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不毛の子  作者: ヨシトミ
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第16話 パントマイム

第16話 パントマイム


俺があんたの意識を時々抜いては、その間に何をしていたのかをあんたは知っていた…!

無意識の下に残る聴力は、その内容を知るのに十分だったという訳か。

たぶん子を宿した事にも気が付いていたのだろう。

あんたは何もかも承知の上で、黙って俺に身体を差し出し続けたのだ。

遊ぶ事と犯される事の違いも、その歳で子を孕む事の危険も、命が危険に晒される可能性も、

その何もかもすべて承知で。


「ごめん…ごめん…」


俺はあんたの枕元に座って、口を手で覆って涙を流した。


「憎い敵が女ならば犯す事は当然の手段だ、孕ませられればなお良し…。

でもそれは他の女の話、お前の見え透いた小細工など私には通じぬ」

「じゃどん、おまんさ命ば…」

「構わん、それで死ぬのもまた一興」


あんたは身体を起こしてふふと笑った。

俺は涙を小さい子供のように手の甲で拭った。


「一興ち、何ねそい…」

「細かい傷など気にするな、作物」


あんたは腹に添えていたあの白い手を伸ばし、俺の頬から耳朶にかけて触れるふりをした。

俺に触れる事は出来ない、ただ俗世と霊界の境界に触れているだけだ。

顔を傾け鼻と鼻を食い違わせ、あんたは言った。


「…おいで作物。パントマイムの時間だ、慰霊してやる」

「慰霊…そげんもん、おいは成仏なぞせんでね…」


あんたはそっと目を閉じた。

夜がないなら作るまで、俺も目を閉じた。

何でもお見通しのあんたなら、わかってくれるだろうか。

俺の心を読んで、俺のパントマイムに合わせてくれるだろうか。

頬に触れるあんたの手を取って、俺はそれを誘導するふりをした。


あんたの手は俺の手の動きに合わせて動いた。

胸、上腹部、腰、子のいた下腹部…悲しい城趾。

初めてあんたを犯した時と同じように、俺は泣いていた。

違うのはあんたが応えてくれる事、それだけだった。

俺たちはお互いに演じているのに、そこには事実しかない。


俺が動けばあんたはそれに応えて、俺に合わせてくれる。

もうそれだけで十分だった。

決して触れ合う事のないパントマイムは、あんたと同じくらい不思議だ。

触れていないのに触れるより感じる、心があんたという存在を感じている。

…だからあんたに俺が見えたのだ。

今、感じている俺にもあんたが見える、吐息が聞こえる。

肌の匂いがわかる、滲む汗の味がわかる、抱く身体の柔らかさに驚かされる。

死者の肉体の腐った器官たちは働き、それらの鮮やかさを一切損なわずに受け取る…。

官能とはこう言う事か、触れるのも感じるのも心だけでよかったのだ。


交わる事の本当の意味を一度知ってしまうと、あとはただ苦しいばかりだった。

あんたはまた元のあんたに戻ってしまい、取り付く島もなかった。

あの時あんたはどうしてそんな事をしてくれたのか、その理由に悩み、

それが決して、俺を愛してしてくれた事ではない事を嘆いた。

これがあんたの攻撃か、俺はまだあんたのへこむ顔を見ていないよ…。


あんたには物理的な攻撃など通じない、そして精神的な攻撃も通じない。

博物館の刀を供えてもらって、それであんたの首を跳ねてもきっと無駄だろう。

あんたは何の抵抗もなく斬られて、俺は何の手応えも得られないだろう。

俺もそんな首置いてかれても困る、なんだか呪われそうで嫌だ。


あんたの命を奪ったら、あんたも少しはへこむだろうか。

…いや、死もまた一興とかほざいているような女だ、それも徒労に終わる。

外を歩いていて朽ちた木の幹が、ビルの崩れた外壁が落ちて来ようが、

捨てた昔の男が、あんたに彼氏を取られた女が、ナイフ片手に襲いかかって来ようが、

あんたは物ともしない、新しい傷を纏って歩き続けるまで。


「…井伊直美、まこち恐ろしか!」

「一般的には亡霊のお前のほうが恐ろしいぞ、作物」

「おまんさば関ヶ原んあん凄惨な退却戦に、ぽーんち置いてみたらどげんなっとか…」


…だめだ! それはだめ過ぎる! おばさんはあまりにも最強過ぎる。

島津豊久とか死んで終わりの、ショボい一発屋ごときの話じゃなくなる、

超恐ろしい妻にびびってる井伊直政とかガチメンヘラも、腰砕けになってしまう。

捨てがまりどころか拾いがまりになって、無理矢理道をこじ開けてしまいそうだ。

鬼島津(笑)とか伯父の島津本隊も、井伊直美に貫かれて串刺しか?


「ひい! い…井伊直美んうっ殺されっ! 井伊直美が天下布武じゃっど!

井伊直美が関ヶ原ん合戦じゃっど、井伊幕府ば設立じゃっどね…ひい!」


俺は自分の想像に尻をついて震え上がった。


「何をくだらん事想像している作物、なぜ私が井伊直政に幕府など作る?

あ、でも井伊幕府なら島津豊久など一番に手討ちか? 悪くない…ふっ」


俺はむうと呻いて立ち上がり、あんたの散歩にまた付き従った。

あんたの行くところなら、俺はどこへでもついて行く。

ストーカー? そいで良か、上等じゃっどね。


「あのよう…あんた、あん時なしておいと…その…だからよ」

「気分だ」

「気分ち…! おいがあげん苦しか思いば…胸ばきゅう言いよったど、おいは苦しか」

「私は誰だって構わぬ、小賢しい真似はするな作物」


あんたは道路を渡って、皇居の堀に沿って歩く。

あちこちに植えられてある桜の木々が春を孕んでいよいよ赤い。

春の臨月か、この桜は。


「ほんなら…もし…」


前を歩くあんたを追いかけながら、涙がこぼれた。

もし俺があんたを正々堂々と求めたら、あんたはそれに応えてくれるのか。

あんたの事だ、拒みもせず黙って俺をただ受け入れるだろう。

でもそれは決して愛などではない、あんたは拒みはしないが俺を思う事もないのだ。

…切ない、こんな物思いがあるなんて知らなかった。


「あれ…井伊さん?」


聞き覚えのある男の声にあんたは振り返った。

そこには笠垣が女連れでいた、笠垣のくせに。

15、16歳ぐらいか、ずいぶん若い女だな。

オタ受けしそうな黒髪ストレートロングに、前髪の横がちょろちょろうっぜえよ。

棒切れみたいな身体は華奢アピールのつもりか、色気もクソもねえな。

ひょろいヒキオタニートの笠垣にはお似合いだ。


「笠垣か…何をしに来た」

「久しぶりだね…ちょうど娘の合格発表があってね、受かったからごはんに行こうかと」

「娘かよ」

「えー、俺これでも36ですよ? あ、今年で37か。もうやだなあ井伊さんは…。

いろは、こちらはお父さんが仕事でお世話になった井伊さんだ。ご挨拶なさい」


笠垣はヒキオタニートのくせして、いっちょまえに父親面をした。

「いろは」なる娘ははいと答えると前に出て、あんたにぺこりを頭を下げた。


「笠垣の娘のいろはと申します、井伊さんには父が大変お世話に…」


その若さでそんないっぱしの口をきくなど、どこの姫君だよ。

さしずめ「いろは姫」ってとこか、ああコラ? 

俺はそのいろは姫をぎりぎりと思い切り睨みつけた。

するといろは姫と目が合い、彼女ははにかみながら微笑んだ。

まさか、こいつにも俺が見えている…?


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