第1話 -2-
今日もいい天気。
なので東雲志乃は、死にたくなった。
「ごめんなさい。私なんかが学校休みたいとか思ってごめんなさい。雨なら体育の授業無しになるかもとか期待してごめんなさい……」
桜の花がまだ残る、4月。
星花女子学園高等部の最上級生になっても、プライドとか、自信といった言葉とはあまりに無縁で。
志乃は朝の食卓で、ため息をついた。
ピザトーストに乗ったピーマンが苦い。
「ふ、ふふ、ごめんなさい私なんかが苦くて食べれないとか何様ですよねピーマン様ごめんなさい。ピザソースも辛口でだめとかホント何様でしょうパンの耳だけが私にはお似合いですね……」
「いいからちゃっちゃと食べちゃってくんない、お姉ちゃん? 学校遅れるでしょうが」
テーブルの反対側でトーストをかじりながら、妹の宇佐美が睨んでくる。
「……ごめんなさい」
姉の威厳のかけらもなく謝って、志乃はパンの耳を食べた。
東雲志乃、高等部3年1組。
ストレートの黒髪は、ツバメの羽根のように綺麗な色……だけど幽霊みたいと周りに怖がられ。
ほっそりとスリムな体躯は可憐……なのだけど胸まで貧弱で。
なにより、朝からどよんどよんと撒き散らす負オーラが、彼女を実際より何倍も非魅力的に見せている……。
(こんな自分が、私は嫌い。私なんかを愛してくれる人なんて、きっと永遠に現れるはずなくて。ああっむしろ私なんかが期待してごめんなさい何様ですよね私なんて嫌われて当然ですよねごめんなさい……)
……心浮き立つはずの新学期。春のうちから、志乃の心は常夜の国だった。
※ ※ ※
(私は、自分が嫌い)
同じ朝、学園の寮の一つ……菊花寮と呼ばれる全室個室の寮の、自分の部屋で。
太刀花凛花は、畳マットの上で正座して、瞑想にふけっていた。
ぴんと背筋を伸ばし、静謐な空気に身を置く、長い黒髪の大和撫子……一幅の絵のような光景だが。
心の内は、乱れていた。
(私はダメな子だ。剣の道も未熟なのに、こんな……)
というか朝から、耳まで真っ赤。
「にゃぁぁぁ!? こんな……ふしだらな夢をぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
頭を抱えて、転げ回った。
「せ、接吻……! 女同士で、接吻する夢、なんて……!」
……凛花は今朝、えっちな夢を見てしまって飛び起きた。
裸の誰か……それも、柔らかさから女の子と分かる……と抱き合って、唇を吸い合う夢。
しかも夢の中の自分は、
『ちゅっ……♪ んっ、むぅっ……ふぐ、むんっ。ちゅぱぁ、も、もっとぉ。もっと、吸いたいよぉ……』
相手の柔らかさと甘い薫りに溺れるように、キスをねだりまくっていた。
「こ、これが私の願望!? せ、切腹ものですっ、太刀花凛花!」
変態! スケベ! 色情魔!!
と、自分を罵りながら。
でも凛花は、現実にはまだ味わったことの無い、キスの微熱に……ドキドキして、唇を指でなぞるのだった。
※ ※ ※
2年2組の、今日の体育の授業はテニス。
舞うように華麗にサービスエースを決めて、凛花はさらっと黒髪をかき上げた。
「きゃー♪ お姉さまー!」
テニスコートの外、同じく体育の授業中なのか、中等部含め他学年の生徒達から、歓声が上がるのを聞いて。
凛花は、わりと大きなその胸の下、心臓が飛び跳ねるのをごまかして。
「ふふっ」
落ち着いた、上品で清楚なお姉さま……の仮面をかぶり、笑顔で手を振った。
「今日も人気ね、太刀花さんは」
ちょっぴり呆れた風に、クラスメートの……生徒会副会長も務める眼鏡の子、江川智恵が話し掛けてくる。
「おモテになるのは結構だけど。副会長としては、あの子たちのサボりを黙認はできないわ」
ごめんね?と凛花に言って、智恵は観客を追い散らしに掛かる。
「こらー、貴女たち? 貴女たちだって授業中でしょう? 散った散った!」
「えー副会長、横暴ー! 自分は太刀花さんと同じクラスで、見放題なのにぃ」
名残惜しそうに凛花へ視線を送りながら、それぞれの授業へ戻っていく生徒達。
その姿へ、爽やかな笑顔を表情に貼りつけたまま、手を振りつつ……凛花は思った。
(い、言えないわね、あの子たちへは。私が、あんな……キスの夢なんて、見てるとか)
ぜったい、引かれる。イメージと違う、と嫌われてしまう。
それが怖くて。
「凛として、クールな少女」を演じている自分に、またまた凛花は自己嫌悪に陥った。
……と。
去っていくファンの女の子の中に、また、彼女の顔を見つけて。
(あ……また、あの先輩)
凛花自身と同じ、長い黒髪で。
焦がれるような、羨望の瞳を向けてきて……でも、目が合うと頬を赤らめ、ささっと逃げてしまう……。
東雲志乃の顔を。
(逃げちゃった……)
まだ言葉も交わしたことのない少女。
よく剣道場にも見学に来ていて……でも、近付こうとすると逃げてしまう女の子。
その瞳の奥に、凛花はなぜか、
(……私と、似てる気がする)
自分が嫌い、という色を見つけたように思えて、不思議と彼女が気になるのだった。