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不毛の子  作者: ヨシトミ
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第38話 メメント・モリ

第38話 メメント・モリ


「直弼は面白い事を言う」


ばあさんは目を見開き、ははと笑った。


「…それは永遠の葛藤だ、私含む医療関係者はその事をずっと議論して来たが、

未だに結論がついていないし、これからも結論は出ないだろうね」

「私は自分の死を自身で決める事を悪いとは思わない。

この世に生を受けるか否か、それも自分で決める事が出来ればなおいい。

生きたいと願いながら死んで行った者の命を無駄するな? 

死んだ者の分まで生きろ? 他人の人生をなすり付けられるなど迷惑千万だ」


あんたは横目で冷ややかに俺をにらみつけた。

俺はびくりとして、思わず「ぎゃひ」と声をあげてしまった。


「作物だね…あの汚れたなりだと、作物は直弼を恨んでいるのだろう。

可愛い怨霊じゃないか、それが呪いでも愛に負けず劣らずお前を思っている」

「ばあさんまで作物と同じ事を言うか」

「同じだよ…笠垣のぼんよりも、ああいう子の方が直弼には合っているんじゃないか?

ほれ作物は亡霊だ、生きるも死ぬも同じ…一緒にお迎えを待ってみたらどうだね。

死はわざわざ自分で選ばなくとも、必ず向こうから来てくれるのだから…」


ばあさんは使用人を呼んで、お茶とお菓子を頼んだ。


「…ばあさんは否定しないのだな」

「本当なら否定しなければいけないところだが、直弼みたいな患者をたくさん見たし、

私自身も他人に言えぬ男の子を産んだから、わかるんだよ…。

無理に生きろなんて言えないね…直弼はどうして死を思うんだね?」


あんたはふふと笑っただけだった。

知りたい、あんたの過去を知りたい。あんたの全てを知りたい。

どうやってあんたは出来上がったの、俺と出会う前をどう生きて来たの、

何に喜び何に悲しんだの、誰を愛して誰を失ったの。



吉弘の家にはじいさんらだけでなく、笠垣も見舞いにやって来た。

午後の事で、ちょうどシゲどんも遅い昼食に帰って来ていた。

笠垣はばあさんとシゲどんに丁寧な挨拶をし、あんたにも優しかった。

傍目には立派な婚約者に見える事だろう。


「こいはわっぜか見舞いん品じゃっどな…さすが婚約者」


俺は笠垣豊久の差し出した、桐箱入りの粒の大きな白の葡萄を見て嫌味を言った。

くそ…俺じゃこんな見舞いもしてやれない。


「笠垣くん、直弼が結婚するとは言ってもこの身体だし…」


シゲどんはあんたの枕元に座る笠垣に声をかけた。


「俺は待ちます。それと…吉弘のお家は新井様のご実家にあたられます。

改めてご挨拶に伺いますが、この折に直接お願いしとうございます。

どうか井伊直美さんとの結婚をお許しくださいまし」

「私らは別に構わんよ、直弼の決めた事だから」


笠垣豊久は礼を述べて深く頭を下げた。

同じく頭を下げるシゲどんの横で、ばあさんはなんとも言えぬ顔をしていた。

シゲどんは病院へ戻り、ばあさんも下がってしまうと、

笠垣はあんたの手を握って泣いた。


「絶対幸せにする…妻も娘も死んでしまった、俺にはもう井伊さんしかいない。

最後の一人だ、昔からのつきあいはもう井伊さんだけだ」


そういや俺が笠垣を初めて見た時も、あんたとは初対面じゃなかったな。

同じ業界にいるライバルぐらいにしか思っていなかったけれど、結構古い関係なのか。


「笠垣…お前の異世界ファンタジーは、事務所を持っても一向に直らんな」

「会社にいた頃は島津さんに怒られてばっかだったよね、俺も井伊さんも。

『どこのラノベだ、キモオタが』、『印刷すればもっと赤くなるんだよ』…懐かしい。

…まさかだめな部下たちが婚約するとは、島津さんも思わなかっただろうね。

俺もあの頃は既婚者だったしね」


あんたは笠垣と同じ会社で、「島津さん」という上司のもと働いていたのか。


「変わらんな、あの人はそういう人だ」

「井伊さんは絶対島津さんと結婚すると思ってたけどな…島津さんが亡くなるまでは。

…井伊さん、まだ島津さんの事忘れていない?」

「いや、忘れたね…嫌いなまま死んで行ったから」


あんたは笠垣の手から自分の手を抜くと、ふとんを鼻まで被って目を閉じた。


「寝る、もう帰れ」

「…また来るよ」


笠垣が帰るとあんたはがばりと起き上がり、宙に漂う色付きの気体をじっと見た。


「そういう事だ、島津豊久。あきらめろ」

「おまんさ、笠垣と結婚するち本気け? 愛んなか結婚はいけんが…」

「結婚ぐらい構わん、一度結婚してやれば笠垣もそれで気が済むだろう」

「じゃどん、おまんさん心は…『島津さん』ち誰ね? おいやなかちゅうとはわかっちょっ」


俺はあんたの枕元でうつむいた。


「私と笠垣は会社の先輩後輩で、島津さんはその上司だ」

「昔ん男け?」

「まあな…でも死んだ人だ。会社と後輩らの間に入ったはいいが、少々アホ過ぎた。

会社を変えるどころか報復され、狂って自ら死んで行ったよ。

性格も変わって、最期はもう顔も見たくないほど嫌いになったね…。

島津さんが死んだ時、私は新しい男と手を取り合って喜んだぐらいなのだから」


それって…笑い飛ばす昔話じゃないだろ。

部下のために戦って死んだ男って、どこの島津の捨てがまりだよ。

性格が変わるほど狂うって、狂わなければそんな事出来やしないぞ。

あんたはどんな気持ちで見ていたのだろう。

愛した男が刻一刻と狂って、別の男になって死んでゆくのを。


「喜ぶち…!」

「それとも私が島津さんを殺せばよかったか?」


…あんたは狂ってる。

狂ったのは島津さんだけじゃなく、あんたもだよ。

島津さんの精神が日ごとに死んで行くのと同時に、あんたの精神もまた死んで行ったのだ。

俺はどうして気付かなかったのだろう、それが狂気だと。

薄い感情に、拒否する事のない関係、危機管理のなさ、だらしない生活…。

あんたは島津さんの狂死を受け入れられなかった。

きっと深く深く愛していた、狂うほどに。


「ぐらしか人…!」

「何がだ作物、私は少しも不幸ではない。不幸は自分の心が決める事だ。

自分を不幸だと思ったとき、人は初めて不幸になる」


アホかあんた…もうそれ以上不幸になる事も、傷つく事もないくせに。

俺はあんたの膝に伏せた。


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