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98章  砂漠鳥

 肌寒い風がゆるりと流れる。昼夜の激しい気温の変化、それもディアドが持つ顔の一つだ

 月明かりで蒼く染められた曲線美を描く砂の大地。その光景は、キラキラと輝く砂の結晶と相まって、上質な絹の滑らかさを連想させた。

 吟遊詩人がいたのなら、どこか哀しげな曲を奏でながら幻想的な詩を詠うだろう。しかし、今は奏でられる曲もなく、詩人の詩も聞こえてはこない。

 代わりに聞こえるのは、ギシギシと縄の軋む音だった――

「慌てないでください。ゆっくり、静かにですよ」

 城壁の上、幾本か垂れた縄梯子を見下ろし、ミューラーが小声で注意を促す。

 それぞれの縄梯子には、地上へと下っている兵士たちの姿があった。兵士たちは漏れることなく全員が砂色のフードを身に纏っている。

 千の兵が問題なく地上に降り立ったのを見届けると、ミューラー自身もオツランに手を借りて縄梯子へと足をかける。

「では、撤退を始めるときは合図を送ります。そのときは開門の方をお願いします」

 ひょこりと顔だけ見せた状態でミューラーが言うと、オツランが神妙な面持ちで頷く。

「くれぐれも無理はしないでください」

 心配げに声をかけるオツランに、ミューラーは返事をする代わりに軽く右手を上げて見せた。

 ミューラーが地に着くと、続いて束になった剣や弓が吊るされた状態で下りて来る。それを受け取って各々の手に剣が行き渡ると、ミューラーは兵士たちを一巡した。

「では皆さん、最終確認をしますよ。――我々の任務は戦闘に勝利することではありません。くどいようですが、そこのところを決して間違わないようにお願いします」

 ミューラーの言葉に、波紋が広がるように近い者から順に頷いていく。

 最後尾になると声が届いているとは思えなかったが、前の人間を真似るようにして一応頷いていた。

「では行きます。右翼部隊、左翼部隊は散開し、中央本隊は私に着いて来てください」

 ミューラーの指示で二方向に兵士が散っていく。それから多少時間を置き、残った兵士とミューラーも移動を開始した。

 

 

  

「様子はどうだ?」

 天幕の中、ズラタンが揺り椅子にゆったりと腰掛けながら訊くと、傍らの男が指先で眼鏡を正して咳払いをついた。

「特に変化は無いとのことです」

 眼鏡男が答えると、ズラタンが喉から搾り出したような低い笑い声を漏らす。

「カムイ王め、今頃は城に篭もって怯えているのだろう。――だが、油断はしないように兵士に伝えろ。自棄やけになった人間はどんな行動に出るか分からんからな」

 そう言って愉快そうに声を上げて笑った。

 眼鏡男は一度頭を下げて身を起こすと天幕を出て行こうとするが、ズラタンはそんなことには目も向けず、再び低い笑い声を漏らしていた。先ほどとは弱冠異なり、好色さを感じさせる笑いだ。

「もうすぐだ……もうすぐリーゼ王女が手に入るぞ」

 揺り椅子に全身を預けて恍惚とした表情で呟くと、別の生き物のようなヌメヌメとした舌が乾いた唇を湿らせた。

 天幕の出入り口、眼鏡男が冷ややかな視線を送っていたが、ズラタンは己の妄想に陶酔し、その視線に気付くことはなかった。

 

 

 

「団長、ズラタンの腰巾着が来ましたぜ」

 部下に言われ、グロッソがチラリと視線を動かした。

 行き交う兵士の中、眼鏡をかけた男が兵士を避けながら向かって来てくる。

「グロッソ団長、様子に変わりはないですか?」

「心配は無用です。それよりもズラタン卿の兵士――確かカーク君といいましたか、彼らがしっかりと指示に従ってくれるかの方が心配ですな」

 本気とも冗談ともつかぬ様子で言って声高に笑うと、眼鏡男は眼鏡を正しながら引きつった笑みを返した

「それは大丈夫……だと思います」

 自信なさげに語尾を弱めたことに、グロッソが目立たぬ程度に鼻を鳴らす。

「なら良いのですが。足並みが揃えられぬ味方は敵よりも厄介ですからな」

 語気をやや強めると、眼鏡男が曖昧に頷いて返す。

「では、私はズラタン様――いや、ズラタン卿の天幕におりますので、何かありましたらそちらの方に」

 眼鏡男は頭を軽く下げて踵を返すと、再び来た路を戻り始めた。その背を睨みながら、グロッソの部下が喉を鳴らしながら顔を歪める。

「会計士の分際で戦場にまで着いて来やがって。あいつがズラタンに引っ付くようになってからというもの、軍事予算が落ちてるそうじゃないか。それに影響を受けて、俺たちの雇い主まで予算を見直すと言い出してるそうじゃないか。まったく、とんだ厄病神だぜ」

「所詮は金庫番だ、気にするな。この戦で戦果を上げてズラタンに取り入ることが出来れば、モントリーブの私兵団を俺が束ねることも夢ではない。そうなったら、あんな金勘定だけが取り得の男はどうとでも出来る。せいぜいズラタンに扇で風でも送ってればいいさ――」

 グロッソが薄い笑みを浮かべた直後、気を引きしめろ、と言わんばかりかりに甲高い鐘の音が聞こえた。

 弾かれたように振り返るグロッソの目に、手にした鐘を鎚で打ち付ける兵士の姿が映る。夜間の見張り役だ。

 幾つも建てられた天幕の中から、鐘の音を聞きつけた兵士が武器を片手に次々と飛び出してくる。

「どうした!」

 グロッソが叫ぶと兵士はその存在に気付き、南の方角を指差した。

「ディアドの兵が!」

 それを聞くや否やグロッソは駆け出し、見張りの兵の隣に並んで砂丘の上から南の方角を見下ろした。

 砂地の只中、フードを被り松明たいまつを手にした一団が見える。数は五百程度か、距離はまだ離れていた。

「なぜもっと早く気付かなかった!」

 怒りを露にして襟首を掴み上げると、見張り役の兵は青ざめて唇を小刻み震わせた。

「申し訳ありません、城門が開く様子もなかったものですから。ヤツら城壁を越えて出てきたようで、気付いたときには……」

 兵士の言い訳に、グロッソの眉尻が怒りで震えた。

 グロッソが荒々しく突き放すと、その拍子に兵士が尻餅をつく。

「すぐに陣形を整えさせろ!」

 尻餅をついた兵士は短く返事をすると、四つん這いのまま逃げ出すように駆け出した。

 グロッソはディアドの一団に向き直り、憎々しげに顔を歪めながら唾を吐き捨てる。

「その程度の数で――舐めやがってっ!」

 

 

 

「突然現れたもんだから、敵はさぞ慌てふためいていることでしょうな」

 鼻下と顎先に白髪混じりの髭を蓄えた男が笑うと、それをたしなめるようにミューラーが柔らかな一瞥をくれる。

「アギナガさん、油断しないでくださいよ。連合隊のため統率力に難はありますが、賊上がり多いせいか一人ひとりは場馴れしています」

「承知しました。――ん?」

 アギナガと呼ばれた男が砂丘に向かって眉をひそめる。

 砂丘の上、いち早く装備を整えた一団が姿を見せ、こちらを見下ろしてくる。その一団を目にしてミューラーは目を剥いた。

「げっ! あれはカーク君じゃないですか」

「知り合いですか?」

「知り合いも何も、元部下ですよ」

 そう言いながら、ミューラーは顔を隠すようにフードを目深に被り直す。

「なかなか腕が立ちそうなたたずまいですね」

「私ね、モントリーブにいたときは、彼がいたおかげで剣を抜いたことがないんですよ」

「それは、それは」

 アギナガが肩をすくめた。

「参りましたねえ、まさか彼らまで来ているとは。ズラタンに素直に従うとは思っていなかったのですが……」

「さすがに元部下とはやりづらいですか? もしそうなら呼びかけてみては?」

 アギナガの冗談混じりの提案に、ミューラーが憂鬱そうにタメ息をつく。

「カーク君は不器用なほど真っ直ぐな人間でしてね、彼らを裏切ってこっちの指揮を執ってると知ったら、私はきっと殺されちゃいますよ」

 苦笑するミューラーに、アギナガが声を上げて笑う。

「また厄介な男を部下に持ったものだ。――それより、そろそろ良いのでは?」

 砂丘の上に陣取るモントリーブ軍に目を向け、ミューラーが目を細めながら低く唸る。

「確かに、そろそろ全ての兵が天幕から出た頃でしょうね」

 ミューラーは自分の言葉に納得するように一度頷くと、背後で待機する兵士たちに肩越しから目で合図を送った。それを受け、松明を手にした兵たちが抜刀する。

「では皆さん、行きますよ」

 ミューラーが落ち着いた足取りで前進を始めると、他の兵もそれに続き前進を始めた。

 カークをどうやり過ごすか? 歩を進めるミューラーの頭の中、気の滅入る悩みが忙しなく動き回る。

 

 

 

「カーク、何かおかしくないか? 同時に攻め込まれる前に奇襲をかけるのは頷けるが、それにしては数が少なすぎるぜ。それに、どうして攻めて来ない? あれじゃあ奇襲の用を成さないだろうに」

「……」

 男の問いかけに答えず、カークは周囲に視線を巡らせた。

 その中でフと何かに気付き眉をひそめ、すぐさま背後を振り返る。背後には無人となった幾つもの天幕が張ってあった。

「そうか」

 思い当たったように呟き、確認するように再び顔を左右に向ける――と、今度は顔を伏せて低くい笑い声を漏らし始めた。

 突然に笑い始めたカークに、隣の男がわずかに身を離して薄気味悪げな視線を向ける。

「おいカーク、どうした? 大丈夫か?」

 男が顔を引きつらせながら訊くとカークは笑いを止め、打って変わって冷徹な表情を見せた。

「確かに、暗がかりで明かりが灯れば、嫌が上にもそこに意識は集中するな」

「どういうことだ?」

「これは奇襲は奇襲でも――」

 男との問いにカークが答える前に、離れた場所から声が上がる。

「グロッソ団長、ディアドの兵が前進を始めました!」

「あの程度の数を恐れる必要などない。弓隊第一陣、用意!」

 間髪を入れずに指示を出すグロッソに従い、前一列の兵士が片膝を突き、二列目の兵が立った状態で弓弦に矢をかける。

 次の指示に向けて胸を張るグロッソ。その姿を、離れた場所にいるカークが嘲笑う。

「目先の戦闘にのみ意識を奪われる。だから貴様は無能なんだ。――後退するぞ」

 カークの指示に、同団の男たちが顔を見合わせた。

「後退? いいのか?」

「構わん。ヤツらの狙いはアレだ」

 カークが背後に建ち並んだ天幕に目を向けると、わずかな間を置き、他の男も合点がいったように首を上下に揺らした。

「なるほど、そっちが狙いか。さすがはカーク団長代理」

 男が冷やかすとカークは気を悪くした素振りも見せず、それどころか逆に口の端を上げてニヤリと笑う。

「ミューラー団長なら俺よりも早く気付いただろう」

 自慢にならぬことを自慢げに言うカークに他の者は顔を見合わせ、カークがさっさと後退すると苦笑を漏らしてそれに続いた。

 カークたちが後退を始めたことに気付き、グロッソが顔を歪める。

「ヤツら、勝手なことを!」

「いかがなさいますか」

「構わん、放っておけ! 何だかんだと言いながら、いざ戦闘になると逃げ出す野盗上がりの臆病者だ」

 自尊心を誇示するような笑みを浮かべ、再びディアドの一団へと向き直る。

 ゆっくりと前進して来るディアドの一団は、今にも弓矢の射程に入ろうとしていた。

 それを見たグロッソは右手を高々と上げ、声高に第二の指示を出す。

「弓隊構えっ!」

 弓弦に矢をかけて待機していた兵が、一斉に矢を引いて構える。

 あとは右手を振り下ろすのみ――が、胸を張って右手を上げるグロッソの顔が徐々に曇り出す。

 時間をかけてジリジリと前進して来たディアドの一団が、まるで弓矢の射程を測ったかのようなギリギの位置で再び進行を止めたのだ。

 往生際悪く、相手を焦らすような停止。

 右手を上げたままの姿勢で制止するグロッソは、口の端をわずかに引きつらせていた。

 

 

 

「完全に弓がこちらに向きましたな」

 アギナガの言葉にミューラーがコクリと頷く。

「これなら弓を構え直す前に射程に入れるでしょう」

「それでは」

 アギナガが促すと、ミューラーが深く頷く。

 それを見たアギナガが右手を高々と上げ、勢い良く下げると同時に良く通る声を砂地一帯に響き渡らせた。

「右翼隊、左翼隊、突撃い!」

 直後、モントリーブ軍の左右から突如として砂色のフードを被った兵士が姿を見せる。

 身を伏せ、這うように近づき息を潜めていたのだ。

 多少距離があるが、正面に注意を向けていたモントリーブ軍の対応は完全に遅れを取った。

 ディアドの兵士は一気に距離を詰めて自分たちの射程に入ると、滑り込むように片膝を突いて一斉に矢を放つ。

 左右から浴びせられた矢の雨に、モントリーブ軍の兵士が次々倒れていく。それでもどうにか陣形を整えると、迎撃のために外側へと弓を構える。

 その動向に神経を集中させていたミューラーの瞳が鋭く光り、アギナガに向けて小さく手を振る。

 それを受けたアギナガは再び右手を上げて声を張った。

「中央本隊、第一陣突撃!」

 アギナガの指示に、ディアドの兵が松明を投げ捨て一斉に駆け出す。残ったのはミューラーを含めて五十人ばかりだ。

「頼みましたよ!」

 駆け出したアギナガの背にミューラーが声をかけると、アギナガは肩越しに小さく頷いて返した。

「中央に切り込め、第二陣の路を確保するぞ! 中央を割けば同士討ちを恐れて弓は使えん!」

 アギナガの指示に、ディアドの戦意が加速する……

 

 

 

 つづく

 

 

 えぇ……こここまで来ると、読者に分かりづらく、自分で後からどの話か分かり易く、尚かつ被らないサブタイトルを付けるのが面倒です。

長いので却下しましたが、今回、初めに浮かんだサブタイトルは『親父たちの挽歌』でした……


 それと、ここからは特定の人に向けての後書き。

 今さらですが『レイルズ』は、当初『レイ』とするはずでした。

 しかし『ネイ』と被るために『レイルズ』にしました。

『レイ』とはごく親しい者だけがそう呼びます。

 そんな感じです……(08/05/25)

 

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