最終話 同じ蓮のうてな
最終話 同じ蓮のうてな
あんたが泣きも笑いもしないように、悠も泣きも笑いもしない。
あんたがいつも醒めているように、悠も醒めている。
あんたが殺伐と乾いた口調で喋るように、悠も殺伐と乾いた口調で喋る。
冷ややかな目も、無表情な口元も、癖のある髪も、何もかも、
まるであんたをそっくりそのまま、身体だけ小さくしたようで、
悠は不気味なほどあんたに似ていた。
春も終わりのある夜、豊久との間に眠る悠のふとんをかけ直しながら、
その寝顔にあんたがぴたりと重なった。
あんたは今どうしてる?
島津さんと会えたかな、とっくに島津さんのところへ帰ってしまったかな。
それとも蓮の上にどかりと腰をおろして、俺を待っているかな。
俺がもう行き先を間違わないように、目印になって待っているのかな。
…会いたい。
俺は便所に立つふりをして、真っ暗な台所でひとり涙を流した。
会いたい、あんたに会いたい…。
良い養父に良い夫、可愛い子供、今の暮らしに何も不満はないはずだ。
それなのに俺はあんたに会いたいと願っている。
最後の夜に、あんたは俺の願いを全て叶えたと言ったけれど、
それは違うよ、井伊直美。
確かに俺はあの戦から落ちて、晩秋の冷たい雨に打たれながら、
自分の人生を自分のために生きたいと、あんたの祖先を恨みながら死んで行った。
あんたはひとつ大事な事を叶え忘れている。
その人生には心から愛せる人が必要だって事を、あんたが必要だって事を、
あんたが隣にいなければ、意味なんかないって事を。
気付いてしまうと、もう夜を眠る事は出来なかった。
いく晩もいく晩もただ、豊久や悠の寝顔を見ているばかりだった。
豊久には悠とじいさんがいる、悠は二人が育てるだろう。
新井の家族はこんな俺にも、楽しく穏やかな日々を与えてくれた。
でももういい…もう十分慰められた。
傍目には俺は幸せだったと言えるだろう、でも俺は気が付いてしまった。
俺の幸せは…。
その晩も眠れず、身体がなんだか火を含んだように熱かった。
台所の小さな灯りを点けて、「ごめん」とだけ包装紙の裏に書いて、
居間のちゃぶ台の上に置くと、そっと家を抜け出した。
寝間着姿のままだった。
まるで不倫相手にでも呼び出されたように、俺は皇居の堀に沿って走る。
もう家族の優しさや安らぎは辛過ぎるだけだった。
あんたに会いたい、あんたに触れたい、それだけだった。
俺は外苑の芝生の上で立ち止まった。
井伊直美という肉体の上腕部から、白い炎がはみ出していた。
俺の幸せは安らぎなどではなかった。
あんたという女を追いかける事そのものが、俺の幸せであり、豊穣だった。
捕まえる事が出来なくてもいい、俺を煽ってぎりぎりのところで逃げてくれ。
甘い夢を見させて、いつまでもあんたの事を追いかけさせて。
今、千人の美少女が脚を広げて待っていても、俺は迷わずあんたを選ぶ。
一夜に一人しか殺せなくても、千一夜目に俺は必ずあんたの目の前に現れる。
あんたを追いかけるためだけに。
追いかける喜び、それが男の本能ってもんだろが。
白い炎は腕からだけでなく、脇腹から、太腿からと、あちこちからはみ出した。
そうしてあっという間に身体を包み込んだ。
燃える…あんたは俺の願いをひとつだけ叶えない事で、俺の願いを結局全て叶えたのだ。
あの戦の続きを生きる事も、愛も、幸せも、何もかも。
あんたは死んだ、俺の願いを叶えるために。
俺の幸せを永遠とするために。
敵は愛せば敵ではなくなる、呪詛は愛せば呪詛ではなくなる。
互いを許せば不毛は豊穣となる。
心を持ち寄って互いを思い合えば、毎日のパンのようなありがたい恵みとなる。
俺はようやくあんたを、俺を見殺しにした一族の末裔を許した。
許す事が俺の愛となるならば。
これが満願成就か、身体を焼く炎に清らかささえ感じる。
400年の怨念が燃えて、浄化されていく。
肉体は焼け焦げて崩れ、灰の中から白く燃える一匹の精子が産まれた。
頭の先端を尖らせて、精子は肉体のあったところをぐるぐると回って行き先を探る。
対話を始める、あんたのいるところを指しておくれ。
炎の先端は自然に上を向き、夜空を指した。
あんたは死んだ、霊と霊ならば触れ合う事も出来るはずだ。
会いに行ってもいいか、あんたは俺を迎えてくれるか?
最後の夜、最後の質問を覚えているか?
次の世であんたは俺と同じ蓮のうてなに産まれてくれるか?
「構わんよ」、あんたはそう言ってくれた。
きっと次の世はあんたと一緒だ。
また産まれて、出会って、恋でもして、きっと一緒にいる。
憎い宿敵も今度はただの男と女だ。
きっとまた会える、もうこの世に未練はない。
あんたに会いたい、ただ愛してると伝えるためだけに会いたい。
久しぶりに会うあんたは俺を迎えてくれるか? 俺を愛してくれるか?
イエスかノーか、答えておくれ。
ペンデュラムは飛び立ち、指した方向へと迷う事なく真っ直ぐ夜空を流れて行く。
…行っど、GOじゃっどペンデュラム。
「不毛の子」 完




