第42話 霊障
第42話 霊障
吉弘の家にはじいさんが俺を残してくれたが、それからもあんたは何日も眠ったままだった。
「うーん」という反応はあっても、目覚める様子は一向になかった。
5日目の夕方、吉弘のばあさんは皆を食堂に集めた。
じいさんはばあさんに詰め寄った。
「皆を集めるとは直弼はそんなに悪いのか、姉さん…!」
「…検査をしても、何の病気かもわからぬまま時間だけが過ぎて行く。
他の大きな病院に直弼を預けても、それは変わらないだろう。
ただ、時間の経過と共に消耗していくことだけは確かだ」
ばあさんもシゲどんも苦い顔をしていた。
「そいは…」
「つまり、皆も一応の覚悟はしておいて欲しいという事だ」
「そんな…! 井伊さんまだ若いだろ、そんな歳じゃない!」
笠垣は泣きながら、ばあさんの言葉を必死に否定した。
じいさんもシゲどんもそれに釣られて、涙を流した。
「…ひとつ試してみたい事があるのだよ」
「ぎん姉ちゃん、何を?」
ぎゅうちゃんはぐりんとばあさんを振り返った。
「幸いにもここは病院の隣ではあるが病院ではない、一般の家庭だ。
誰を呼ぼうが、何をしようがとがめられる事はない、自由だ。
…非現実的な話だが、霊媒師を頼んでみようと思うのだよ」
「霊媒師…!」
皆はばあさんの提案に、驚きを隠せなかった。
俺は目を閉じた…とうとうその時が来るか。
「ごめんよ作物…でももうそれしか方法がない。
お前がいくら直弼を愛しても、お前は亡霊なんだよ…わかっておくれ」
ばあさんは井伊直政特大リボルテック魔改に入った俺の、小さな手を握った。
「…わかっちょった、おいは」
「1年あまりの短期間にこれだけの不運が重なるのは、霊障としか思えぬ。
現実に直弼の身には作物という亡霊が憑いている。
霊媒師に作物を慰めて成仏させてもらうしか…皆も協力しておくれ。
作物の心が少しでも軽くなるように、安らかに成仏出来るように…」
そこへ笠垣が手をあげた。
「政治の世界では今も裏で霊界との交流を大事にしております。
父が頼んでいる方に声をかけてもよろしゅうございますか」
「…そうしておくれ、笠垣の家で頼む方ならばきっと優れているだろうから」
ばあさんはそう言ったが、どうも浮かぬ顔をしていた。
皆が帰った後、彼女はあんたの枕元に座った。
残った俺もばあさんの隣に座った。
「直弼、霊媒師に頼んでみる事にしたよ…」
ばあさんはふとんの中からあんたの手を取った。
「作物と引き離す事になって悪いとは思う、でもそれしかもうないのだよ、
ごめんよ、どうかわかっておくれ直弼…」
「ばばどん…」
「作物と呼ぶくらいだ、直弼が作物をこの上なく大事にして来たのはわかる。
流れて行った子の父親は作物なんだろう、女の勘だ。
わかるんだよ、こんな年老いた私も女なのだから…」
あんたの頬にばあさんの涙がぱらぱらと落ちて滲んだ。
老女にしてはあまりにも大きく、ごつい身体が声をあげる。
「…現代医学の敗北だ、私は医師として情けない。
直弼を医学で助けてやれぬとは…悔しい、私は悔しいよ…」
「うーん」
あんたはまたひとつ唸った、そして顔をぎゅうとしかめた。
顔をしかめた…!
「ばばどん…!」
「今、顔をしかめたな…反応があるのか!」
ばあさんは慌ててあんたの頬をぺちぺちと叩いた。
「直弼! わかるか? 私だ、吉弘のぎんばあさんだ! 直弼!」
「おいこら井伊直美! おいじゃっど、島津豊久! おまんさんが作物! 起きい!」
俺は小さな手であんたの足の裏に触れ、そっと撫でた。
するとあんたのまぶたがぴくぴくと動きだし、ゆっくりと開いて行った。
「…作物…ばあさん…」
「直弼!」
「井伊直美!」
俺とばあさんは泣いてあんたに抱きついた。
「5日…そんなに寝ていたのか」
意識を取り戻したあんたはばあさんの診察を受けながら、時間の経過に驚いていた。
「何をしても『うーん』とか言わなかったよ」
ばあさんは嬉しそうに注射の準備を始めた。
あんたは硬い表情でばあさんに話しかけた。
「…霊媒師を呼ぶとは本当か」
「本当だ…直弼は作物という亡霊に憑かれている、憑かれている限り霊障は消えぬ。
霊媒師に作物の心を慰めて、安らかに成仏させてやった方がいい。
つらいだろうが、今が作物を解放してやる時だよ…もう楽にしておあげ。
それが作物のためなんだよ…作物のために」
あんたは何も答えなかった。
表情もなく、ただじっと天井を見つめているだけだった。
あんたの熱は少し下がったようで、ばあさんもほっとしていた。
ばあさんはあんたに薄く炊いたおかゆを夕食に持って来てくれ、
俺を部屋から追い出してあんたの身体を拭き、髪を梳いた。
そうして隣の部屋にいるからねと言って、10時頃下がって行った。
あんたは少しうとうとし、俺はその寝顔を見ていた。
開けた障子の奥から月光が差し込み、座敷は青く明るかった。
あんたは寝返りを打ち、俺の方を向くと目を開いた。
「寝顔を見ていたのか…」
「うん」
あんたはふふと笑った。
月光はあんたの頬にも降り注ぎ、その頂に白を作った。
愛と憎しみは流れて混ざり合い、同義なる中庸へと合流する…。
俺はその光景にあの作品を思い出していた。
あんたは柔らかく言った。
「…おいで作物、入って来て」




