第37話 近親
第37話 近親
「…おいは恋人やなかでね、ばばどん」
俺は恋人という単語に反応して、ばあさんに抗議した。
「これは…先ほどの作物、それが本来の姿か。
装備からして立派な武将だったろうが、なんとも見苦しい姿だね」
霊感体質は遺伝の要素が大きい。
ばあさんは新井のじいさんの実姉に当たる、俺の事が見えても何ら不思議ではない。
あんたはふとんの中からばあさんに話しかけた。
「…ばあさん、助けてくださった事を感謝します。こんな赤の他人なのに…とても心苦しい」
「なんの。直弼は紹鎮の実質の娘、実の家族以上の家族と聞く。
実質の父親の実家…うちが面倒を見るのが本当だよ、気に病む事はない」
「ばばどん、おいからも感謝しもす…」
俺も指をついてばあさんに頭を下げた。
「そういや、こん家はばばどんとシゲどんの二人け? 他ん家族ばちいとも見ん」
「うちら吉弘の三人姉弟は皆独り者だよ、結婚を経験したのは紹鎮だけだね」
「え…こげん良か家で?」
「結婚をしなくとも、子供は作れるんだよ」
ばあさんは注射の準備をしながら、ふふと笑った。
こんなでかい、ごついばあさんがどんな顔で子を成したんだよ。
「…紹鎮から直弼の身体の事は聞いている、今年の始めに流産したと。
あんたも他人に言えぬ男の子供を身ごもったのだな…私は産んだけどな」
「ばあさんもか…」
あんたはそう言うと、ばあさんの注射に顔をしかめた。
「結婚も出来ない男の子供だ、後ろ暗い不毛の子は実力の世界でしか生きられない。
今は別の病院に出しているが、吉弘の唯一の子だから跡は継ぐだろう」
「不毛の子…」
俺はガラスの小ビンの中の、薬液に漬かった汚物を思った。
あんたも同じ事を思い浮かべているはずだ。
部屋に灯りが付いているのを見たのか、シゲどんが部屋にやって来た。
「どうだね、直弼や」
「今ばあさんに注射してもらったところだ…ありがとう、シゲじいさんも」
「構わんよ。姉さんも疲れただろう、何か食べないか…直弼もみんなで」
シゲどんはばあさんの隣に座り、肩に手を置いた。
「直弼、今から用意してもらうけど食べられるか?」
「はい、さっぱりした物であれば」
「私も同じ物でいいよ」
食事を用意してもらっている間、シゲどんとばあさんであんたを食堂へ連れて行った。
新井の家では居間のちゃぶ台で食事をしていたが、
吉弘の家には板の間の食堂の中央に、中国の段通が敷いてあり、
紫檀で出来たテーブルと椅子が置かれてあった。
客の少ない家なのか、小さな食卓だった。
あんたは小皿をもらって出されたうどんとおにぎりを、少し取ってお供えにしてくれ、
それから吉弘の姉弟の会話に聞き入っていた。
仕事の事、じいさんの事、ばあさんの子供の事…。
じいさんがこの家を出てから、この姉弟はずっとここでこうして暮らして来たのだろうか。
二人とも結婚もせず、ばあさんの子を育てて暮らして来たのだろうか。
不思議な家だ、吉弘の家は。
二人は仲もいいし、お互いに助け合って思い合って生きているようだが、
果たしてそれで幸せだったのだろうか。
食事の後であんたを座敷のふとんに戻すと、シゲどんはばあさんにお休みを言った。
「お休み姉さん、今夜はありがとう」
「構わんよ、私も久しぶりに子供の面倒を見られて楽しいよ」
「本当だね…昔が帰って来たようだ、あの頃は辛くとも本当に楽しかったね」
シゲどんはばあさんの頬を両手で挟んで笑った。
ばあさんも乙女子のように、はにかみながらも嬉しそうに笑った。
…俺はばあさんの子の父親の正体に気付いてしまった。
「あのよう、井伊直美…おまんさも気付いちょっか?」
ばあさんも隣の部屋に戻って、あんたと二人きりになった時、
暗がりの中で俺はあんたの耳に囁いた。
「何をだ」
あんたも声を潜めて聞き返した。
「ばあさんの子の父親じゃっど」
「…いいじゃないか、それで」
あんたは冷たく言い放ち、それきり朝まで口をきかなかった。
色付きの気体は眠るあんたの顔をじっと見つめていた。
…俺は血縁の女なんて嫌だけどな、ぞっとするよ。
島津の家は血統を守るとかほざいて、代々家中で近親婚を繰り返して来た家系で、
妻も当然血縁の者で、俺とはまたいとこの関係だった。
そんな女を愛せる訳がないだろ、そんな女と子など作りたくもない。
吉弘の姉弟は違ったのだろうけど、俺は無理だ。
どんな遠い関係であろうと、俺の遺伝子が拒絶してしまった。
当然だろ、だってそれが生物の本能なのだから。
本能がより遠い遺伝子を求めてしまったのだから。
「不毛の子」か…確かに。
ばあさんとシゲどんの姉弟では、結ばれる事も他言も許されない。
まさに不毛の関係だ、俺とあんたの関係といい勝負だ。
子を孕んだ時、産んだ時、二人はどんなに非難された事だろう。
それでも心から愛し合って、この家で幸せに生きて来たのだ。
まるで生前の俺が夢に描いたように。
眠る必要もない、夢が叶う事もない亡霊は、指の腹で俗世と霊界の境界を撫でる。
庭の奥の空が白んで来、あんたの頬の輪郭を白で縁取った。
姉と弟だってそういう生き方が出来るのならば、亡霊は…だめかな。
生者と死者はさすがにだめだろうか。
あんたはそれからしばらくの間を、吉弘の家で療養した。
3日目に姉弟の子が顔を見せ、あんたの事をばあさんから聞かされると笑った。
「じゃあ、俺のいとこだ。紹鎮おじさんの娘なら、俺たちいとこになるよ!」
ばあさんに鎮実(しげざね)と呼ばれている、還暦近くのでかいおじさんは、
でかい腹を揺らして新しいいとこを喜んでいた。
吉弘の家はあんたを可愛がってくれているが、あんたは複雑な様子だった。
どこか申し訳なさそうな、苦しいような顔をしていた。
「ばあさん、これ以上はもう心苦しい。私みたいな者など…。
あのまま死んでも何ら惜しくもない身なのに」
6日目の午後、あんたは縁側で庭を眺めながら隣のばあさんに言った。
「いやあ…私はもう第一線を退いて時々しか診察しないが、一応医師だからね、
仕事柄命は放っておけないのさ」
「…医師ならばわかってくれるだろうか、命は救うだけの物ではないと」
「直弼?」
「その人生に苦痛しかない場合、死しか救う手段がない場合、
そして本人の明確な意思表示のある場合…」
あんたはうつむいて、迷うような探るような口調でばあさんに問いかけた。




