あした僕はエデンに旅立つ
死んでも死に切れない、なんて言葉がある。
それはつまり、死ねない死にたくないってことなんだろう、とボクは勝手に考えているが、実際はどうなのだろうか。
死んでもお前に取り憑いて見守ってやる、ということなのだろうか、どちらにせよしっくりくる正解らしい正解は見えない。
「でも、死ねるのは羨ましい」
「そっかぁ」
死んでも死に切れない、って瀕死の状況でしょう、そんな状況すら羨ましいの、抑揚のない声で吐き出した言葉すらも、気のない返事で返される。
太陽によってキラキラと輝く金髪に、整った顔だが表情はなく、薄い煙を燻らせているお兄さんは、小さく唸って見せた。
薄く開かれた唇からは、細い煙が漏れている。
指先で遊ばれている細身の煙草は、既に半分位になっており、パラパラと細かな灰がお兄さんの足元に落ちていく。
「おチビちゃんはさぁ、死にたい?」
「そりゃあ、死ねるなら死にたいですよね。寧ろ、その為に生きていて、ひたすら死ぬ方法を探してるんですよ」
「首吊り薬剤練炭溺死リストカット飛び降り……あと、何だっけ。まぁ、いっか」
指先で煙草を叩いて、灰を落としながら、つらつらと今までの自殺方法を上げてくれたお兄さん。
色々したなぁ、なんて言葉に、色々したよ、と頷く。
近所の公園に時折現れる謎のお兄さんは、ボクの話をただただ聞いてくれる。
右から左へ聞き流しているかも、とは思ったが、割とちゃんと聞いてくれているらしい。
お兄さんと出会ったのはこの公園でなので、会話をするのもこの公園のみだ。
煙草を吸っていることから年上だろう、ということしか知らないので、本名を教えてもらうこともなくお兄さん、と呼ばせて貰っている。
貰っているが、ボクのことをおチビちゃんと呼ぶのだけは頂けないので、いつも呼ばれる度に、ほんの少しだけ眉を寄せていた。
「おチビちゃんにはさぁ、きっと、神様に愛された魂がくっ付いてるんだよ」
吸い込んだ空気が煙たくて、喉に違和感を感じた。
三人掛けのベンチに座っているので、傍らに置いておいた鞄を引き寄せ、中身を漁っていると、そんなファンタジーな言葉を投げられる。
鞄から取り出したはずのペットボトルが、手の平から滑り落ちた。
足元で転がったペットボトルを拾い上げたのは、煙草を咥えたお兄さんで、はい、なんて手渡してくる。
有難う御座います、と受け取ったそれは温い。
完全に常温と化したそれのキャップを捻り、口にするよりも先に「何でしたっけ」と受取りきれなかった話を拾おうとする。
「だから、おチビちゃんは神様に愛された魂と一緒にいるんだよ」
「何それ怖い」
反射的に出た言葉に感情はほぼ込められておらず、機械的な声だった。
それをお兄さんも感じ取ったらしく、軽く息を吐きながら肩を竦めてみせる。
飲み口を開けた常温のそれを、喉に流し込めばすっと胃に落ちていくのを感じた。
薄い味の付いた水は、不味くないけど常温なのは頂けない。
「お兄さん、煙草の吸い過ぎで肺だけじゃなくて、脳味噌まで真っ黒になっちゃったの?可哀想」
「欠片も可哀想なんて思ってない言葉を有難う」
ははっ、と響いた笑い声の後に、お兄さんは短くなった煙草を足元に落として踏み付ける。
か細い煙が消えるのを見ながら、やっぱりお兄さんの脳味噌は煙草で真っ黒だと思う。
会う度に煙草を吸っているようなお兄さんは、完全にヘビースモーカーだ。
脳味噌は置いておいても、肺は既に真っ黒なんじゃないだろうか、若いのに可哀想。
心の中でだけ呟いて、そっと手を合わせれば、怪訝そうな顔を向けられたが気にするほどのことではない。
お兄さんは完全に火の消えた煙草の吸殻を拾い上げ、携帯灰皿の中に入れている。
「冗談か本気かは置いといてもさ」なんてお兄さんの言葉からは、どちらかなんて分からない。
「おチビちゃんは愛されてるから、死ねないよ」
「……今現在も死んでる人がいるなら、その人達は愛されてなかったってことになりますね」
「手厳しいなぁ」
ボクが捻くれているのか、お兄さんの脳味噌が真っ黒になってしまっているのか、どちらかは分からないが会話の終着点は未だ見えない。
ボクが死にたいって話をしたのがいけないのか、はたまた今日のお兄さんはその手の話に乗っかる気分だったのか。
ボクの疑問をそっちのけで、お兄さんは煙草の入った箱を取り出して、一本抜き取る。
それを咥えて、同じように取り出したジッポーで火を灯し、細い煙を立ち上らせた。
本日四本目だ。
「時として強い想いは、不思議な力を持つのかもしれないね」
目を細めたお兄さんは、喉を震わせながらクツクツと笑い声を漏らす。
その度に、煙草が揺れて煙が不規則に散る。
言霊という言葉を思い出し、口を噤んでお兄さんを見た。
日の光で金髪がキラキラと輝く。
上半身を前に倒し、煙草の煙を吐き出したお兄さんは、ゆらりと薄い栗色の瞳をボクに向けた。
金髪が地毛なのかは分からないが、その瞳の色は本物で、カラコンのような作り物感がない。
透き通ったその色を見ながら、吐き出される言葉を待つ。
有害なものしか含まれない煙を吐いたお兄さんのせいで、視界が薄く膜を張り見えにくい。
煙たさから小さく咳き込めば「俺は好きだよ、おチビちゃんのこと」なんて聞こえてくる。
「生きててくれれば良いなぁとは思うけれど、特別引き止めようとも思わないから安心して」
「……それは、どうも」
「うん。どういたしまして」
口元に手を当てて咳き込みながらも、お兄さんの言葉を聞いて、無感情な感謝の言葉を渡した。
それに対しても笑顔のお兄さんには、笑顔と無表情以外の表情レパートリーがないのだろうか。
怒ったり、泣いたり、見たことがない。
驚いたように目を見開くのはあるけれど、声を大きくして肩を震わせたり、なんか、ない。
「……今日はもう帰りますね。そろそろ学校の終わる時間ですし」
「うん。サボリも程々にね」
ペットボトルの蓋を閉めて、鞄の中に投げ入れる。
ストンッ、と他の物とはぶつからずに入ったそれを見て、鞄をしっかりと閉め、立ち上がった。
長い間座っていたので、お尻が固まっている。
制服のスカートにきっちりと付けられたプリーツを直し、お尻の辺りをパンパンと払い終えれば、お兄さんの煙草も半分以上減る頃だ。
授業をサボっている身分としては、他の生徒や幼馴染み達と会うよりも前に家に帰っておきたい。
鞄の持ち手に付けておいた腕時計を確認しながら、早歩きで帰ろうか、と考える。
「昔、神様に愛された子供の本を読んだんだよ。おチビちゃんは、その子供に良く似てる」
その声と言葉に時計から顔を上げれば、お兄さんの視線は遥か彼方、真っ青な空に向けられていた。
ゆらりゆらり、細い煙が視線の先の空を目指す。
息を吐き出す音を聞きながら、その話続いてたんですね、という言葉を飲み込む。
胃の辺りに落ちて沈むのを確認した後、褒め言葉として受け取っておきます、と言えば、お兄さんは笑った。
声を上げて、ははっ、と歯を見せて笑うお兄さんは、少年のような顔付きになる。
煙草をいっぱい吸っているのに、真っ白な歯が眩しい。
そうして、一頻り笑った後には、目尻に小さな涙の粒を残して、ボクを見る。
「また明日ね」
「……えぇ、明日も生きてたら」
日の高い昼間の逢瀬は、恐らくボクが死ぬまで続くのだろう、そんな気がする。
煙草の匂いが微かに移った制服を揺らしながら、早足で家へ向かう。
あぁ、明日は死ねるかな。