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るてんの狭間でまた会おう

目が覚めた時には、薬品の匂いと真っ白な天井しか認識出来なかった。

キシキシと痛む体に眉を寄せながらも、点滴が打ち込まれている腕に力を込めて体を起こす。

上半身を安そうなベッドの上で起こし、深く息を吐く。

何だか、酷く長い夢を見ていた気がする。


ゆるりと向けた視線は、天井の隅へ部屋の隅へ。

ベッド脇の小さな棚の上には、部屋と同じ真っ白な花瓶があり、そこには綺麗な花達が鎮座している。

白いガーベラ、黄色のマリーゴールド、青い薔薇、紫の菫、ピンクのかすみ草、どれも綺麗で生き生きしているが、バランスが悪い。


瞬きをしてバランスの悪い花瓶の横に置かれた、一冊の本へと目を移す。

点滴の管が繋がった腕を伸ばして、その本を手の平に収めれば、そこそこの重さが伝わる。

少しばかり重力負けをして落としそうになるが、しっかりと握った本を膝の上で開く。


少し色褪せた固い革の表紙を撫で、開いた先には見覚えのないタイトル。

これは、ボクの本じゃない。

並ぶ文字を頭に入れて、物語を読み込むようなことはせずに、ただひたすらページを捲っていく。


柔らかな文章と振り仮名は純文学などではなく、児童書よりのものだ。

時折思い出したように挿絵が入っている。

日本昔話のような絵柄ではなく、海外の何たらラビットだとかそういう絵柄に近い。

白いワンピースに真っ赤なパンプスの女の子が、教会へ駆けていく挿絵を見ながら、ゆるゆると本を閉じる。


古い紙とインクの匂いが薬品の匂いと混ざり合うのを感じて、鼻を上下に動かす。

五感を働かせるのは久々らしく、いつもは何の主張もしない胃が、グルグルと音を立てた。

溜息を吐き出しながら、ベッドサイドに投げ置かれたボタンを手に取り、親指で押し込む。


「……また、死ねなかった」




***




退院してから半年強くらいで中学校を卒業。

ほぼ軽傷と言って良かったボクの体は、相も変わらず自殺未遂の癖に五体満足。

但し一年近く寝ていたらしいけれど、多少筋肉も体力も落ちたらしいが、元より運動能力は低いので問題なし。


決して頭は良くなかったものの、必死で詰め込み補習講習を受けまくって、卒業した。

因みに学校の屋上から飛び降りたことで、色々問題にもなり、あーだこーだとあったが割愛。

母親にはしっかりと拳骨を受けた。

勿論、幼馴染み達にも愛の鞭とやらを受けた。


何とか高校受験にも成功し――そもそも成功出来る場所を選んだのだが――セーラー服からブレザーへと制服が変わる。

頭から被り、横にあるチャックを締め、スカートを履くだけで良かったセーラー服とは違い、ワイシャツを着て、ネクタイを締めて、重みのあるブレザーに袖を通し、スカートにはしっかりとワイシャツを仕舞い込む。

実にやることが増え、面倒な制服である。


キュッと締め上げたネクタイで首が絞まった。

首を吊っている時に感じるそれを一瞬感じて、渋々学校へ行こうとしていたのに気分が下がってしまう。

あぁ、死にたい。

声に出すことなく鞄を持ち上げる。

残念ながら入院したとしても変わらずに、ボクは死にたくて行動に移していた。

怪我一つせずに失敗したのを見て、文ちゃんが眉を寄せながらも「今日も平和ね」と言ったのを今でも覚えている。


「行ってきまぁす」


今日も変わらずに声を掛けて家を出る。

ひらりと靡くプリーツスカートは、セーラー服の素材とは少し違う。

はぁ、溜息混じりにカバンを持ち直せば、中で何かのぶつかる音。

中に入れてあるものを思い出し、足を止めようとしたところで、煙たさに噎せる。


けほこほ、咳と一緒に涙が出て、顔を上げれば今しがた横を通り過ぎようとしたスーツ姿の男が、煙草を咥えたまま振り返った。

「ごめんね。煙かった?」なんて柔らかい言葉だけれど、煙以前に歩き煙草が問題だ。

目を細めて、頭一つ分以上は高い位置にある顔を睨み上げる。


黒よりも濃い漆黒と呼べる髪色は、作り物のようで、パッキリとしたスーツはリクルートスーツよりは高そう。

薄い唇に挟まれた煙草は細く高く煙を上げる。

やたらと整った顔立ちを見ながら、こちらを見下ろす薄い栗色を見て、黒髪を見た。


「……お兄さん?」


訝しげな声にも関わらず、目の前の人は、緩く笑いながら、煙草を指に持ち変える。

あっはっはっ、芝居掛かった笑い声の後には「久し振り」と言われた。

聞き覚えのある声に、見覚えのない黒髪。

開いた口が塞がらない。


「おチビちゃんの明日は今日だったんだ」


「いや、まぁ、え?その髪、何ですか」


最後に別れた時に、また明日、なんて声を掛けられるのは毎回のことだったが、今はそれどころじゃない。

持っていた鞄が地面に落ちる。

チャックが開いていたらしく、中身が少し出てしまった。

お兄さんはそれを見ながら、また、笑う。


口を開けて笑うものだから、煙草が落ちそうになるのをフィルターを噛むことで阻止した。

そうして笑った状態で、鞄から飛び出した本を拾い上げ、何故かその本を小脇に抱え、鞄だけ手渡してくれるお兄さんは「読んだ?」と得意気。


「いや、読みましたけど。読んだけど」


「そっか」


「じゃなくて髪の毛の話ですよ。髪の毛、色」


満足そうに頷くお兄さんは実にマイペースだ。

ゆらりゆらりと揺れる煙が、視界を曇らせる。

煙の奥ではお兄さんが笑いながら本面白かっただろ、の後にやっとボクの言葉に答えてくれた。

「来世っぽい?」という、年上とは思えない言葉だったけれど。


金髪が地毛だと思うくらいには、黒髪が絶望的に似合ってないお兄さんを前に、眉を寄せて「来世かは分かりませんけど」と言っておく。

それでもお兄さんは笑ったままで、セーラー服からブレザーに変わったことを口にして、似合うよという言葉と共に、崩れたらしいネクタイを締め直してくれた。

自分でやった時とは違い、首吊りの感覚を感じることはなかったが。


「ところでおチビちゃんは、手紙の時はちゃんと私なんだね」


「そりゃあ、ボクだって手紙は気を使います」


大声で笑ったお兄さんは、フィルターを噛んで落とさないようにしていたはずの煙草が地面へ転がる。

コンクリートを焼くように、赤い炎が見えたけれど、お兄さんは高そうな革靴でそれを踏み付けて消し去った後に、携帯灰皿の中に投げ込んだ。


「おチビちゃんの来世はまだまだ先だね」


そう言って笑ったお兄さんの黒髪は、翌日になれば太陽に透ける元の金色に戻っていた。

相も変わらず明日はやって来るし、来世はやって来ないらしい。

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