第13話 心の月
第13話 心の月
じいさんの家を出ると、夜空には冬の星がぽつりぽつりと光っていた。
戦国の夜空とは違って、ここでは星も稀なくらいだった。
あんたにとっては星空も救いか。
終電間近の電車に乗って、自宅の最寄り駅で降りる。
駅前には飲み会か何かの若いやつらが、酒に浮かれて騒いでいた。
あんたは手をつないでホテルに向かうであろう、カップルとすれ違う。
「…あんたは淋しゅうなかけ、今宵はクリスマスイブじゃっど。
なして男と過ごさん、なしていつもんごたいちゃこらいちゃこらせん」
「独りなのは何ら構わんが、臭いクリスマスイブはごめんだ」
「ああん! 臭かち言うな!」
俺という色付きの気体は、あんたの周りを散々ぐるぐる周り、
足手まといとなってあんたの進行を阻んだ。
「なして独りでん淋しゅうなかかね、おなごん幸せは愛されっ事、
そげんおいが呪うちょっが、ちいとは淋しがりい…」
「…それだけか作物、小さいな」
「ぶひょ。おいがむすこばこまんかこまんか言うでなか! ちゃあんと太てなっど!」
あんたは夜の道をひとり歩く。
どんなに暗い道だって、あんたは灯りがあるように歩く。
少しも迷わない、少しもつまずかない。
「なしておまんさは…」
そう問いかける俺の方が切なくなってしまった、泣きそうだ…。
あんたは冬の晴れた夜空を見上げて微笑んだ。
「まあ…心の月てやつだな、『曇りなき心の月を先立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く』だ」
「何ねそん歌」
「伊達政宗の辞世の句なのだが、お前のずっと後の歌だから知らないと思う」
くそ、伊達政宗め…俺には辞世の句などなかったぞ。
時を経てあんたにそんな歌を歌わせるとは許せぬ、殺しに行きたいわ。
「ぐぎぎ…殺す、伊達政宗うっ殺す」
「無理だな、島津豊久ごとき小物に伊達政宗は殺せぬ。あきらめろ作物」
「ごとき! 小物! だからよ、おいがむすこばこまんかこまんかち…!」
あんたは俺など放置してまた歩き出し、俺はあわててそれを追いかける。
俺はあんたを追いかけてばかりだ。
一体いつになったら、俺の思い通り呪われてくれる?
俺は家の近くの神社の入口で、むきゃむきゃ言いながらあんたにまとわりついた。
あんたはそんな俺を振り切って先を行く。
「呪われえ! さあ、おいが手に落ちっせえ淋しゅうけ死みい!」
むかついた俺はオーブを大量に召喚して飛ばした。
透明度を持つ白い球体は舞って闇を埋め尽くし、トレンチコートの裾を巻き上げて、
あんたの視界を白く染め上げた。
「どげんね、ホワイトクリスマスじゃっど! 孤独ん淋しさじゃっど!
おまんさは淋しかおなご、不毛んおなごじゃっど…!」
「…くだらん」
あんたはオーブをひとつ掴むとぐしゃりと握り潰し、肉の塊のように食いちぎると、
それを俺に差し出した。
「私は決して淋しくはならぬ」
俺は下からすくうように、あんたの手ごとオーブを受け取った。
触れも出来ない手が淋しかった。
「おいは必ずおまんさん事淋しゅうさせっど、不幸ん、不毛んすっど…」
目を閉じて、唇を寄せて、俺は握るふりをした手に誓う。
あんたの一生を淋しい、不幸なものにすると。
あんたの一族はあんたで終わりにすると。
誰にも邪魔などさせない、俺だけがあんたに涙を流させると。
「それはお前の夢に過ぎぬ作物、私を不幸にするなど永遠に出来ぬ」
月明かりに照らされた、部屋の姿見にあんたの無様な姿が青く映る。
俺は眠るあんたの顔を持ち上げて、鏡によく映るようにした。
見ろよ、こんな小物に背中を取られて、腰を持ち上げられ犯される姿を。
さっきまでむかつく口を叩いていた女がざまあねえな。
俺はあんたを抱きかかえて座らせると脚を開き、手を取って指を導いた。
人形あそびなど虚しいとわかっている、あんたは市場の鮪にも劣ると知っている。
でも亡霊はこんな事でしかあんたを言いなりに出来ない。
死ぬ事でしか自分の存在を示せなかった戦国とどう違う?
俺のやっている事は全くの無駄だ、何の実りもない。
それでもほんのわずかに得られる、あんたを征服出来る喜びは何物にも代え難い。
眠るあんたは薩摩の属国などではない、俺の治める国だ。
あんたは正月も新井のじいさんと過ごす。
新井家の新年会だけあってさすがに二人きりではなく、関係者らが大勢集まった。
さすがそこは江戸の頃より続く旧家、大河ドラマの主人公が出る家か。
あんたを連れて、じいさんは挨拶にあちこちを回る。
ずいぶんと正式な挨拶回りだ…じいさんは本当にあんたを大事に思っているのだな。
あんたも和服姿での挨拶回りは疲れたようだ、顔色が良くない。
「新井ん家ん新年会はまこちすごかね…テレビで見っ顔がようさんおっと」
休憩に台所へ戻ったあんたの耳にこそりと話しかける。
「じいさんはああでも、新井家は徳川の時代に大勢の老中や大老を輩出した名家だ。
規模も歴史も島津には劣るが、勢いは今も続いている」
「そんじじどんはおまんさん事ずいぶんご寵愛じゃっどな…。
確かじじどんにゃ子はおらん、おまんさが実質ん娘じゃっど」
「何が言いたい作物…」
あんたはそう言いかけると、顔を歪めてうずくまった。
「おい! こら! どげんした?」
「痛い…!」
脚の間から血が流れて、あんたは出来た血だまりの中に倒れ込んだ。
血だまりはどんどん大きくなって、面積を増していく…。
あんたはとうとう意識を失った。
どうしよう。
「おい! こら! 井伊直美! 起きい!」
俺はあんたの側にありながらも何も出来ず、ただうろたえるばかりだった。