てがみに書いたのは全て嘘
深い息と一緒に煙を吐き出して、それの消え行先を見送った。
タバコを持つ手の方に巻き付けた腕時計は、既に五時過ぎを指している。
今日は来ないかな、なんて目を細めていると複数の足音が聞こえて、首を動かす。
見覚えのない子供が三人、見覚えのある制服を着ていた。
ふぅ、と煙を吐いて、まだ半分も残っている煙草を携帯灰皿に押し付ける。
か細い煙が消えるのを見届けた後に、投げ込んで懐に仕舞い込めば、見覚えのない子供三人は俺の前まで来て立ち止まった。
「……こんにちは」
顔を上げ、緩く笑って見せれば、三人のうちの一人が一歩前へ出た。
前に出て来たのは、真っ白な封筒を持った癖の強い髪の女の子で、黒縁眼鏡の奥から俺を真っ直ぐに見据える。
その後ろに立つ女の子は、嫌に派手な燃えるような赤の髪で、髪色とは真逆とも言える自身のなさそうな、眉と目を垂れ下げた不安そうな顔をしていた。
三人の中で唯一の男の子は、男の子にしては長めの髪で片目を隠して、見えている片目を細めている。
「君は、文ちゃんかな」
何度も何度も繰り返し聞いた名前は、忘れようとしてもなかなか忘れられるものじゃない。
眼鏡の女の子は特に驚いた様子もなく「そうです」と、機械的な返事をくれる。
おチビちゃんより可愛げが足りない。
おチビちゃんは頭の良さそうなことを言う割に、結構自分勝手な発言や信念を持って進むから、馬鹿な子ほど可愛いと思えるのだけれど。
肩を竦めながら、次に赤い髪の女の子を見て「君はMIOちゃんだ」なんて言えば、赤い髪の女の子の不安そうな顔は、もっと不安そうになる。
くしゃりと音が聞こえそうな感じで、表情が歪むのを見れば、まるで苛めているみたいだ、俺が。
次に視線を向けた唯一の男の子には「オミくんだよね」と言って、その目が更に細くなるのを見た。
赤い髪の女の子と言い、唯一の男の子と言い、なかなかに警戒心が強いらしい。
下手に動けば警察でも呼ばれるんじゃないかな、なんて。
「あの子は、慣れるとお喋りですから」
「内弁慶なんだろうね。そんなおチビちゃんが可愛いと思うよ」
眼鏡の女の子は、俺の方をしっかりと見てそう言うから、俺も目を見てしっかりと答える。
人見知りと言うか、内弁慶と言うか、線引きがハッキリクッキリし過ぎているのは知っていた。
出会った頃は、赤い髪の女の子や唯一の男の子のように、警戒心を剥き出しにしていたのを良く覚えている。
背中を丸めて毛羽立てる猫みたいな。
目を細めて笑ってみたが、おかしいなぁと思う。
表情こそ崩さないままで、違和感の糸を引っ張り、独りでに手繰り寄せるのだ。
おチビちゃんが来る時はいつも一人で、大切だという幼馴染みの話はするが、その姿も写真も見せてくれたことはなかった。
そんな子達が、おチビちゃん無しで俺に会いに来る。
背中を丸めて、膝に肘を置き指を組む。
煙草の煙を見ながら、死にたい死にたいと言い続けたおチビちゃんの横顔を思い出す。
また明日、の明日は、いつだろうか。
「あの子は来れません」
頭上に落ちて来た声は、おチビちゃんと同い年――つまりは中学生のものには聞こえない。
ピシャリ、そんな効果音の似合う声だった。
俺は肺に溜まっていた二酸化炭素を全て吐き出し、代わりに酸素を深く吸い込む。
誰一人身じろぎすらしない、世界から隔離されたような空間だ。
「来れない。一時的なものか、半永久的なものなのか、聞くだけ聞いても良いかな」
指を組んだまま、顔を上げれば、眼鏡の女の子は真っ白な封筒を見下ろしながら口を噤む。
薄い唇が真一文字に結ばれているが、無表情。
一切の感情が見えないので、やはり中学生らしくないな、と思う。
「どうでしょうかね」
「……そっかぁ」
沈黙を挟み、選び取った言葉は濁すもので、詰まるところはどっち付かずの言葉。
はぐらかすのが上手かったかと問われれば、否。
これは中学生らしい、一人で納得してしまう。
目を細めた俺を見て、赤い髪の女の子が、眼鏡の女の子の制服を引っ張った。
それに気付いた眼鏡の女の子が視線を向けたのと同時に、唯一の男の子が動き、封筒をひったくる。
微妙に皺になっているそれを、何故か俺に押し付けるものだから、反射的に受け取ってしまった。
表裏と引っ繰り返してみても、宛名などは書かれていない。
「じゃあ、俺達帰るんで」
吐き捨てるようにそう言って、身を翻すのを前のめりになって止める。
片手には封筒、逆の手では学ランを掴む。
「うん、ちょっと待って」
力を込めて引き止めれば、踏み出そうとしていた足が宙に浮いたままになり、俺を見た後にはゆっくりと下ろされ、両足の位置が揃う。
女の子達の視線も俺に向けられている。
三人分の目を向けられながらも、ベンチの傍らに置いておいた一冊の本を手に取った。
指先に馴染む硬い素材。
開いた時に感じるインクと紙の匂いに、しっとりと肌に吸い付くような紙の質感は、きっとおチビちゃん好みだろう。
表紙が色褪せているのは年月によるものだが、本自体の日焼けは少ない。
「これ。渡しておいてよ」
差し出した本を三人は見つめて、手を伸ばしたのはやっぱり眼鏡の女の子。
しっかりと受け取ってくれたのを見て、にっこりと笑って見せたけれど、その視線は本に向けられたままだった。
そうして今度は俺の方から手を振る。
またいつか、そう言ったけれど、三人はどう受け取ってくれただろうか。
***
お兄さんへ
相も変わらずお兄さんの名前には見当がつかないので、今日もお兄さんと呼ばせてもらいます
多分、私の明日は来ません
今度こそ死んでやります
また来世
真っ白な封筒に入っていたのは、同じく白い便箋で薄い灰色の罫線が引かれており、その上には女の子らしい小さくて丸い字が並んでいた。
おチビちゃんは、字もおチビちゃんだ。
ゆらゆらと立ち上る煙に視線を移し、溜息と共に煙を吐く。
また明日じゃなくて、また来世かぁ、言葉の代わりに煙を吐けば、深い青に変わり始めた空に溶けて消えていくのが見えた。