大人の事情がある」
「じゃどん、おまんさ…!」
「泣くな作物…これは私の敗北だ、お前が泣くところじゃない」
あんたは腕を伸ばして、宙で曲げると頭を持ち上げて頬を寄せた。
わかる、あんたは俺を慰めようとしている。
俺は膝にあんたの髪を、首筋にあんたの腕を感じて、身を屈めた。
「…さすがおばさんじゃっどね、優しかあ」
「実はお前の方がはるかに年上のじいさんだぞ、死んで400歳とちょっとだ。
こんなばばあでもお前から見れば、小娘どころか幼女、乳児…いや受精卵以下だ。
受精…それ以前に造卵や造精すらしていないんじゃないのか…」
「そいはロリババアやなかで、ババアロリち言っど…。
しちょっで、おまんさん親先祖は…おまんさば発生させっためん、すっ事はしちょっ」
こんな風に女に慰められる事など、なかったかも知れない。
妻とは戦やら何やらで、一緒に暮らす事もほとんどなかった。
俺も妻に何も望まなかった。
女に慰められるなど恥ずべき事だった。
男はいつだって強くあらねばなかった…。
こんな風に感情をむき出しにするのは、初めてかも知れない。
俺は前に出てあんたの腹を逆行し、半パンから飛び出す立膝に手を置いた。
実際に触れている訳ではない、俺は亡霊なのだから。
でも触れる以上に感じる。
体温を、肌の呼吸を、匂いを、柔らかさを。
俺は顔を埋めて、無駄な存在の無意味な行いに沈んで行った。
俺はあんたの行くところなら、どこへでもついて行く。
あんたの繁殖を阻害するために、一族の子孫の発生を阻止するために。
あんたの不毛を願って。
でもあんたはそんな俺をあざ笑うように男と会い、男に抱かれる。
呼ばれて行った週末のクラブの甘い煙の中で、たばこを回し吸いしながら、
濃厚な口づけを交わしたかと思えば、次にはホテルで男と身体を重ねている。
わざとらしい声を出しながら、浮遊する俺を見てくすりと笑う。
「姦淫ばすっでなか! いけんが!」
むかついて呪いに行った事もある。
オーブを呼び出しそれを男の口に放り込んでも、あんたは気にもしない。
ラップ音を立てても、天井から血を垂らしても、あんたは楽しそうなままだ。
俺のする事に男の肩ごしに目配せして、ふんと鼻を鳴らすだけだった。
あんたは相手の男がどうなってもいいのか。
相手の男はガキからおっさんまで多種多様だった。
この時代でも四十になれば、堂々たるばばあのはずだ。
男は本能的に若い女を求めるはずだ、なのになぜ相手に困らない。
今日も男がまたひとり、不幸な事故で死んで行った…。
「またおまんさん男がけ死によったが…そいで良かけ?」
夕方のニュースを見ながら、仕事に使う素材を作るあんたに問いかけた。
ここで言う素材とは装飾に使う絵の事で、それもパソコンで作られている。
「構わぬ」
「なしてじゃ」
「呪殺はお前のした事だ、私は何もしていない」
あんたはぴしゃりと撥ね除けると、口をきかなくなった。
俺はあんたの周りをぐるぐる回ったり、物を動かしてみたり、ラップ音を鳴らしたり、
あんたの隣であんな事やこんな事、いろいろしてみても反応はなかった。
「ああん! トリック・オア・トリートじゃっど! つまらん! 何か言いい! 構いい!
構わんと悪さすっど! あげん事こげん事しっせえひいひい泣かすど!」
俺は床の上に仰向けになって、手足をばたつかせて喚いた。
その時、あんたの左耳の穴に何か白い物を見つけた。
何だろう、ちり紙でも詰めているのか? 鼻血じゃなくて耳血か?
俺は気になってたまらず、近づいてあんたの肩に手を添えてそれをつまんだ。
つまめる…! 俺は物もつかめぬ亡霊だ、どうして…?
引っ張ってみると、ちり紙どころか綿のような物がずるずると出て来るではないか。
「こいは…!」