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不毛の子  作者: ヨシトミ
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第47話 次ん春にゃまた新しか命

第47話 次ん春にゃまた新しか命


豊久は選ばれし正義の勇者、俺は憎むべき悪。

俺はあんたを呪い、豊久はあんたに恋した。

かつてあんたをめぐった敵同士だった俺たちは、今は仲間として協力し合った。

全ては井伊直美、あんたの子をこの世に誕生させるために。


新井豊久となった笠垣豊久は、もったいないほどの良い夫だった。

相当にいいところのぼんぼんだったにも関わらず、家事も嫌がらずに進んで助けてくれ、

俺なんかよりずっと親らしかった。


「ずっといろはと二人暮らしだったからね…何年父親やって来たと思ってるの?

初めての豊久とは年季が違うよ、年季が」


10月も終わり近い休みの日に裏の干場に洗濯物を干す豊久は、そう笑っていた。

その笑顔に俺はいっそうの負けを感じていた。

俺は豊久の娘を殺してしまった…。


「…ごめん豊久、おまんさん娘ん事も」

「いろははね、一人娘なだけあって本当に可愛い娘だったよ…。

でも少々無謀過ぎたね、豊久ほどの強い怨霊に喧嘩を売ってしまった。

自業自得かな…そういう事にしておく。

いろはは誰も恨まずに死んで行った、だから俺も誰も恨まない」

「豊久…」


こうして仲間になってみると、豊久が本当に見事な男であると思い知らされる。

あんたはこれほどの男に思われていたのだ。

しかしどうしてこれほどの豊久に、あんたは心魅かれなかったのだろう。


「ね、今日天気いいし外苑まで歩いて行ってみない? おべんと作ってさ」


お腹の目立って来た俺は、弁当の入ったかばんを持つ豊久に手を引かれ、

皇居の堀に沿って歩きながら、その理由について思いを巡らせていた。

俺とは少しだけ心が通じ合ったように思えても、その根底には島津さんが流れている。

あんたは死ぬまで島津さんが忘れられなかったのかな…。

その日は10月21日だった。


冬が俺たちの間を通り過ぎ、皇居の堀に桜がちらほらと咲き出したある夜、

俺は豊久とじいさんの手で病院に担ぎ込まれた。

心配した吉弘のばあさんも駆けつけてくれた。

いよいよ産まれるのだ。

42歳になった井伊直美のこの身体では、お産も厳しいものになると医師に言われていた。

陣痛の痛みは男の俺には堪え難く、戦で受ける傷とは比べ物にもならなかった。

痛みの波の中、俺はあんたとの最後の夜を思い出していた。


あんたはいつも冷淡で、さして俺を愛してくれているようにも思えなかった。

生を望み続けた俺とは反対に、心の壊れたあんたはいつも死しか見ていなかった。

あんたは残りの命を全て使いきって、俺に自分を差し出した。

あれがあんたの愛であり、自殺だったのだ。

あの夜、生と死は交差した。


痛みの間隔がだいぶ短くなり、分娩室へと運ばれながら俺は覚悟を決めた。

あの夜のあんたのように、命を懸けてみようと思った。

次の春にはまた新しい命…秋に実った作物が種を残して命をつなぐように。

亡霊でよかった、俺の命の懸けどころは関ヶ原からの退却戦じゃない。

義理のために捨てがまっている場合じゃない。

俺が命を懸けるべきは今、今なんだよ。


豊久やばあさんが一緒に分娩室に入って、立ち会ってくれたけれど、

俺は今ある痛みでもう何も見えなかった。

お産は長引き、まる一日は優にかかった。

赤ん坊は胎内から取り出されたが、産声をあげなかった。

スタッフが鼻や口にチューブを入れ羊水を抜いたり、尻を叩いたりしていると、

ようやく産声をあげて、泣き出した。

俺はその産声に安心し、赤ん坊の泣き声を聞きながら気を失った。


目が覚めると、豊久が病室で嬉しそうに赤ん坊を抱いていた。


「おめでとう豊久、男の子だよ」

「まこちけ…」


俺は寝たまま、横目で赤ん坊の顔を見た。

母親似で、俺にはあまり似ていなかった。


「ね、名前どうする? 豊久、お前何か考えてある?」


豊久は赤ん坊の頬に自分の頬を寄せて、二重まぶたの目をくりっとさせた。

俺は目を閉じた。


「…悠ち書きっせえ『はるか』」

「『悠』…島津さんの名前だね?」

「島津さんが命ばつなぎっせえ、おいたちにこん子ばくいたから…」


俺は豊久に目で訴えた。

豊久は子供を俺に渡して、その丸い頬に触れて名前を呼んだ。


「悠…悠…うん、この子は『悠』だ」

「『悠』、おいが子…」


覗き込んだ赤子の額に、涙がぱらりとこぼれて落ちた。



それから俺たちはじいさんや吉弘の姉弟、ぎゅうちゃんなど皆から出産の祝いをいただいた。

悠の誕生は皆から祝われて、まずはほっとした。

豊久の実家である笠垣の家からも、大層立派な祝いをいただき、

俺は心苦しく、礼状の内容に苦しんだ。

まさか豊久とは血がつながっていないとは、とても言えなかった。

悠の出自は墓場まで持って行く秘密だった。


悠は肉体的な成長こそ人並みではあったが、どこか変わった子だった。

あまり感情を顔に出さず、ほとんど泣きも笑いもしない子だった。

知恵が遅れているのかなと思ったが、そういう訳でもなかった。

話し始めるのも早く、1歳の誕生日を過ぎた頃にはやけに語彙が多い事に気付いた。

悠はそれからだんだんに質問を繰り返すようになり、数も数え、読み書きも出来、

2歳の誕生日が近づいた頃には、質問の内容はより詳細になり執拗さを伴った。

俺も豊久もじいさんも、悠の執拗な質問にはうんざりさせられた。

俺たちがネットで調べて答えるのにも、そろそろ限界が近づいていた。


吉弘の家に遊びに行くと、ばあさんは悠を見て驚きのあまり笑い出した。


「こういう子はね、他人よりはるかにたくさんの教育を欲しがるよ。自宅じゃ限度もある。

もうちょっと大きくなったら海外に出してごらん、それまでは教室に通わせてあげて…。

悠みたいな子が通う教室を知ってるから紹介するよ。その方が悠もきっと楽しい思うよ」


ばあさんの紹介してくれた教室に行って見ると、本当に悠みたいな子がたくさんいて、

彼らが受けている教育もまたそういう子に合わせた、特殊かつ高度なものだった。

彼らは皆同じ年頃の子より進み過ぎており、そのためにいろいろな問題を抱えていた。

悠は変わった子だったが、この教室に通い出してからは本当に楽しそうで、

毎日毎日家に教室の勉強を持ち帰っては、熱心に問題を解いていた。

最近では早く海外に行ってみたいと言うようになった。

悠は3歳になった。


俺はそんな悠の成長を見ているのがもう辛かった。

だって悠はあんたに似ているから。

日ごとにあんたに似て来るのが、辛くて辛くてたまらなかった。


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