第30話 命とデート
第30話 命とデート
そうだ、このデートはあんたの戦だった。
行かねば、泣いている場合ではない。
俺は全生命体を殺してでもあんたを助ける、自分自身のために。
俺は色付きの気体に戻り、あんたについて出かけた。
あんたは近くの駅から地下鉄で待ち合わせ場所の新宿まで出る。
こんな田舎育ちの武将なんか、すぐに人ごみに流されてしまいそうだ。
あんたは威圧的に風を切って歩くけれど、俺は必死だった。
もしあんたとはぐれてしまったら、どこか別の汚れた戦ばかりの世界へと流されて、
なんだかもう会えなくなってしまうような気がした。
あんたは駅の近くのゲーセンで一服し、それから待ち合わせ場所に行った。
そこにはもう真田雪が来ており、あんたを見つけると胸の側で小さく手を振った。
「もう来ていたか」
「…会社、ちょっとだけだけど早退しちゃいました」
こまい女は頬を赤らめて笑顔になった。
「行こうか、何食べたい?」
あんたは真田雪の手を引いて歩き出した。
歩きながらこまい女はあんたの服装を褒め、香水の銘柄まで当てた。
女わっぜ恐ろしか…あんたの言う通りだよ、なんでわかるんだ。
俺の生きていた時代もその昔も、後宮や家中で女たちの争いはあった。
力を振るってさえいればよかった戦より恐ろしい。
あの井伊直政ですら、女にはびびってたもんな。
あんたは真田雪とこじゃれた洋食屋でメシを食べると、ホテルのバーへ流れ込んだ。
こまい女には甘いカクテルを二度三度重ねて頼んでやり、
あんたは彼女がそれを美味しそうに飲む様子を眺めるだけで、
自分はライムで割って振った、一杯きりの白濁したジンをちびちびと舐めて誤魔化していた。
あんたはあまり飲めない質らしい。
カクテルで陽気になったこまい女を、バーの下に取って置いた部屋に連れ込む。
あんたはキスのいたずらをキスで塞ぎ、彼女をベッドに寝かせる。
「…ねえ、博物館の作物…島津さんて、井伊さんの何?」
「知ってどうする」
あんたはこまい女の小さなブラウスのボタンを外しながら聞き返した。
「島津さん、なんかあたしを敵視してるみたい…井伊さんの彼氏なの?
なんか仲いいし、あの人と寝たの? わかるのよ、女だから…」
「…そんな関係ではない」
「嘘…あの人の匂いがしてる」
真田雪は腕を伸ばしてあんたを自分の胸に沈めた。
そんな関係じゃない…そんな程度の関係じゃない、俺とあんたは。
俺たちはガラスの小瓶の中で薬液に漬かった、不毛な汚物の塊の父と母なのだから。
400年以上もかけてやっと出会えた、因縁の宿敵なのだから。
矮小な女ごときが割り込んでいい関係じゃない。
「匂いて…そんな馬鹿な」
こまい女はあんたの腰を抱いて、空いた手で尻から内股へと滑るように撫でた。
「するのよ、井伊さんの身体から島津さんの匂いが…男と女のいやらしい匂いが。
あたしが消したげる、あたしが島津さんを忘れさせてあげる。
井伊さんて憎い人ね…でも好き、憎いけど好きなのよ」
今度は真田雪の方が上になって、あんたの服を脱がせた。
…初めて見る、あんたが演技でも抵抗するのを。
「井伊さんは女の中の女ね、この身体で男が欲しくない訳ない。
男がこの身体を求めないはずなんてない、こんな淫らな身体…。
島津さんに何もかもを見せたの? どうやって島津さんに応えたの?」
「違う、それは…」
「わかるのよ…ほら、今だって島津さんが見てる。感じるのよ、井伊さんだって感じてるくせに」
くそ、この女も俺が見えるのか…!
俺は突風になってあんたを突き飛ばし、真田雪から引きはがした。
「誘導ご苦労じゃっど、服ば持っせえどいとき井伊直美!」
「作物!」
「アリバイが要っと、また警察ん取り調べば見学ん行っとけ!」
俺はソファの上に脱ぎ捨てられた、あんたのジャケットの内側に入り込んだ。
武器ならある、俺は目であんたに教えた。
ところがあんたはベッドの上にあぐらをかき、たばこに火を点けて吸い始めた。
「邪魔しないでくれる? 島津さん…いえ、島津豊久」
「…上等じゃっどね、おいとやっけ?」
俺と真田雪はにらみ合った。
やはり彼女には俺が見えるのだ…霊能力者なのだ。
「お断りします、島津さんみたいな小さい男はお呼びじゃないの…臭いし。
井伊さんと新井博物館を訳あり物件にしないでくれる? 売れなくなっちゃうじゃない」
あんたのジャケットの内ポケットには槍先がしまわれてある。
俺も物になら憑依出来る…。
「真田雪、新井博物館も私も訳あり物件で構わぬ。
新井家桜田門屋敷の敷地は呪われた土地で構わぬ、私も呪われた女で良い」
「井伊さん! だめでしょそんなの…!」
「なぜなら我々新井家に売却の意思は毛頭ないからだ。それでも奪い取るか?
私を殺して奪えばいい…そうすれば島津豊久の呪詛の対象も移動する。
素敵だな! なあ! お前一生呪われるぞ! お前が訳あり物件だ!」
あんたはけたけたと大声をあげて笑った。
さすが敵の中の敵、あんたの笑いはこうでなきゃ。
あんたはズボンのポケットからナイフを取り出して、それを真田雪の手に握らせた。
「殺せ、敵将の首だ。なあマグパイ! 一羽の不吉だ!」
あんたはナイフを握らせた女の手を握りしめた。
その目は大きく散瞳しており、異様なほどのぎらつきを含んでいた。
素敵だよ、宿敵はこのぐらいでないと。
誰があんな矮小な女なんかにあんたを殺させるかよ、俺の敵だ。
俺はジャケットの懐の槍先に憑依した。
差し込みの尻に穴の空いた槍先が、鎖の尾を引いて女たちの間を切り裂く。
槍先は下を向いて滞空し、自分で自分に問いかけた。
「…おいは真田雪ばうっ殺してん良かかね、是か? 否か?」




