第6話 指先ツール
第6話 指先ツール
「なして? そこは怒ってん良かとこじゃっどが!」
「お前の発想は貧困だ、すぐに頭に血がのぼる。心が淋し過ぎだ。
今回は当て馬の役を引き受ける事で、以降に恩義をかぶせる事が出来る、
ましてや出来レースの事実をつかんだ、脅していかようにも出来る。
…そう考える事は出来んのか、作物が」
あんたは俺の方を振り返り、にたあと笑った。
さすが井伊直美、悪だ…あんた絶対悪だろ、ラノベの世界なら悪の枢軸だぞ。
チートで没個性ヒロインをぞろぞろ引き連れた、ヒキニート主人公に倒されるぞ。
いやむしろそのキモオタヒキニート主人公を、異世界ごと粉砕しそうだ。
ステータスはALLカンストか? もしかしたらすごい能力持ちかも?
「むぎゅう」
「…だがお前も呪うなどよくやるな、呪いで株式会社井伊デラックスが採用とは。
かささぎデザイン事務所とつながる、国のお偉いさんもかんかんだろうよ。
グッジョブ作物、面白い事をしでかしてくれた…!」
あんたは腹を抱えて笑った。
こんな顔初めて見る、井伊直政風の嫌な笑みしか見た事ないぞ。
ちょっとびっくりした、どきっとした。
おばさんは笑っていた方が絶対にいい。
「うん! 貧困な発想で良か、見苦しゅうてん良か、おいはやっど!
おまんさとそん一族ば不毛にすっためなら、おいも頑張っど!」
「相手は国の役人だぞ、強い除霊師や陰陽師を雇えるようなやつらだ。
島津豊久など臭い汚い小さな霊など一撃だな」
あんたは元に戻って、また例の嫌な笑い方をした。
「むひょ。だからよ…そこはこすらんでくれんねち言うちょっが、恥ずかしか…」
「風呂掃除の何が悪い。お前こそ…物陰からこっそり女人の入浴を覗くならまだしも、
堂々風呂場に押し入ってじろじろ視姦か? 変態至極だな、作物よ」
あんたは風呂から上がって、浴槽の栓を抜いて洗うついでに、
裸のまま手のひらサイズの壁のしみになった俺を、タオルでぎゅうぎゅうこすった。
痛いし恥ずかしいけど、実体のない俺が洗われるにはこれしかない。
あんたは風呂の外からゴム手袋を持って来ると、それをはめ、
スプレーの中身を俺というしみに散布した。
「ひい! 熱ちかと! 何しよっ! 熱ち、熱ち!」
「頑固なしみと臭いには塩素系漂白剤と言う…」
「漂白剤!」
「金属たわしでごりごりこそげ取ってもいいな」
「金属たわし! こそげ取っ! ひいい…おいはもみじおろしやなか!」
あんたはシャワーで漂白剤を流して、指先でしみの俺をきゅっきゅっとこすり上げた。
頬が持ち上げられてぐにゃりと変形する。
「む。平面亡霊のくせに変形するのか、指先ツールやスマホゲームみたいだな」
「や…やめてくいやんせ、いけんが…」
あんたは指でうりうりとしみをいじって、変形する様を面白がっていた。
しみはさかんに伸びたり引っ込んだりして、生命を躍動させる粘体生物のようになった。
あんたの指は熱いんだな…。
腐った血が集まって来そうで、俺は着ていた物をかき集めて壁から飛び出すと、
風呂場から脱出して、自らの未熟さを恥じ入った。
俺かっこ悪過ぎだろ…おばさんな敵でも、いたずらででも、きれいな女が俺に触ってくれる。
こんな死霊の、敗軍の、忌み嫌ってどこの家も匿ってくれなかった俺に。
普通ならそこは喜んで受けて立つどころか、攻め落とすべきところだろう。
「不毛だな、作物が」
気が付くとあんたが俺の背後に立って、濡れた髪を拭いていた。
「島津又七郎豊久には生涯子がなかったと聞く、室と共に暮らす事もほとんど無く、
また側室を置くこともなかった…不毛はお前だ、他人の不毛を願っている場合か」
笑いに来たか…でも反論は出来ない、あんたが正論だ。
「あげん妻は要らん。なしておいが婚礼ん当日が初対面のおなごなぞ!
勝手に他人ん結婚ば決めっせえ、誰がそげんおなご愛すっ。無理じゃっど無理。
子も要らん、誰が島津ん子なぞ作っ。断固拒否すっど」
俺は唇を尖らせて、つーんとそっぽを向いた。
あんたは真顔で頷いた。
「うん、お前には無理。そんな臭いデブは強制されても、まず女の方が断るであろう。
そして東北アジア人を図案化したような、つり目のほくほく顔だ。
戦国ではそれも美しいかもしれないが、とにかくここでは全く需要がない」
「むきい! 淋しかおばさんにゃ言われたなか!」
俺は手にしていた衣類と装備を放り出し、あんたをびしと指差した。
「…小さいな、私を不毛にする前にお前が不毛を通り越して死地になるぞ」
「ああん! ひどか! おいがむすこばこまんかこまんか言うなあ! ちゃあんと太てなっど!
とにかくおいはおいの人生ば生きっため、島津から逃げ出したんじゃ!
自分で選んだ嫁じょば貰っせえ、島津ん子やなかでおいが子ば作っせえ、
例えこまんか暮らしでん良か、おいは…!」
股に手を挟み、身体をよじらせながら俺は反論した。
あんたは説得力がないぞと言って、足で顔を踏みつける真似をした。
足の裏からはみ出た視界に、あんたの脚の奥が見える。
不毛にするなら物理的に塞いでもいい訳だ、石女予定だから石とか? ぷっ!
いやいや、内部で管を閉塞させてもいい…素敵じゃないか、ラブリーだね。
子を産みたくとも産めぬ苦しみ、苦しんだ挙げ句の死産、最高だよ…。
俺はどうしたら最悪に出来るか、あんたの脚の間をじっと凝視し、
皮膚という境界の一歩手前を指で、唇でなぞった。
俺はどうしたらあんたを最悪の不幸に出来る?
「何がしたい? 言って見ろ作物」
あんたは足で現世と霊界の境界を踏んで行った。
顔、肩、胸、腹…未熟だけど現世に心を残して死んだ俺にも欲望くらいある。
男の肉体に欲望は無慈悲だ、でもあんたはそれ以上に冷酷だ。
「やらしか仕打ちじゃっどね、おまんさ…じゃどんおいは負けん。
おまんさあん先祖はおいん新しか人生ば邪魔しよった、許せんでね。
おいは呪う、全身全霊ばかけっせえおまんさん事呪っちゃる!
おまんさん不幸はおいが幸せ! 蜜ん味じゃっど!」
俺はあんたの脚を抱いてすがろうと、腕を伸ばした。
でも脚はすっと退いて、踵の赤を踊らせながら遠ざかって居間から消えてしまった。
俺は床をどんと叩いた。
俺の敵はなんと強敵な事よ、東軍のやつらが束になってかかって来ても敵わない。
絶対攻略してみせる、あんたを不幸のどん底に叩き付けてやる。
…俺はあんたが憎い。