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97章  昨日の友は

 空が白み、陽の光が射すと共に男の怒声が響き渡った。

 篭城ろうじょうに備え、不眠不休で城壁外の掘削作業に勤しんでいた者たちが手を止め、一斉に声の上がった方向に顔を向けた。

 城壁北側の方向から何やら慌てふためく男が一人、足をもつれさせながら怒鳴り声を上げて走って来る。

「どけ、道を明けろ! どいてくれえ!」

 男は喉を嗄らさんばかりに声を張り上げ、水を掻くように両腕を振っていた。

 作業の指示にあたっていたオツランは男の様子に眉をひそめ、傍らに立ったミューラーに声をかけた。

「何かあったみたいですね」

「ええ、あの慌てようは、ただ事ではなさそうだ」

 男は人ごみを掻き分けてオツランたちの前まで辿り着くと、身を屈めて空気を貪った。

「一体何事だ?」

 オツランが声をかけると男は苦しそうに顔を上げ、荒い息遣いのまま口を開いた。

「た、大変です――」

 

 

 

 オツランとミューラー、二人は北東にある城壁塔の螺旋階段を駆け上がっていた。

 オツランは弾む呼吸を飲み込んで一気に駆け上がるが、それに続くミューラーは遅れを取る。体力が限界に達し、オツランの速度に合わせることが出来ない。

「ミューラーさん、急いでください!」

 先を行くオツランが振り返って叫ぶが、ミューラーは両膝に手を突き無言のまま首を振ると、オツランに向かって払い除けるように手を振った。

 先に行け――そう言いたいが、口から漏れ出すのは荒い呼吸だけでとても言葉にならない。

 しかし、オツランはミューラーの意志を察すると、後から来るように言葉を残して再び駆け出した。

 駆け出したオツランはミューラーとの距離をアっという間に離していく。その若者の姿に、ミューラーは苦笑をこぼしてかぶりを振った。

「若さですねえ。さすがにオジさんにはこの階段は堪える」

 まだまだ続く螺旋階段を見上げてタメ息をつくと、ミューラーは小鼻を膨らませて重たい足を前へと進ませた。

 壁に手を突きながらもどうにか城壁塔の頂上まで辿り着き、踊り場に身を出した途端にディアド特有の熱風がミューラーを歓迎する。ただでさえ体温の上がった身体には手荒い歓迎だ。

「どうですか?」

 先に辿り着いていたオツランの姿を目に留めて声をかけると、オツランは背を向けたままミューラーにも横に来て直に見るように言葉を返した。

 ミューラーは短い吐息をつくと額に浮いた汗を拭い、オツランに歩み寄って同じ方向に目を向ける。

 視界に広がるのはすでに見慣れた蜃気楼に揺らめく砂の大地。ただ、その光景に見慣れぬものが一つ――

「あれは……」

 ミューラーはその見慣れぬ光景に目を凝らした。

 北の方向、砂丘に一団の影が在る。その数は三千程度だろうか、明らかにどこかの軍隊だ。

 ミューラーが細い目をさらに細めて目を凝らすと、軍隊が掲げる旗印を何とか見て取ることが出来た。

 無数に掲げられた旗には、幾つもの異なる模様が描かれている。

「ずいぶん不規則な旗印ですね。一体どこの軍隊でしょう?」

 オツランが砂丘に浮かぶ軍隊を睨みつけながら問うと、ミューラーは一呼吸置いて口を開く。

「あれはモントリーブの私兵団です」

「モントリーブ?」

 オツランが驚きの声を上げながらミューラーに顔を向けが、ミューラーは小さく舌を打ち、砂丘に陣取る軍隊に険しい表情を向けたまま動かなかった。

 

 

 

「なに? モントリーブの私兵団だと?」

 オツランの報告を受け、カムイもさすがに驚いた様子で椅子から腰を浮かせた。

「数は?」

「約三千です。北の砂丘に陣取っています」

 オツランのきびきびとした返答に、カムイが目頭を押さえて低く唸る。

「ミューラー、モントリーブの兵士ならおまえの部下じゃないのか?」

 片手で顔を覆ったまま横目で見やると、ミューラーははっきりと首を横に振って見せた。

「残念ながらそれは違います。ご存知の通り、モントリーブは王家の存在しない商人の国です。従って正規の軍もなく、兵士といえば各々の街の商人が別箇に雇った傭兵のようなもの。私はその一団――ズラタンに雇われていただけのことです。そして今回、北に駐屯しているのは言わば連合隊です」

 ミューラーの説明にカムイが鼻を鳴らす。

「だが、モントリーブを実質的に仕切っていたのはおまえなのだろ?」

「それは、ズラタンがモントリーブで最もけんりょくを有していたからに過ぎませんよ。他の商人に雇われていた私兵団の連中は、私が仕切ることを快く思っていなかったでしょうね」

 ミューラーが肩をすくめると、カムイは天井を仰いで吐息を漏らした。

「どうしてモントリーブが帝国軍に加勢するんだ? この国が落ちれば、大陸の東にもすぐに帝国の手が及ぶだろうに」

「だからこそです。隣国のセルケアはもちろんですが、その先にあるモントリーブも他人事ではない。そのために、事前に帝国と手を結んで貸しを作るつもりなんでしょう」

「だったら俺たちに手を貸せ、と言いたいが、自分たちが手を貸してもこの国は落ちる――そう判断したということか」

 ミューラーが静かに頷いて肯定すと、ミューラーは鼻筋にシワを寄せて思い切り顔をしかめた。

「足許を見やがって、商人らしい考え方だ。どうせ指揮を執っているのは――」

「ズラタンですね。それ以外にモントリーブの兵をまとめられる人物はいないでしょう。それに、あの男はそういった根回しが得意です」

 その解答にカムイが不機嫌そうに顔を歪めた。

「くそっ、ズラタンのヤツめ! 城ごと奪う気か!」

 カムイが吐き捨てるように言うと、ミューラーは不思議そうに首を傾げながらオツランに目を向けた。

 オツランはそれに気付くとそっとミューラーに耳打ちする。

「実は、三年ほど前にズラタンからちょっとした買い物をしまして、その際にズラタンが姉上をひどく気に入ったようなんです。――知らなかったんですか?」

 三年前と言えばミューラーはすでにズラタンの元に身を寄せていたが、そんなことは全く知らなかった。

 自分が賊の討伐か何か、館を留守にした間に身近な兵を連れて出かけたのだろう――そう解釈すると、ズラタンが何度かコソコソとディアドに発っていたことをフと思い出した。

 カムイの様子を見る限り、ズラタンの想いが成就しなかったことは明白だ。私兵団の人間を連れず、隠れるように出かけていたのも頷ける。 

「ズラタンは見栄っ張りですからねえ。よほど媚びる姿を我々に見せたくなかったんでしょう」

 声をひそめて笑いを噛み殺すミューラーを、カムイがジロリと睨む。

「何を二人でコソコソと話してるんだ?」

「いえ、何でもありませんよ。――それで、どうなさるおつもりです? 北にモントリーブの軍が陣取っていては、セルケアに民を逃がすのは難しいかと思いますよ」

 ミューラーが問うとカムイは腕組みをして鹿爪らしく顎に手を当て、右に左に室内をウロウロと行き来し始めた。

「秘策というのは? それを行うことは出来ないのですか?」

 オツランが堅苦しい口調で父に問うと、カムイは歩みを止めて頭を掻いた。

「まあ、それは今やることじゃない。民を逃がしてからだな」

「しかし、ミューラーさんが言ったとおり、北にモントリーブの軍が駐屯していては……」

「まったくズラタンめ、どこまでも気に食わないヤツだな」

 そこでカムイは考え込むように低く唸ると、決意を確かにした眼差しをミューラーに向けた。

「ミューラー、モントリーブ軍を先に叩くぞ」

「討って出るのですか?」

 多少驚いて見せたミューラーに、カムイが力強く頷く。

「同時に進攻されるよりはマシだろう? たかが三千程度の兵、千も出せば十分だ。慣れぬ砂漠での進軍でヤツらも疲労が溜まっているはずだしな。それに、ズラタンも兵を割いて討って出るとは思わんだろうよ」

「では、いつ?」

「今夜、陽が沈んでるうちに。夜間なら西の帝国軍に気付かれるまで多少時間が稼げる。壊滅とはいかなくとも、せめて足止めが出来る程度の損害をモントリーブ軍に与えたい」

 固い決意を見せるカムイに、オツランとミューラーが顔を見合わせた。

「王、それは早急に決め過ぎではないですか? 討って出るにしても準備が必要です」

 オツランが異議を唱えるが、その言葉はカムイの決意を揺らがせるには至らない。

「いや、早ければ早い方が良い。同じ準備が出来ていない状態なら、砂地に慣れたこちらが有利だろ?」

「カムイ王の言うことも一利ありますね。帝国軍とモントリーブに足並みを揃えられては、民を逃がすどころの話ではない。討って出るなら今夜のうちが最も適しているかもしれません」

 ミューラーの援護を受け、カムイが満足げに口の端を上げた。

「ミューラー、千の兵をおまえに預ける。モントリーブの足止めを頼めるか?」

 カムイがミューラーを見据えるが、ミューラーはすぐに返事をすることが出来なかった。

 その頼みが、ミューラーにとって決断の難しいものであることはカムイにも分かっている。

 それでも、最もモントリーブを知るミューラーこそが適任である――その確信と信頼が、何の躊躇もなしにカムイの頭を下げさせた。

 頭を下げたカムイに、ミューラーは戸惑いを見せる。

 カムイから向けられた信頼と、元仲間と戦うことへの拒否感が天秤にかかって上下に揺れた。

 しかし、その迷いも長くは続かない。ミューラーは目を閉じて静かに息を吐き出すと、頭を下げるカムイに微笑んだ。

「カムイ王、頭をお上げください」

 その言葉を受けてカムイは頭を上げると、再び真っ直ぐにミューラーを見据える。

「貴方も人が悪いですね。しかし、私はズラタンに解雇されたようなものですからねえ」

 苦笑いを浮かべるミューラーに、カムイが目を輝かす。

「では頼めるか?」

「千の兵をお借りします。ただし、さっきも言ったようにモントリーブには私を快く思わなかった者が多い――」

 ミューラーは言いながら人差し指を立てた。

「私が指揮を執っているのを見て、相手の戦意が上がっても責任は持てませんよ」

 そう言いながら片目を瞑って見せると、カムイは子供のように無邪気に笑った。

 

 

 

「ええい、暑くてかなわん! 風が来ないぞ!」

 特注で作らせた横幅のある甲冑に身を包み、忙しなく額に浮かぶ汗を拭いながら怒声を上げる男。

 その怒声を受け、傍らに立つ眼鏡をかけた男が慌てて手にした扇の動きを速くした。

「ズラタン様、何もズラタン様ご自身が出向く必要は無かったのでは?」

 眼鏡男が扇を上下させながら言うと、ズラタンは嫌味ったらしく喉を鳴らしてたんを吐き出す。

「ズラタン様ではない、『ズラタン卿』と呼べ!」

「も、申し訳ありません」

 頭を何度も下げる眼鏡男と、小鼻をヒクつかせながらふんぞり返るズラタン――その二人を遠巻きに眺める一団があった。

「聞いたか? ズラタン卿と呼べ、だってよ」

 小馬鹿にするようにズラタンの口調を真似、低く笑う男。

 ズラタンからは距離があり、そんなことを言われているとは当人は気付きもしない。

「よほど貴族の認可を受けたのが嬉しいんだろうよ」

「まあ、モントリーブで唯一の貴族だ、金の力とはいえ大したもんだろ。天にも昇る気分ってやつさ」

「あの身体じゃ梯子はしごすら上れねえよ」

 男たちは口々に冷やかしの言葉を並べ、ゲラゲラと声を上げて笑った。

 どの男も見るからにすねに傷のある人相をしている。

 そんな男たちの中、一人の男が興味なさげに鼻を鳴らして顔を背けた。

 肩まで伸ばした黒髪に鋭い目つき。その男に、別の男が声をかける。

「カーク、ずいぶんと白けた様子だな」

 黒髪の男――カークは声をかけてきた男をチラリと見やり、もう一度鼻を鳴らす。

「何が帝国軍の援軍だ。ただ帝国に媚びを売っているだけだ」

 静かだが、怒りと苛立ちが込められた声。

「まあ、確かにな」

「そんなくだらんことのためにこんな所まで駆り出されたのも気に入らんが、何より気に入らんのは――」

 カークは離れた場所でテキパキと指示を出す男を横目で睨んだ。

「あの男が陣頭指揮を執ることだ」

「ああ、グロッソか? あいつは誰の私兵団を仕切ってるんだったかなあ……」

「誰でも構わんが、あの程度の男が俺たちの指揮まで執ることが気に入らん」

 カークがグロッソから視線を外して再び顔を背けると、隣人は声を殺して笑った。

「ミューラー団長が解雇になったもんだから、あの野郎はこれをチャンスとばかりに後釜を狙ってるんだぜ」

 そう言って笑う男をカークがジロリと睨んだ。

 その視線に気付き、男は両手を軽く上げながら顔を離す。その顔には冷やかすような笑みが浮かんでいる。

「おいおいカーク、俺に噛み付くなよ」

「ミューラー団長は解雇されたのではない。鷹の眼ドブネズミの後を追う任に着いているため、今は留守にしているだけだ」

「はいはい、俺たちは団長が戻って来るまでカーク団長代理に従うとしますよ」

 肩をすくめる男に一瞥をくれ、カークは砂漠の城へと視線を移した。

 名前を出したせいか、脳裏に褐色の肌をした盗賊の姿が一瞬浮かぶ。

「あの鷹の眼ドブネズミめ!」

 カークは呪詛のように呟くと、腰に差した特殊な形の曲刀を引き抜いた。

 反り方が通常とは逆になっている曲刀――刃の側に向かって弧を描く特殊な曲刀を手に、カークは一歩踏み込むと盗賊の影を斬り捨てる。

「会うことがあったら細切れにしてくれる」

 斬り捨てた影は、砂埃と共に塵となって掻き消えた……

 

 

 

 つづく

 

 

ええ、今回出てきた『カーク』、連載初期の頃にもミューラーの片腕として出てきてます。

覚えてる方は少ないでしょうが……そんな感じです(08/05/23)

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