第26話 それで満足か
第26話 それで満足か
「え…何ち」
「私を殺せと言っておる、分からんか島津豊久」
「そんな…そげん事」
「構わぬ、早う致せ。じいさんにこれ以上の迷惑はかけられぬ。
先ほどの冗談は恐らく本気だ、あんな足癖の悪いじいさんだがあれでも新井直花。
私が窮地に陥ればじいさんは結婚してでも私を守るだろう」
じいさんがあんたを大事にしているのはわかっていた。
あんたとじいさんは独り者同士、血のつながりこそなくとも共に助け合って生きて来た。
実の娘以上の娘、実の家族以上の家族なのだ。
笠垣豊久の出方によっては、じいさんも全力で戦うだろう。
結婚を阻止するのはいつだって結婚しかない、じいさんはそれも辞さないつもりなのだ。
「じいさんの気持ちは嬉しいし、じいさんの事をこの上なく大事な人に思う。
だからこそそんな迷惑などかけられぬ、結婚など誰のためにもならぬ。
形ばかりの結婚の虚しさはお前が一番にわかっているはずだ、作物」
「じゃどん、おまんさ…」
「結婚などじいさんにそのような苦しい事はさせられぬ。
例えそれが善意による形だけであっても、お前は必ず敵を取られた嫉妬に身を焦がす。
そしてその嫉妬は必ずじいさんを攻撃する、違うか島津豊久」
くそ…当たってる。
相手がじいさんだろうが笠垣だろうが、俺は必ず嫉妬に狂う。
あんたは顔を背けて、俺をぎろりと睨んだ。
「利害は一致している、私を殺すがいい。
元凶は排除するまで、私は笠垣はおろかじいさんも誰も選ばぬ。
私はお前を選ぶ、微塵も迷う事なくお前に殺される事を選ぶ。
お前も積年の恨みを晴らせて満足だ」
…実に見事。これが井伊直美か、これが俺の敵か。
まったくせいせいするほどの命の軽さだな、笑えるよ。
「私の首を取れ、島津豊久。慰霊のお供えだ」
「…おまんさん命は要らん、首も要らん」
あんたの首や命なんかで片付いてたまるかよ、400年の恨みだ。
俺はこの世の全生命体を排除してでも、あんたを生かす。
「何が気に入らぬ、敵将の首だ。私の首を取れ、満足しろ」
「おいはそげんもんちいとも欲しゅうはなか…」
俺は襦袢の襟を持ち、抜き衣紋の白い背中を覆ってやった。
なんとあっぱれな心なのだろう。
敵ながらあんたは本当に見事だよ、ここまでの者は戦国の武将にもそうはいないだろう。
「…命捨てがまっとはそげん簡単なもんやなかでね」
「簡単だ、お前に雑念が多過ぎるだけの事。だからいつまでたっても成仏出来ないのだ。
進路が死のみならば死すのもまた一興」
あんたは亡霊を背負って首筋に巻き付けて、きっぱりと言いきった。
もしもこの人が戦国の世にいたら、名を馳せただろうか。
女だからだめかな、武将にはなれないかな。
でもこれほどの女だ、どこかの有力な武将が必ずあんたを望む、渇望する。
「殺されるのではない、死にに行くとはどういう事かお前にはわからぬ」
「何ち、まるで死にん行った事でんあったごた…」
俺もそんな武将たちの間に混じって、あんたを求めただろうか。
あんたは死を選ぶように、俺を真っ直ぐ選んでくれるだろうか。
俺は背中からあんたを抱きかかえて、顔を覗き込んだ。
「…何ならば欲しい、言ってみろ作物」
あんたは腕を上げて俺の首に引っかけ、目を閉じて笑った。
熱を感じる、水を感じる、力を感じる、質量を感じる。
今夜はじいさんの魂を借りて実体化している、あんたは俺の腕の中で生きている。
全身であんたという命を感じる事が出来る。
俺はもう何も見えなくなって、命を貪り、燃料とした。
あんたは誰だって良かった、誰の事も愛してなどいなかった。
生きていようが、人形だろうが何ら変化はない。
ただ黙って命も身体も差し出すようなだらしない女だった。
それが決して俺を愛してしてくれる事ではないとわかっていた。
それでも俺はあんたが欲しかった、ただ純粋に欲しかった。
あんたが敵である事実も、戦国の武将だった過去も誇りも、遠い日に見た夢も、
何もかもかなぐり捨てて、俺はあんたを求めた。
あんたの呼吸が欲しい、体温が欲しい、声が欲しい、反応が欲しい。
唾液でも涙でも分泌される全ての体液が欲しい、全身で俺を求めて欲しい。
それが呪いでも俺はあんたの心が欲しい、あんたの愛の全てが欲しい。
勝ち取って、全力で潰すために。
「それで満足か、島津豊久」
あんたは冷たかった、息ひとつ乱さない。
腹の上に倒れ込む俺を真顔で否定し、無駄を宣告した。
それでも俺は嬉しかった、あんたは冷たさという反応を返してくれた。
俺はそれだけで十分に報われる。
「うんにゃ、ちいとも…もっと冷としやんせ、おいが事いじめてくいやんせ。
おまんさん心ん全てで、愛ん全てでおいが事拒絶してくいやんせ。
そいでおいはおまんさん事ずうっと憎み続けられっから…」
あんたはどかりと俺を蹴り飛ばし、ひっくり返った腹の上にまたがった。
無様な光景だ、小太りのおっさんが女の下でひいひい言っている。
「これでいいか」
「良か…」
「お前の望みはこれか、醜いな」
俺は下からあんたの腰を抱いた。
上半身を引き寄せると、重たい尻がぬるりと後ろへずれて行く。
「まこち嫌なおなごじゃっどね、憎っか、わっぜ憎っか…」
あんたは本当に憎い敵だ、最低の女だよ。
でもあんたは最高だよ。
永遠に恨んで憎んで呪って、俺はあんたの不幸と不毛だけを願い続けていられる。
たとえ千人の従順な美少女が、俺の目の前で脚を広げて待っていてくれたとしても、
俺はそれに目もくれず、真っ直ぐにあんたを選ぶだろう。
一晩に一人ずつでもいいから確実に殺して、徹底的に邪魔を排除するだろう。
そうして千一夜目、俺は必ずあんたの前に現れるだろう。
あんたをただ追いかけるためだけに。
本能には逆らえないんだよ、俺は男だから。
朝、じいさんに魂を戻してしまうと、俺はまた色付きの気体に戻ってしまった。
じいさんは風呂上がりのあんたと朝食を食べ、博物館を開けると、
やって来る来場客を皆で出迎えた。
そんな中に混じって、スーツ姿の年老いた男二人組がやって来た。
じいさんと同じ年頃だろうか。
怪しいやつらだ、井伊直政特大リボルテック魔改に入った俺は彼らの後をつけた。
男たちは受付のあんたから入場券を買ってきちんと入場し、
客に資料の説明をしている、作務衣姿のじいさんを見つけて歩み寄った。
「館長の新井直花さん…いや、吉弘紹鎮(よしひろ あきしげ)さんだな」




