第10話 毎日のパン
第10話 毎日のパン
亡霊など所詮色付きの気体だ。
パソコンなら直接触れなくとも、プログラムに干渉すれば操作出来る。
俺はノートパソコン側面のポートから内部にアクセスした。
そしてターミナルに干渉して、まずルート権限を取得する。
それからアプリケーションに干渉して、コンピュータを走らせた。
コンピュータは0と1、それだけ。後は条件で分岐して行けばいい。
俺にはそれがわかりやすかった。
「…ロジックマスター? いや、遠隔ではなく直接干渉しているのか」
あんたの目にはノートパソコンが、無人で勝手に動いているように見えるのだろう。
まるでバッチ処理の実行中に見えるのだろう。
「やっぱり霊だからパソコンは得意なのだね…直接内部に触れられるから」
「…出来たど、『プレゼン』ば始めっで」
俺はプログラムの中から完成を宣言した。
「始められよ」
「そいじゃ『井伊直美呪詛プラン』ばこんおい、島津又七郎豊久が提案しもす。
I propose a lovely cursing planじゃっど! 覚悟しやんせ!」
俺はパソコンを内から操作しながら、プランの内容を話し始めた。
「まず一日ん始まりん夕方に、ポルターガイスト現象で起こっせえ、
起床時はおいが寝ちょっ井伊直美に乗っかっせえ金縛りば…」
「バカか」
「ああん! 議を言うな! 続きば聞きい!」
パソコンからテキスト読み上げ機能のために用意された、ささやき声が大音量で流れた。
新井のじいさんは大爆笑のあまり、声になっていない。
俺は「プレゼンテーション」を続行した。
「…つまり! 最終的に井伊直美は生涯子なしん不毛になっと!
そいで一族は井伊直美が末代! 滅亡じゃっどね! んぷう!」
俺が鼻息を荒くしている前で、あんたは手を挙げた。
「じいさん、私からもひとつ提案が」
「何だね」
「のこのこやって来た作物を効率良く収穫する、『島津ハーベスティングプラン』だ。
収穫の後は解体して調理し、じいさんと美味しく収穫祭としたい」
「解体! ぎいやあ!」
新井のじいさんはふふと微笑み、そして言った。
「収穫のためには仕事をしなければ…直弼、手が空いているならひとつ仕事してみんか?」
「どんな仕事だ?」
「新井花の大河ドラマ化が内定した、この新井博物館でも関連イベントを予定している。
そのイベントに使う印刷物などのデザインを頼みたい」
「じいさん…感謝します」
あんたは改まって礼を述べた。
「納期までは時間があるが量が多くて一人では難しいと思う、島津の作物と協力しなさい」
「は? じいさんいよいよボケたか?」
「直弼も見ただろう、作物の力を…今こそ作物を恵みとする時ぞ。
直弼がデザイン案を考えて指示を出し、作物が実際の作業を行う、
株式会社井伊デラックスに有能な新人オペレータだ」
仕事…それはつまりあんたが忙しくなるという事。
男との接触を遮断して、世継ぎ懐妊の機会を奪うという事。
多忙で体調も崩してくれると、不妊につながってなおグッドだな。
素敵だ…じいさん、あんたの提案が一番魅力的だよ。
「やりもす! じじどんまこちグッジョブじゃっどね!」
「乗ってくれるかね、作物や…これから納品まで毎日お互いの力を分け合うのだよ。
きっと毎日のごはんやパンのような、ありがたい恵みになるよ…」
「おいは飯やパンにされっとか…」
あんたは俺をじろりと睨みつけた。
「そうだな…家畜も作物の一種、使役もまた作物の用途だな。
良かろう、使役してやる。足を引っ張るな作物」
それから遅くまで新井のじいさんと納期や料金など仕事についての、
細かい話し合いが行われ、終電ぎりぎりで家に帰った。
あんたは臭い臭いと言いながら、風呂で壁のしみをぎゅうぎゅうとこすって、
それからじいさんから借りて来た資料を読み始めた。
「で、新井ん花ちどげん人ね? おなごち言うけんど…」
俺はぎゅうぎゅうこすられて充血しきったまま、赤い顔であんたに聞いた。
「新井花は新井家の第二代目当主で、初代当主新井直政の事実上の妻にあたる。
女ながら二代目当主に選出され、普通ならば男装なり男名を名乗るなりするところ、
新井花は女人である事を隠さずに出仕し、大老まで登り詰めたのだ。
逸話としては、前夫の井伊直政を完全制圧したとある」
「花さあは直政んあん超恐ろしか奥方じゃったか! わっぜ恐ろしか! ひい!」
井伊直政の妻の恐ろしさは当時よく聞こえており、俺も聞いている。
おなごひとりにびびってるような、デブのおんじょごときに負ける気はしない。
「そんなに新井花は恐ろしかったのか?」
「恐ろしか。じゃどんおまんさも恐ろしか、どっちが恐ろしかね…」
俺はあんたの右耳に手を添えた。
そして左耳の穴から覗くエクトプラズムをつまんで引っ張った。
…俺はあんたより自分自身が怖い。
意識のないあんたは虚しい砂だ、それでも無条件に俺は砂地に飛び込んで行く。
そんな自分の心に流されてしまいそうで、俺は怖い。
新井のじいさんより引き受けた仕事は始まり、あんたが案を作って指示を出し、
俺がパソコンに入り込んでそれを形にする。
「だめだ、だめ過ぎる。なんだこの画像は、赤過ぎだろうが!」
あんたの指示は細か過ぎる。
傍目に俺の出した画像は赤くはないはずだ。
これが赤いとか、一体どんな目をしてるんだ。
「印刷するともっと赤くなるんだぞ、考えろ作物!」
「ああん! そんなあ! ひどか! おまんさは鬼じゃっど、鬼! こいんどこが赤かと!
赤、赤、赤…井伊ん赤鬼ちこん事じゃっどね、わっぜ恐ろしか…! むきい!」
俺はテキスト読み上げ用のサイバーパンク風音声で抗議した。
あんたは声にならぬ笑いに腹をよじった。
新井のじいさんはかなり前もって発注してくれていたようで、
納期まで長い時間を与えてくれた。
あんたは時々俺に伴を命じて、桜田門の民家…いや屋敷へチェックを受けに通う。
そんな折に新井のじいさんが居間の物の山から、大きな書類封筒を足で引き寄せた。
「そうそう、直弼や…私が時々出張して、武具や刀剣の面倒をみている美術館から、
こんな物をもらったんだけど、直弼も行って見るかい?」
それはあんたが降ろされた国の美術館のイベントのパンフとパスだった。