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不毛の子  作者: ヨシトミ
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第46話 月経

第46話 月経


「よしとくよ」


豊久はふふと笑って、隣のふとんに寝た。


「なして…」

「だってお前豊久だもん、中身が井伊さんならそう言う気にもなるけど、

中身が島津豊久だよ? 男だよ、おっさんだよ? そんな気になるかよ。

そばにいて欲しいから結婚したけど、そういう事は中身も女じゃないと出来ないの。

考えろ、おっさん同士がいちゃこらいちゃこら睦み合っているところを」

「う…そいは確かに…」


俺はおっさん同士の睦み合いを想像して、うっとなった。

薩摩の衆道だって十分嫌だったから。


「俺たちはそういう結婚じゃないの」

「じゃどん…」


もうそれ以上は言えなかった。

こんな俺と結婚までしてくれた豊久に、仲間として接してくれている豊久に。

子種を分けてくれなど、とても言えなかった。


「豊久が望んでいる事はわかる、でも豊久が欲しいのは俺と井伊さんの子じゃない。

豊久はきっと、豊久と井伊さんの子が欲しいんだよ…もう叶わぬ事だけど。

いいじゃないか、子はなくても。俺たちの間には井伊さんがいる。

俺は子がない事を少しも不毛だとは思わないよ…」


豊久はそう言ってくれたが、俺は今ひとつ腑に落ちなかった。

父親が誰かはともかく俺は井伊直美、あんたの子が欲しい。

でも井伊直美という41歳の肉体は、10月21日が来れば42歳になってしまう。

時間の経過と共に子を授かる確率は下がる一方、もう時間がない。


あんたのこの肉体にも、きちんと月経が訪れる事は知っていた。

月経がある以上、妊娠の可能性はゼロではない。

子育てを終えた世代でも月経があれば、妊娠してしまう事もある。


俺は隣のふとんに眠る豊久の顔を見つめ、罪の意識に苛まれていた。

豊久はあんたに恋し、俺はあんたを呪った。

俺と豊久はあんたを思うライバルであり、仲間だった。

豊久とならば、さぞ優れた子が産まれる事だろう。

でも俺は…。


思い悩んでいたある日、俺は心当たりのない郵便物を受け取った。

そもそも島津豊久宛てに郵便物を出す者などないはずだ。

だがあて先は合っている、俺は不審に思いながら封を切った。

するとどこかのグラフィックデザインのコンペ事務局から、最優秀賞受賞の知らせだった。

書類を読むと、それはあの「明暗」の作品を応募した先だった。

作者名は「株式会社井伊デラックス/島津豊久」となっていた。


あんたはあの作品を俺の名前で応募していたのだった。

きっとあの時、あんたは自分の命が消耗して、残り少ない事に気付いていたのだ。

だから無理してまで作品の完成にこだわったのだ。

そしてあの作品の制作中のあんたは、いつになく厳しかった。

まるで俺を教育するかのように、デザインの基礎から話して発案から俺を参加させた。

それはきっと自分の死後、俺が引き続き「井伊直美」でいられるように。

あんたはあの作品で、デザイナーの命を俺に与えたのだ。


俺はもう迷わなかった。

夜、俺は豊久が眠ったのを確認すると、寝室を抜け出し、

屋敷内の博物館部分の古い武具が展示されてある部屋に入った。

俺は展示物の入ったガラスケースにもたれて座った。

向かいのガラスケースに座るあんたの姿が映る。

俺は井伊直美という肉体から、自分の魂を抜いて眠るじいさんの枕元に立った。

じいさんの耳から覗く、白い物体を指先でつまむ…。


ごめん豊久…俺、どうしても子が欲しい。

展示室に戻った俺は、空っぽの肉体に実体化した手を伸ばして触れた。

ガラスの小ビンで薬液に漬かった汚物じゃない、産声をあげる俺の子が欲しい。

あんたが俺に命を張ってまでくれたこの命を、どうしてもつなげたい。

400年と少し、呪って怨んで追い続けた憎い女の子供が欲しい。

俺はあんたとの間に子を望んでいる、渇望している。


夜の暗いガラスケースに泣きながら女を犯す、醜い男の姿が写り込む。

気付いた時にはもう、あんたは砂だった。

愛しても、愛しても、死体が応える事はない。

愛に燃えて性器を濡らす事も、歓びに声をあげて震える事もない。

ただ砂のように、俺という男を何の抵抗もなく受け入れ、吸収し、

何事もなかったが如く、また渇くだけだった。


俺は夜ごと、寝室を抜け出してはわずかな可能性に挑戦した。

豊久もさすがに気付いてはいただろう、でも何も言わなかった。

俺は虚しさと罪の意識に、涙を流しながらあんたの亡骸を抱いていた。

俺のしている事は愛の営みどころか、性の処理ですらなかった。

戦で乱れたざんばら髪に、血で汚れた肌をし、殿様暮らしで腹の突き出た、

島津豊久というガラスケースに映る男は、目の前の死体より醜かった。


そのために睡眠時間を削ってしまった俺は、だいぶ身体がきつかった。

病や怪我を重ねて死んで行ったあんたの肉体だと、きつさはことのほかこたえた。

いつも眠く、だるく、熱っぽさが取れなかった。

月経も不順なのか、わずかであるが不正出血も見られた。

不正出血があったからか、次の月経はなかった。


ある朝、どうにもこうにも起きられなくて、ふとんの中でいつまでもぐずぐずしていると、

とっくに着替えて出社する支度の整った豊久が、俺を起こしに来た。


「何やってんだ豊久、もう時間だぞ」

「ごめん…おい、今日は仕事休みたか…ちいといけん」

「どうしたんだ、最近ずっとじゃないか…あ、まさか」


豊久はふと何かを思い出したようだった。


「豊久、お前その身体に生理は来ているのか?」

「うんにゃ…来ん、こまんかもんじゃけんど不正出血があっと」

「亡くなった先妻がいろはを妊娠した時も、確か今の豊久みたいだったぞ…。

妊娠…まさかな、いやでもこんな感じだったし…一応病院行って見るか?」


豊久が仕事を休んで、俺を病院へ連れて行ってくれ、

検査を受けた結果、妊娠2ヶ月だった。

俺の挑戦は第一関門を突破したのだ。

嬉しさより申し訳なさが勝って、俺は豊久の顔を見られなかった。


「…誰の子だよ、まあわかりきった事だけど。父親はお前だろ、豊久」

「ごめん豊久…じゃどん、おいどげんしてん…」


車の中で、俺は泣きながら豊久に謝った。

その日は雨で、フロントガラスに雨粒が弾けては流れていった。


「子供は要らないって言ったけど…いざ出来てみると不思議なもんだね。

嬉しさがどんどんこみ上げて来る、俺たち男同士なのにさ。

お前は子供の母、俺は父…ちゃんと夫婦になった気がするよ」

「ごめん豊久、ほんなこてごめん…」

「豊久、俺らがんばろう。俺は絶対豊久の味方になるよ。

豊久の味方になるために俺は結婚したのだから…」


もしも俺が素直に手を引いていたら、あんたも幸せになれただろうか。

死なずに豊久と今も生きていただろうか。

豊久の優しさが突き刺さるようで、俺は嗚咽を漏らした。

雨の中の閉じた空間は、泣き声を閉じ込めて雨音の中に隠した。


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