第41話 島津の子
第41話 島津の子
手紙にはあんたの作品が賞に選ばれた事が書かれてあった。
作品名は「『新井博物館 新井花特別展』にまつわる一連のデザイン」、
作者名は「株式会社井伊デラックス/井伊直美、島津豊久」。
「まじか」
「むきゅ。全国デビュー…こん島津豊久が! とうとう!」
「島津豊久とか亡霊が権威あるデザイン賞の受賞かよ」
「こん島津豊久の名がとうとう歴史に…嬉しかあ! デザイン賞ちわっぜすごかね、
関ヶ原で戦死した事よか、ずうっと皆に覚えてもらえっとね…おいはまこち嬉しかあ」
俺はこの受賞を素直に喜んだ。
島津豊久とか田舎武将は、井伊直美と共同作業する事で認められた。
それも死ぬ事ではなく、努力した結果として。
あんたはと言うと、いつも通りにこりともせず作業に俺を連れ戻した。
「こいはおまんさん努力ん結果じゃっど、もっと喜んでんよかろうもん」
「そんな暇はない」
あんたは顔を真っ赤にし、はあはあ息を切らせながらまたパソコンに向かった。
「…井伊直美?」
俺はポリ塩化ビニルの小さな手で、慌ててぴとりあんたの額に触れてみた。
熱い、熱がある。
「いけんが、熱があっと」
「構わぬ、続行する」
「いけん! 寝やんせ!」
俺はあんたの服をぎゅうぎゅうと引っ張った。
「それは出来ぬ…もう時間がない」
「納期け? そげんもんどうでん良か、早よ寝やんせ!」
「ならぬ!」
あんたはかっとなって声を荒げた。
珍しい、どうしたんだろう。
「今寝たらもうだめなのだ! 私はもう起きられない!
もうすぐ完成だ…完成までは殺されても横にはならぬ…!」
「おまんさ…」
「私は島津悠に育てられた、島津の子…!
憎んで愛は消えても、デザイナーの命は私の中にずっと流れ続けるんだよ。
私はこの作品に賭けている、この作品に技術も、感性も、全てを置いて行く。
島津さんが私や笠垣の中に置いて行ったように…!」
島津の子か…なんかすごくわかる。
どんなに嫌おうが、憎もうが、島津の命は俺の中に流れ続けている。
日常の何気ないしぐさに、物の考え方に、島津がふっと姿を見せる。
俺はそんなの残したくはないけれど…。
でももしガラスの小ビンで薬液に漬かったあの汚物が、流れずあんたの腹で成長し、
胎児になって、人としてこの世に産まれて来たならば、
その子も自身の中に島津をわずかにでも感じただろうか。
「…手伝う、続きば言うてくいや。そん方が早かと」
俺はパソコンの裏で走るプログラムへと飛び込んだ。
それから俺たちは作業にまた没頭していった。
色を構成するCMYKの最小単位、いやそれ以下の感覚レベルで色調を調節し、
1ピクセルごとにオブジェクトの配置を直し、何度も印刷してはチェックし、
また修正をとしつこく同じ作業を繰り返し、作品はだんだんに美を纏う。
コンペの課題は「明暗」だった。
今回は発案から俺に参加させ、実際の制作も俺が中心だった。
あんたはそれを監督し、細かな修正を指示していた。
企画の際、俺は「中庸」を提案した。
明暗は向かい合えば、中庸に合流する。
灰色のグラデーションを基調に、黒とピンクを用いたオブジェクト群を、
それぞれ反対側から、中央の白へと渦巻きながら集まっていくように配置した。
「…愛と憎しみはおんなじじゃっど、双極んごた見えてん同義ち中庸に合流すっと」
俺はパソコンから抜け出して、あんたに言った。
作品は翌日の朝方にようやく完成した。
「作物らしいな…お前はいつもそうほざいている」
あんたは作品のデータをDVDに焼いて、応募用紙をプリントアウトした。
そして住所などの情報を書き込んで行った。
発送の準備を終えると、封筒を俺に差し出した。
「作物、お前出して来い」
そう言って、あんたはようやく畳の上に寝転がった。
「じゃどん、おまんさ…」
「いいから! とにかく出して来い!」
俺はあんたに言われるまま、じいさんに付き添ってもらって出かけ、
彼に手伝ってもらって郵便局からその封筒を郵送した。
そうして家に戻ると、あんたの許へ直行した。
「おいこら、井伊直美…出して来たど」
1時間も経っていないと思う、あんたは俺が出かけた時のままだった。
「おいこら…」
俺が小さな手であんたの腰を揺り動かしても、あんたは動かなかった。
寝ている? 俺はあんたの頬をぺちぺち叩いてみた。
「うーん」と言った。また頬をぺちぺち叩く、また「うーん」と言う。
でも「うーん」としか言わなかった、頬が驚くほど熱い。
「じじどん! 井伊直美がおかしか! 病院!」
俺は博物館にいるじいさんに声をかけた。
…あんたは病気になったり怪我をしたりで、しょっちゅう倒れている気がする。
これが俺の望んだ不幸か…。
じいさんは博物館を休みにし、吉弘のばあさんに電話で相談した。
ばあさんは私が診るからタクシー飛ばしてすぐ来いと、そうじいさんに言ってくれた。
あんたは歩けず、じいさんは笠垣にも助けを呼んだ。
笠垣は事務所も近くだったし、何よりあんたの婚約者だった。
あんたを運んで自分の車に乗せ、吉弘の家へ飛ばした。
俺とじいさんはタクシーでその後を追いかけた。
「…ついてない子だね、あの怪我からまだそんなに経ってないじゃないか」
吉弘のばあさんは、あんたの様子に驚いていた。
…俺のせいだ、俺があんたを呪ったから。
俺が自分であんたの不幸を願ったというのに、それが何度も現実になったというのに、
俺はちっとも嬉しくない、そのたびに心ばかりが痛む。
俺はあんたを幸せにしたいと願っている…?




