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93章  肉の仮面

「なんという……」

 驚きと共に、レイルズの口から感嘆の声が漏れた。

 レイルズの放った蹴りは見事にビエリの脇腹を捉えたが、その巨躯は微塵も揺らぐことなく衝撃を受けきってみせた。

「ビエリっ! 捕まえろ!」

 椅子に縛り付けられたネイが声を張り上げる。しかし、その声にいち早く反応したのはレイルズの方だった。

 レイルズは我に返ると大きく後ろに飛び退き、十分な間合いを確保する。

 一方、ビエリは眉尻を頼りなさげに下げ、嫌そうな顔をネイに向けた。

「なんだ、その顔は! さっさとその白髪野郎をぶっ飛ばせ!」

 四肢の自由を奪われた状態でネイが必死に身体を揺すりながら怒鳴り散らすと、その声にビエリは身を縮めた。

「驚いたな、まるで筋肉の鎧だ。――だが、それならそれでやりようもある」

 一歩踏み出したレイルズに向かい、ビエリがジタバタと両手をかざす。

「ビエリ! 覚悟を決めろ!」

 ネイの叱責とほぼ同時、レイルズは前傾姿勢を取るとそこから一気に間合いを詰めた。

 地を走るイタチのように身を低くしてビエリの横をすり抜け、すれ違いざまにビエリの足首に手を伸ばす。

 その手が足首をしっかりと捉えると、レイルズは地を蹴り両足を跳ね上げた。

 逆立ち状態となったレイルズの足が、慌てふためくビエリの首筋を襲う。

 同時に捉まれた足首を後方に引かれ、ビエリはバランスを崩して床に両手を着いた。

「ガッ!」

 思わずビエリの口から漏れ出した苦痛の呻き。その顔が激しく歪む。

 レイルズの身体が左脚に絡みつき、ビエリの足首と膝を同時に捻じり上げていた。

「引き剥がせ!」

 ネイの指示にビエリは小さく頷き、両腕と背筋、そして右脚に力を込める。

 レイルズの身体を左脚に絡ませたまま、最後は背中と右脚の筋力のみで無理矢理に身を起こす。

 逆さの状態となって脚に絡みついたレイルズの両目が、その筋力に驚き大きく見開かれた。

「ウガッ!」

 短い声と共に石壁に向かって振られる左脚。

 その脚に絡みついていたレイルズは、成す術もなくその身を石壁に叩き付けられた。

 鈍い音が薄暗い部屋に響き渡り、レイルズが力無く壁沿いに崩れ落ちる。

「いいぞ、ビエリ!」

 歓喜の声を上げるネイ。その声にビエリは、脂汗を浮かべながら歪んだ笑顔で応えた。

「まさか、ここまでとは……」

 壁際に崩れ落ちたレイルズが、両腕で身体を支えて身を起こし始める。

 その身体は小刻みに震え、それと同様に呟いた声も震えていた。

 レイルズの右手が自身の後頭部を軽く撫で、再び眼下に戻される。

 朱色となった掌。それを目にした途端、レイルズはビクリと身体を大きく震わせた。

「いけない……」

 一言呟くと、苦しむようにきつく目を閉じる。

 恐怖――レイルズが身体から発しているものは、紛れもない恐怖心だった。

 レイルズを中心に、部屋全体に広がっていくような負の気配。その気配に反応し、危険を知らせる警告音がネイの中で鳴り響く。

「なんだ?」

 訝しげに眉を寄せるネイの前で、レイルズの身体の震えが徐々に大きくなっていく。

「なにかヤバいぞ……。ビエリ、縄を解け! 何だか分からねえが危険だ!」

 ビエリが慌ててネイに駆け寄り、おぼつかない手で縄を解きにかかる。

 そんな二人をよそに、レイルズはゆっくりと身を起こし、膝立ちの体勢で血に染まった手を見下ろしていた。

「やめろ……やめろ……やめろ……」

 ネイの耳に微かに届いた苦しげな呟き。その呟きを漏らしたレイルズの表情は、激しい恐怖から強張り、そして歪んでいた。

「早くしろ!」

 ネイがビエリに向かって叫ぶが、その声がビエリの手許を余計に不確かにさせる。

「私は望んでいない……」

 再び耳に届いた呟き。その呟きを最後に、レイルズは糸が切れたかのようにガクリと頭を垂れた。

 先刻までの震えが嘘のように止まり、膝立ちだった状態からゆっくりと立ち上がり始める。

 しかし、頭は垂れたままのため、その表情を窺い知ることは出来ない。

「アウッ!」

 ビエリの短い声と共に両腕が自由になり、ネイはすぐさま身を屈めて両足の縄を解きにかかった。

 そんなネイの耳に飛び込んで来るレイルズの声――  

「嘘だ。私は望んでいる」

 その声は低く、恐ろしく冷たい、まるで別人のような声だった。

 ネイが視線を上げると同時にレイルズも垂れていた頭を上げる。

 両側の口角を上げた不気味な笑み。両眼の輝きは失せ、ドロリとよどんでいた。

「あの野郎、壊れやがった!」

 ネイが再び縄を解きにかかると、レイルズがゆらりと身体を揺らす。

 来る――視線を上げずとも、はっきりと分かる気配。

 身がすくみそうになるほどの殺気は、先刻、娼婦館の二階からレイルズが放ってきたものとは完全に異質なものだった。

 あと少し、あと少しで縄が解けるが間に合わない。

 迫り来る殺気に舌打ちが漏れたとき、ビエリの大きな背中がネイの前に立ちはだかった。

 ビエリは腰を落とし、両腕を広げてレイルズを迎え討つ。

 

 

 

「ガッ!」

 それは両足の縄が解けたのとほぼ同時、ビエリの短い呻き声が耳に届き、ネイは頭を跳ね上げた。

 一体何をされたのか、目に飛び込んで来たのは崩れ落ちていくビエリの背中だった。

 その向こう、レイルズの姿はビエリの巨躯に隠れて確認することは出来ない。

「野郎っ!」

 しかし、ネイは考えるより先に勢い良く立ち上がると、ビエリの背に向かって猛然と駆け出した。

 崩れ落ちるビエリの先、レイルズの姿が見えてくる。

 ビエリが床に膝を突いて前屈みになると、ネイはその背を踏み台にして宙を舞った。

 崩れ落ちたビエリの陰から突然姿を見せたネイに、レイルズの反応がわずかに遅れる。

 全身を預けるようにして飛び込んだネイの膝が、レイルズの顔を捉えた。

 二人はもつれ合うようにして倒れ込むと、先にネイが身を起こし、そこからさらに転がりレイルズが片膝を突く。

(やったか?)

 確かに感じた手応え。しかし、その手応えに反し、レイルズは変わらず不気味な笑みを浮かべていた。

 レイルズの表情を見てネイが嫌そうに顔を歪める。

「無理するなよ。痛かったろ?」

 そんな言葉に応えるはずもなく、レイルズは素早く立ち上がると再びネイに向かって駆け出した。

 二本の指を立て、的確にネイの眼球を狙ってくる。

「くっ!」

 ネイは頭を反らせてなんとか避けると、レイルズを押し退けるようにして壁際に身を置いた――が、レイルズは猟犬のようにネイを追い、逃れることを決して許さない。

 ネイに向かって突き出される左拳。正面から喰らうことになれば、拳と壁に頭を挟まれ只では済まない。

 しかし、ネイが頭を傾けて寸でのところで躱すと、レイルズの左拳は石壁に勢いよく打ちつけられた。

 ネイの耳元で果実が潰れるような不快な音が上がる。その音にネイが顔をしかめた。

「おお、さすがにそれは痛いだろ」

 しかし、レイルズは構うことなく左腕を引き、再びその腕でネイを殴りつける。

 右拳で来ると考えていたネイは意表を突かれ、ほぼ無防備にその拳を頬で受けてしまった。

 転がるように倒れ込んだネイの頬、殴られた部分が真っ赤な血に染まる。

 だがそれはネイの血ではない。レイルズの潰れた左拳、そこから流れた血がネイの頬に付着しただけだ。

 見上げたネイの目に、笑みを浮かべて左拳を一舐めするレイルズの姿が映る。

 そのレイルズの姿に、戦慄を覚えるのと同時に奇妙な感覚を受けた。

 この殺気はどこかで知っている――そんな考えが頭をよぎった瞬間、レイルズの右手がネイの喉元に伸び、恐ろしい握力で締め上げてくる。

 行き場を失った頭部の血液が内部から顔を圧迫し、薄い涙で視界を滲ませる。

 その滲んだ視界の中、レイルズの背後に片目をきつく閉じたビエリの姿が映った。

 ビエリの太い両腕がレイルズの腰に巻き付き、ネイから引き剥がすようにその身体を力まかせに抱え上げる。

 レイルズは抵抗を試みたが、ビエリの太い腕を解くことは出来なかった。

 そして――

「ガアアッ!」

 ビエリは咆哮と共に思い切り背を反らし、後方に倒れこむようになりながらレイルズの身体を頭から床に叩きつけた。

 レイルズの身体が折れ曲がり、ビエリが両腕を解くとゆっくりと床に崩れ落ちる。

 ネイはその光景にしばし唖然としていたが、我に返ると喉元を押さえながらビエリに歩み寄った。

 ビエリの傍ら、レイルズが四肢を広げて仰向けに倒れている。

「死んだか?」

 ネイはレイルズの頭を足先で二度ほど突っつき、動かないことを確認してから安堵の息をついた。

「ビエリ、大丈夫か?」

「アウウ……」

 ビエリは座り込み、両目を忙しなく擦っていた。

 どうやらレイルズに目を突かれたようだが、ネイが確認してみると眼球自体に傷は見当たらない。 

「それにしても――」

 ネイとビエリが揃ってレイルズを見下ろす。

「一体こいつは何なんだ……」

 薄暗い部屋の中、先刻まで漂っていた負の気配はすでに消え、静けさだけが二人を包んでいた。

 

 

 

「それではお気をつけて」

 エマは深々と頭を下げ、最後の客となった男を見送った。

 その男の姿が見えなくると、エマと共に頭を下げていた娘が身を起こし、両腕を持ち上げ思い切り伸びをする。

「ああ、疲れた」

 ガクリと腕を下ろすと同時に漏れ出した声。その声色には色気の欠片も無い。

 今しがたまでしおらしく見せていた娘の変化に、エマも思わず苦笑を漏らした。

「さあさあ、後片付けよ」

 エマが励ますように軽く肩を叩くと、娘は片手を上げて間延びした返事をし、首を捻りながら二階へと戻って行く。

 エマは娘の背中に一度タメ息を吐きかけ、地下に続く扉へと向かった。

 扉を開けたすぐ横、壁に掛けられたランプに慣れた手つきで火を灯し、それを手に取るとそっと扉を閉めた。

 光の差し込まぬ階段を、ランプの灯りを頼りに一段いちだんゆっくりと下りていく。

 階段の終わりまで来ると右手に扉があり、その扉の錠前に指を掛けたところでエマは眉を寄せた。

 不意に胸に広がる嫌な予感。

 わずかな間だけ動きを止めるが、一度かぶりを振ると気を取り直して錠前の解除に取りかかる。

 錠前を解除すると、扉を押し開いてそっと中の様子を窺った。

「っ!」

 そこでエマは地下室の変化にすぐに気付く。

 燭台の灯りが消え、室内が暗闇に支配されている――と、次の瞬間、取っ手にかけたままの手を引かれ、エマの口から短い悲鳴が漏れた。

 前のめりに倒れそうになるのを支えた誰かの腕。エマは手にしたランプを落としてしまった。

「悲鳴は女らしいじゃないか」

 耳元で聞こえた冷やかすようなネイの声。

 暗闇の中でもたれかかる形となったネイの身体を突き放し、エマは身を離した。

 開いた扉がゆっくりと閉められ、落ちたランプをネイが拾い上げる。

 ランプの灯りに照らされたネイの顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。

「レイ……レイルズは?」

 エマが睨みつけながら問うと、ネイは答える代わりにランプの灯りを部屋の奥へと向けた。

 灯りに照らされ、縄で自由を奪われたレイルズの姿が浮かび上がる。

 その背後にはビエリが立ち、後ろからレイルズの口許を押さえつけていた。

 ネイがビエリの名を呼ぶと、ビエリは一度頷きレイルズの口許から手を離す。

「レイ、まさか貴方が逆に捕らえられるとはね」

 強がるようにエマが肩をすくめると、レイルズは苦笑を浮かべて返した。

「彼等に助けられました」

「なるほどね」

 二人の会話にネイが眉をよせる。

「おい、俺たちは助けた覚えはないぞ」

 ネイが不機嫌そうに言うと、エマは小さく笑った。

「レイを止めてくれたんでしょ?」

 全てを察しているようなエマの口調に、ネイが緩くかぶりを振る。

「あいつは一体何なんだ? ちょっとおかしいぜ」

 ネイがそう言いながら自分の頭を指差すと、エマは不快そうに目を細めた。

「おかしくないわ。――彼は元アサシンよ」

「なに! アサシンだと?」

 驚くネイに、エマはあごを引いて応えた。

 レイルズとの格闘中、どこかで覚えのある殺気だと感じた理由が分かった。聖都で襲ってきたアサシンたちに似ていたのだ。

 怒りや生への渇望、そういった感情のある殺意とは異質。命を奪うことを作業としてしか捉えていない無感情な殺意。レイルズの浮かべていた不気味な笑みは肉の仮面。

「アサシン……」

 ネイはもう一度その名を呟き、レイルズに目をやる。

 レイルズはうつむき、変わらぬ苦笑を顔に貼りつかせていた……

 

 

 

 つづく

 

 

 愚痴です。

 

 ファンタジーは表現が難しいと思います。

 身体が『くの字に』曲がる、という表現を使いたくても、この世界に平仮名がないため、『くの字』という表現に抵抗がある……


 同じように、ジャーマン・スープレックスと書ければ分かり易い上に、文字数も少なくて楽なのに……と思ってしまう場面があった。


 なんだかなぁ……(08/05/03)

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