第1話 -1-
「……ちゅっ」
2度目のファーストキス、というのも言葉としておかしいけれど。
夕方の学校の屋上、女の子同士での秘密の口づけは、生々しくも熱く刺激的で。
なにより、真っ赤な顔で消え入りそうにうつむく、志乃の羞じらう顔が可愛らしくて。
太刀花凛花は、口づけの虜になった。
※ ※ ※
マスカレード(英・masquerade)……仮面舞踏会。近世ヨーロッパで流行した、仮面により身分、素性を隠して行われる舞踏会のこと。
※ ※ ※
本当の自分って、なんだろう。
そんなことを凛花が悩むようになったのは、中学生の頃からだった。
この春、祖父の元を離れて、ここ星花女子学園の高等部に通うようになってから……その悩みは、深まるばかりに思う。
「……面ッ!!」
剣道場の静謐な空気を引き裂く、凛々しい声。
鋭く小気味良い竹刀の音がわずかに遅れて響き渡り、勝負は決した。
「これで、私の4連敗か。まいったね、こりゃ。部長交代かな?」
面を脱ぎながら苦笑する先輩……星花女子剣道部の部長へ、礼儀正しくお辞儀をしながら、その少女は言葉を返した。
「いえ、私もまだまだですから。これからも胸をお借りしますね、先輩?」
自分も面を取り、ふぅっと息をついて首を振る。
煌めく汗とともに、長く艶やかな黒髪が、カラスの羽ばたきのように広がる。
と、きゃー♪と、黄色い歓声が道場の隅から広がる。
「太刀花先輩♪ あの、タオル……使ってください♪」
「あーっ、ずるい! あなたは昨日渡したでしょ?」
「先輩っ、私、レモンの塩漬け作ってきたんです。よかったら、ど、どうぞっ!」
見学していた、というより応援に来ていた女子達に囲まれて、凛花は戸惑いつつも、
「……ありがとう、みんな」
端正な顔に、にこっと微笑みを浮かべてみせた。
再び上がる歓声に、
「おーおー、凛花さまはモテモテですなぁ」
部長がからかうので、少しだけ困った顔を作るのだった。
太刀花凛花、高等部2年2組。
花にたとえるなら、凛と咲く桔梗か竜胆か。
すらりとした長身に、くるぶしの辺りまで届くさらさらの黒髪。普段は赤いリボンでポニーテールに束ねている。
涼やかな目元に、水を含んだようにしっとりとして見える、長い睫毛。
有名な剣道家の孫娘らしく、いかにも大和撫子な和風美少女。
凛々しくも、清楚な乙女らしさを備えた彼女は、今年この学校に編入して早速、人気者。
「クールで、でも優しいお姉さま」と、乙女たちの憧れの的だ。
ファンの乙女たちの、プレゼント合戦が段々エスカレートして。
……顔が近くなってきたので、凛花は、
「あ、あの……!」
慌てて大声を張り上げた。
「わ、私、汗かいてるから。今日は、このぐらいで、ね?」
※ ※ ※
運動部の部室が入った棟の、シャワー室。
背中を流します♪という少女たちの追撃を振り切り、ようやく一人になれたところで、凛花は。
下着も全て脱ぎ捨て、シャワーを浴びながら、どくんどくん暴れる心臓に、顔を赤くしていた。
「も、もうイヤ……。なんで皆、その、距離が近いかしら……?」
思い出す。詰め寄る女の子たちの、汗の薫り。
甘酸っぱく、華やかな、少女の薫り。
それを無意識に、鼻腔から吸い込んでいた自分を思い出して、凛花はめちゃくちゃに恥ずかしがった。
「わ、私、おかしいのかな。こんな、女同士で意識して……」
回想すれば、昔からどこか、他人とは距離を置いてきた。
凛花が幼いうちに、事故で他界した両親に替わって、祖父が育ててくれたのだけど。
祖父も道場の門下生たちも、女である自分をどう扱っていいか分からなかったのか、一線を引かれていたように思う。
そんな男社会の距離感に慣れていたせいか、どうも女子校特有の……気軽に抱き付いたり、触ったりする感覚に、凛花は顔を真っ赤にする毎日だ。
「え、ええ。おかしくはないわ。私は慣れてないだけ。慣れてないだけだから」
シャワーで汗を流しながら、自分に言い聞かせる。
せめて、慣れるまでは。慕ってくれる少女たちをがっかりさせないよう、「クールな剣道少女」のキャラクターを崩さないようにしなくては。
仮面を、被り続けなくては。
(……そう。ないんだけど、ぜったいにないんだけど、私が……女の子が好き、とか)
そう思われたら、生きていけない。
ついつい、少女たちの距離感にドギマギしてしまう自分を、隠し通す……。
「顔が近くたって、平気。意識なんて、してない……」
ちょっぴり悲壮感を抱きながら、凛花は妙にうずく唇を指でなぞり、頬を染めるのだった。




