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不毛の子  作者: ヨシトミ
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第25話 豊久の夢

第25話 豊久の夢


戦国の者の目に、島津豊久はさぞ温厚な、線の細い男に見えた事だろう。

自分の心を殺して、何もかも受け入れて来た。

誓いたくもないうわべばかりの忠義、行きたくもない戦、道具としての結婚。

そんな島津のおもちゃにだって心ぐらいはあった。


温厚な男の従順な心は無言の反抗となった。

戦やな何やらにかこつけて妻を置き去りにした。

側室も置かず、子を成さぬ事で家の滅亡を願った。

あの戦で徳川に楯突き、無様に敗北して、島津の家名に泥を。

自分の人生を自分自身のために、俺は夢を見た。


名も無き小さな家の小さな暮らしでいい、身分無きただの男でいい。

領土は猫の額ほどの借りた田畑でいい、城は掘建て小屋でいい。

卑しい身分の不細工な女でいい、心から愛せる女と出会って愛し合い、

自分の子を成し、槍を鍬に小さな暮らしだけを守って死んで行ければいい。

そんなささやかな夢を潰されて、どうして穏やかでいられよう。


憎い一族の末裔、あんたは必ずこの俺が不幸にする。

俺の不毛をあんたの身の上に。

誰にも邪魔はさせぬ、俺の敵は俺が守る、俺だけが独占する。

この強い思いを恋と笑われても構わない、俺だけが恨んで呪っていればそれでいい。

あんたに女の幸せなど要らぬ、女の不幸しか要らぬ。


桜田門の家の前であんたは車から降りて、庭の芝を踏んで家に帰る。

俺もそれを追いかけて、玄関の戸を通り抜ける。


「…お帰り直弼、どうしたんだねそんな格好して」


じいさんが居間で寝そべり、足でテレビのチャンネルを回していた。


「まあちょっとしたお呼ばれだ、ついはしゃぎ過ぎてしまった」

「何か食べるかい?」

「そうだな、あまり食べてなかったからな…」


じいさんはテレビから足を離して立ち上がり、台所に立った。

作り置きのうどんを茹でて冷やしにし、夕食の残りの煮物と一緒に出した。

あんたは部屋で髪をほどき着物だけ脱いで、襦袢姿で食卓についた。

じいさんがあんたの食事の一部を小皿に盛って、お供えにしてくれた。


「じいさん、始めに謝っておく。もし私のせいでじいさんに類が及んだらすまない」

「何の事だね、直弼や」

「笠垣に脅されている」

「は?」

「笠垣豊久の求婚じゃっど、じじどん」


井伊直政特大リボルテック魔改に入った俺は、じいさんの膝の上から言った。


「ほう…直弼もやりおるの、笠垣も直弼は見過ごしには出来ぬか。

して、直弼はどうしたい? 笠垣の家に嫁に行くのかね?」

「まさか、もちろん断るが…ただ、それだけでは済まないようだ。

裏工作の得意な笠垣豊久がどう出るか」

「そげんもんおいに任せちょけば良か」


出っ張った腹をじいさんに抱かれながら言う台詞ではないが…。

じいさんは可愛らしい事をと笑い飛ばした。


「作物が守るなら安心だ、でももしもの時は私にも考えがある」

「何ね、じじどん」

「じゃん! 私が直弼を書類上の妻にしてしまえば何の問題もない!」

「素敵な話だな、でもそれだとじいさん殺されるぞ」

「しまった」


じいさんは膝の上で不穏な霊気をごうごうと燃やす俺を見て、舌を覗かせ苦笑した。

そしてもう遅いからそろそろ寝ると、あんたに明日の仕事について話し、

それについて少し打ち合わせをし、席を立っておやすみを言った。


「直弼、私の娘…いつでも素直に甘えなさい、私にはそれに応えられる用意がある」

「じいさん…」


あんたは箸を置いてうつむいた。

じいさんが居間を出て行くと、あんたは食事を終えて片付け、

部屋に下がってふとんを敷くと上にごろんと寝転がった。


「おいこら、風呂ん入らんね」

「明日朝入る…」

「化粧ば落とさんね、肌が荒れっど」

「別にいい」


やはり俺が憑依したせいで消耗しているのだ。


「ごめん、おいが憑依したばっかいに…」

「悪いのは私だ、笠垣の話を断ろうとお前を利用した」

「そげん事どうでん良か…じゃどん命ば粗末んしたらいけんが」


俺は枕元に座り、窓の方を向いて横たわるあんたの背中を責めた。


「生きたか生きたか思もっせえけ死んだもんは、どげんなっと。

前ん出っとはそげん簡単なもんやなかでね…」

「じいさんはもう寝たか、作物」


あんたは不意に脈絡のない事を聞いた。


「寝たど、たぶん…」

「…じいさんの身体から魂を借りておいで、私を犯す時と同じように。

そうして博物館から刀を持っておいで、いい事をしてやる」

「え…」


あんたはいいからとしか言わなかったし、俺もどぎまぎしてそれに逆らえなかった。

俺はしぶしぶ色付きの気体に戻って、寝室で眠るじいさんの枕元に立った。

じいさんもあんたと同じ霊能力者だ、片方の鼻の穴から白い物が覗いている。

俺はじいさんのエクトプラズムを引きずり出すと、自分を実体化した。

そして博物館の荷物部屋に忍び込んで、使われていない刀を盗み出した。


足音と気配を忍んで暗い廊下を歩き、あんたの部屋に戻る。

あんたが俺に背を向け、膝を崩してふとんの上に座っているのが見えた。


「戻ったか作物」

「良か事ち、その…あの、おいと…」

「もっといい事だ」


俺は持ち出した刀をあんたの傍らにそっと置いた。

あんたは着ていた襦袢の襟を大きく抜き衣紋にし、背中の中ぐらいまで脱いだ。

背中を縦に分つ長々と解いた髪を手で片側にかき寄せて、身体の前に流した。

あんたはもう姥桜と言ってもいいほどの大年増だが、

こういうしっとりとした仕草を見せられると、あんたは女なのだと再確認してしまう。

あんたを通せば俺などただの暴力、つまらない男だ。


あんたは置いた刀を掴んで後ろへ送った。

そしてうつむいて首を丸め、うなじを頂に背中を山とした。


「私の命をやる」


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