表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不毛の子  作者: ヨシトミ
45/50

第45話 墓標

第45話 墓標


「どうしたの、井伊さん」

「ごめん笠垣、おい…おまんさとは結婚出来ん」


だって俺は井伊直美ではないのだから。

井伊直美という姿をした、島津豊久なのだから。


「おいって…おまんさって、作物みたいな事を…井伊さん?」

「おいは井伊直美やなかと、井伊直美はけ死みよった。

ここんおっとは井伊直美ん姿した、島津豊久じゃっど…」

「井伊さんが…」


笠垣はいきなり何かに殴られたような顔をした。


「…井伊直美はおいにそん身体ば残っせえ、け死みよった。

自分が残りん命ばみいんなおいがためん使っせえ、おいが事次ん新しか命んすっち…。

責めやんせ、笠垣豊久…おいがおまんさから井伊直美ば奪うたち、

こん島津豊久が井伊直美ば殺したち…責めやんせ、笠垣! 責めえ!」


俺はそう言って涙をこぼしながら、笠垣に詰め寄った。


「憎か男ち言いやんせ、汚か男ち罵りやんせ! なあ、笠垣!」


笠垣は俺の勢いに押されて戸惑っていた。

でも首を横に振って、ようやく口を開いた。


「…出来ないよ、そんなの」

「なして? なして出来ん、おいは島津豊久、おまんさん憎か男じゃっど!

おまんさから井伊直美ば奪うた憎か男ぞ…!」

「あんたは俺に愛した女を責めろと言うのか、殴れと言うのか? 答えろ島津豊久」

「う…」


笠垣は俺に指環の白い小箱を突き返した。


「俺は情けない男だよ…もう別人になったというのに、まだ井伊さんを愛している。

この先もあんたの入った井伊さんの姿を見るたび、心をときめかせるだろう。

せめてその肉体だけでもいい、男と女になれなくてもいい、

それでもそばにいて欲しいと心から思っている」

「笠垣…笠垣…!」


わかる、それは俺も同じだから。

覗く手鏡の中に映るあんたに、同じ事を求めているから。


「改めて言う、俺と結婚してくれないか」

「なして…おいは男じゃっど」

「…男でいい、お前との間に井伊さんはこれからも生き続けるから。

お前となら井伊さんを共有して生きていけるから…俺の仲間として結婚してくれ、

井伊さんを生かし続ける仲間として俺と結婚してくれ、豊久」


俺はぼろぼろと涙を流しながら、笠垣の差し出す指環の白い小箱を受け取った。

笠垣豊久は鼻をくすと鳴らした。


「豊久ち…おまんさも『豊久』じゃっど…」

「お前もだ、豊久…」


笠垣は俺を抱きしめ、鼻をすんすん鳴らしていたかと思うと、

次第に涙が混じって行き、それは慟哭へと変わっていった。

俺も笠垣豊久の涙に、自分の涙を重ね置いた。



あれほど篤かった病だったが、別の命を得た肉体はみるみるうちに快方へ向かい、

俺は新井の家へ戻る事になった。

その日は笠垣…いや、豊久がじいさんを連れて俺を迎えに来てくれた。

豊久は明るく笑って吉弘の家の、俺がいる座敷へ入って来た。


「豊久…じじどん」

「豊久、迎えに来たぞ。帰ろう」

「お前さんたち、『豊久』て…」


じいさんもばあさんもシゲどんも、俺と豊久の関係の変化に驚いていた。

豊久は少しはにかんで言い訳をした。


「まあ、俺も豊久も『豊久』だからね」

「おいたち、結婚すっど…男と女やなかで仲間として。

おいたちん間にゃ井伊直美が今も生きちょっ、そいはもちろんこいからも…。

おいたちは井伊直美ば思い過ぎた男ら…仲間じゃっど」


吉弘の姉弟に礼を言って、豊久が待たせておいた車にじいさんと乗り込む。

豊久は俺の荷物をトランクに詰め、助手席に座った。

車は走り出し、春に煙る道を桜田門に向かって流れていく。


「お前さんら、直弼の墓はどうするね?」

「墓ねえ…」


豊久は俺とじいさんの前でたばこを吹かしながら、つぶやいた。


「亡くなったと言っても、直弼の肉体は生きている。

葬儀もなければ墓もない、何か直弼を弔う標が欲しいのだよ」

「…俺は墓は要らないと思うね、豊久が井伊さんの肉体を中で守っているから。

もうそれだけで俺は十分だし、それが井伊さんの墓だと思っている」

「じじどん、おいもそげん思も…こん肉体が井伊直美ん墓ち思も。

墓はいつか、こん肉体が滅びた時でん良か…」


それから俺は豊久に付き添われて、あんたと勝ち取ったデザイン賞の授賞式に、

「井伊直美」として出席し、新聞の取材を受けた。

「島津豊久」は都合で来られない事にしておいた。

会場で紹介された作品の映像を見て、俺と豊久は受け継がれて行く命を思っていた。

島津さんからあんたと豊久へ、あんたから俺へ。


豊久も井伊直美の中の俺も再婚だったので、結婚は至極簡素に執り行った。

式はなく役場に書類を提出し、その夜皆で集まって食事をする程度に留めた。

俺と豊久の結婚は、豊久が俺と二人で新井家の養子に入る形とした。

それと同時期に新井家も代替わりし、俺と豊久の代になった。


あんたの遺した株式会社井伊デラックスには、豊久のかささぎデザイン事務所が、

所在地をそのままにやって来て、井伊デラックスに合流して合併した。

合併後の社名は「株式会社井伊デラックス」のままだった。

豊久のデザインは相変わらず、キモオタな「異世界ファンタジー」だったが。


「いや、そこは豊久んとこに合流すっべきやなかとね」


合併の折、俺は豊久に抗議した。

豊久は笑ってそれを否定した。


「井伊さんの苗字は残したい、だったら社名にするのが一番」


俺と豊久は形式上夫婦にはなったが、同じ女を思い過ぎた仲間だった。

俺たちはあんたの名を事あるごとに出して、それをやりとりし、

井伊直美という記憶を互いに持ち寄って、毎日改めた。


「…で、豊久は井伊さんとそういう関係だったの?」

「えっ…そげん事…」

「その顔はやったな? そういう関係だったんだろ? 

うわ、むかつくな…俺でさえそこまではいけなかったのに、くそう」


見た目はごく一般の夫婦だったが、その会話はまるきり男同士の物で、

下世話な話題も、夜の寝室にいると俺たちの間に出たりする。


「どうだった? その身体だ、絶対いいに決まってる」

「そうじゃっどなあ…終わってんすんぐまた…何言わしちょっ!

…あのよう、おいは豊久としてん良かよ」


俺は固くなって、おずおずと豊久に申し出た。

俺と豊久は夫婦になってもそこはやはり男同士、そういう関係はなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ