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不毛の子  作者: ヨシトミ
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第27話 ボランティアのおじさん

第27話 ボランティアのおじさん


「ほう…懐かしい名だね」


じいさんは振り返らずにそう言うと、客に礼をして離れた。

吉弘紹鎮…じいさん、「新井直花」じゃなかったのか。


「今は『新井直花』だよ…どうしたんだね、バブルの時代はもう遠い昔のはずだ」

「…懐かしいですね、あの頃はあなたもまだ『吉弘さん』で、

休日だけこの博物館を手伝うただのボランティアのおじさんだった」

「そのただのボランティアのおじさんを、今まで忘れずに覚えていてくれて嬉しいね」


じいさんは展示物のガラスケースを背に、ふふと笑った。


「そのボランティアのおじさんももうお年だ…引退はしたくないかね。

新井博物館…新井家桜田門屋敷を売却して、余生を楽に過ごしたくはないかね」


男たちは地上げ屋なのだ…。

新井家桜田門屋敷は、桜田門のすぐ向かいという素晴らしい立地だ。

そして歴史的価値も高い、不動産屋が欲しくない訳がないのだ。

彼らの前に文化財も関係ない。

きっとバブル時代にも彼らはここを狙って、新井家とさんざん揉めたのだろう。


「残念だがこの家は新井家の屋敷であって、私ひとりで売却の決定など出来ぬ」

「でも吉弘さん、あなたは新井家の現当主だ」

「確かに新井家は今も続いている、そして今後も続いて行く」

「馬鹿な、吉弘さんはお一人のはず」


じいさんは受付のあんたを呼ぶと、男たちを居間に通した。

あんたは手伝いの女の子と交代し、遅れて居間に入って来た。

男たちを見てあんたは台所に立とうとしたが、じいさんがそれを止めた。


「直弼、お茶は結構。すぐにお帰りになられる」

「どういう客だ、じいさんの知り合いか?」

「昔なじみだ」


じいさんは畳の上に横になり、足でテレビを点けた。


「…新井家は代々血縁ではなく、家中の者で後継を選んで来た。

養子から始まり、家臣、領民…皆が認める者ならば誰だって良い。

だからただのボランティアのおじさんでも当主になれた」

「どういう事ですか」

「つまり血縁で繋がらぬ新井家は絶えず、この先も続いて行くという事だ」

「次の当主はもうお決まりですか、吉弘さん」


じいさんは足でチャンネルを次々と回して、番組を選んでいた。

そして「おいは揚丸」の再放送で足の指を止めた。


「…私は井伊直美に新井家次期当主を打診する」

「私かよ」

「どうだね直弼や、このおじさんらを倒して新井博物館をやってみないかね。

作物と一緒に私の後、新井家を続けてみないかね」

「それがじいさんのためなら構わぬが…なぜ作物と一緒なのだ」


あんたは俺を睨むと、まずい物を食べたように顔をしかめた。


「良いではないか、一人より二人だよ」

「『作物』とは何ですか吉弘さん、井伊さんの配偶者か何かですか」


地上げのおっさんらは小太りの小さな戦国武将をじっと見た。


「むぎ! 『作物』やなか、おいは島津又七郎豊久!」


こいつらにまで作物呼ばわりはされたくない、俺は慌てて訂正した。

ちょうどテレビの中の揚丸も、「おいは揚丸じゃっど!」と敵に名乗りを上げていた。

じいさんは尻をぽりぽりと掻きながら、面倒くさそうにおっさんらに答えた。


「まあそんなもんだ」

「こんな子供を? いや、顔は大人か…矮小だな」

「えっ…おい配偶者やなかでね、てかまたおいがむすこばこまんかこまんか…!」


俺は顔を真っ赤にして抗議した。

あんたは真顔でじいさんに真面目に返した。


「いやそんなもんだじゃないだろ。無戸籍者に婚姻や相続はさすがに無理だ。

作物とやれとかよく考え直せじいさん、新井家が滅亡してもいいのか」

「売却しても新井博物館は存続しますよ、歴史的価値は高いですから。

我々マグパイ不動産もそこを売りにしたいと考えています。

吉弘さん、どうかよおくよおくお考えを…」



マグパイ不動産のやつらは、また来ますと告げて帰って行った。

俺たちも仕事に戻り、その続きを話し合えたのは閉館後の夕食時だった。

明日休館日だからと、じいさんがあんたを近くの天ぷら屋へ連れて行ってくれた。

俺はお供えしか食べられないので、色付きの気体で同行した。


「…まずじいさん、『吉弘紹鎮』とは本名か?」


あんたは大きな海老の天ぷらをさくりとかじって、じいさんを問いただした。

じいさんのセレクトだから、店も新井家のようにそこだけ古くて濃い茶色だらけだ。

知り合いの店らしく、職人のじいさんが「来たな」としめしめ顔をしていた。


「旧名だねえ、私は養子縁組で改姓改名したから戸籍上も『新井直花』だよ」

「へえ…養子縁組」

「昔は地下鉄の職員だったんだけど、父の友人が新井の先代でね、

子供の頃から可愛がってくれて、大人になってからも休日には出入りしてたんだよ。

…おじさんになってからは、『ボランティアのおじさん』としてね」


じいさんは自分の皿の海老天を箸でつまんで、あんたの皿に加えた。


「その『ボランティアのおじさん』がどうして当主に…?」

「誰もいなかったからさ、簡単な話だ。先代の直豊じいさんもまた独り者でな。

今で言う『絶食系男子』ての? 優しい人だったけれど、ちと大人し過ぎたね…」

「ひー」


直豊じいさんの話に、俺はなんだかいたたまれなくなってしまった。

生前の俺も直豊じいさんと同じく、正直色事には興味のない男だった。

親が家同士のもめ事の仲直りの道具にしなければ、

結婚はおろか、きっと女も知らずに一生を終えていただろう。

もしかしたら魔法使い、いや仙人、いや神になれたかも?


「新井の家はね、いろんな家が集まって出来た家だからそれでもいいんだよ。

新井家の存在そのものが、血ではなく愛や絆の証しなんだから。

そうやって皆で後継を選んで、ずっとずっと続いて来たんだから」

「して、その後継がなぜ私になる?」


あんたの皿の前、カウンターの内と外の境界に置かれた長方形の長い皿に、

職人のおじいさんが揚げたての新しい天ぷらを置いてくれ、

あんたはそれを奪うように自分の皿に取って、衣が静まりきらぬままかぶりついた。


「なんとなくだね…もっと見て見たいんだよ、ね? ぎゅうちゃんや」


じいさんは次を揚げる「ぎゅうちゃん」なる職人のじいさんに話を振った。


「そうだねえ…俺ももっと見たいねえ、井伊直弼がどこまで食べられるか。

今おいしい物をなくなるまで揚げて出して、季節が変わったらまたそれも全部出し切って、

新しい食材が出てきたらそれも揚げて…食べるところをずうっと見ていたいねえ」

「でしょ? ずっと見ていたいんだよ、直弼は。

もっと変化を与えてみたいんだよ、その変化を美味しく食べるところを見ていたいんだよ」


じいさんとぎゅうちゃんは、天ぷらを口いっぱいにほおばるあんたを見て笑い合った。


「ふうん…?」


ずっと見ていたい…なんかわかるかも。


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