8章 瞳の咎め
キューエルが捕らえられた。
そんな情報をネイが耳にしたのは、滝の洞窟から四日後の昼だった。
キューエルが捕らえられることは予想通りだったが、やはり多少胸が痛む。
きっと今頃、尋問を受けて少女がミューラーの手に渡っていないと気付いただろう。
そんな考えを巡らせながら、フードの裾を揺らして人ごみをすり抜けるように歩いていく。
人通りを抜けて小高い丘まで来ると、木々に囲まれた廃屋があり、その前まで来ると周囲を警戒しながら廃屋の中に足を踏み入れた。
ギシギシと音を立てる廊下は、歩くたびに埃を舞い上げる。
一番奥の部屋まで進むと、そこには古びたベッドが一つ備え付けてあり、その上に銀髪の少女が腰を下ろしていた。
その姿勢は、ネイがここを出たときと全く同じだ。
「待たせたな」
「……」
相変わらずの無言。
この四日間、あれこれ質問してみたが一切口を利くことはなかった。
そこまでいくと『黙っている』のではなく、『しゃべれない』のだろうと解釈した。
「こっちに来て座れ。食い物を持ってきた」
そう言うと、羽織っていたフードを床に敷き、その上に先程買ってきた食料を置く。
そして、フードの上の空いた部分を指差すと、少女はその部分にぺタリと座り、ジッと俯いている。
ネイはそんな少女にパンと肉の燻製を切り分けてやった。
ネイがパンを食べるとそれを見て少女もパンを食べ、肉を食べると同じように肉を食べる。
そんな具合に、ネイが示すととりあえず同じ行動をしてみせる。
この四日間そんな調子だが、言われていることは一応分かるらしく、それに従おうとはする。
初めはそんな少女を不思議にも思ったが、四日も経つといい加減慣れた。
果実酒を瓶から直接口に流し込み、それを少女にも渡してやる。
少女は同じように飲もうとするが、ゆっくり飲むように注意すれば一度動きを止めて、言われた通りにゆっくりと飲み始める……そんな調子だ。
とりあえず一通り食事を終えると、傍らに置いたもう一つの袋から小さめのフードを取り出した。
頭まで被れるタイプのものだ。
「ほら、これを被れ。そうすればお前も外に出れる」
少女の銀色の髪は目立ちすぎて、おちおち外を歩かせることが出来ない。
「……」
しかし少女は差し出したフードを受け取る素振りは見せず、ただ俯いているだけだ。
ネイはガックリと肩を落とし、諦めたように立ち上がると少女の背後に廻った。
「いいか、こうやって被るんだ。で、ここをこうして……ほら、出来たぞ」
少女にフードを被せると、顎の部分で紐を軽く結んでやる。
「ハハ、なかなか似合うぜ。テルテル坊主みたいだ」
「……」
「……まあ、そんなこと言っても分からないか。とりあえず外にいるときはそれを被るんだ。いいな?」
「……」
返事はないが少女がフードを脱ぎ始める。
とりあえず『外にいるときに被る』を守るつもりのようだ。
その様子を見てネイが苦笑する。
「日が沈んだら出発するから、それまでベッドで横になってな。時間になったら起こしてやるよ」
そう言われると少女は脱いだフードをそのままに、ベッドまで歩いて行くとその上に仰向けになった。
「やれやれ……」
ネイは大きくタメ息をついた。
此処はガラニスタよりさらに南下した場所にある小さな街。
モントリーブ国内の南部に位置する。
滝の洞窟からガラニスタを避け、そのまま南下しこの街まで辿り着いた。
ガラニスタには寄らずに素通りしたのは、そこには現在ミューラーの私兵団が駐屯しているからだ。
滝の洞窟から西に進み、ベルシアに戻ろうかとも考えたが、結局そうすることは止めた。
ベルシアはギルド発祥の地、そこで生まれ育ったキューエルには庭みたいなものだ。
そんな国で銀髪の少女など連れて歩けば、キューエルに『ここにいる』と言っているようなものだ。
そこで南下することでバルト大陸南東部に位置する、隣国セルケアを目指すことにした。
セルケアという国は、大陸随一の未発展国だ。
その領地の大半を森が占めており、未発展ゆえに盗賊の類に馴染みが薄い。
それに他国との流通も遅れているため情報が伝わりにくく、現段階で身を隠すにはうってつけだ。
逆に言えば、そうゆう場所だからこそ、潜伏先としては予想され易いとも言えるが……。
しかし、キューエルが知り尽くしたベルシア。
ミューラーが私兵団を率いる此処モントリーブ。
この二つの国に比べれば、身を隠すのには遥かにマシだろうと考えた。
「起きろ」
そう言って少女の身体を揺すると、少女はムクリと上半身を起こした。
「そろそろ出るぞ」
その言葉を聞き、ベッドからその身を下ろす。
寝起きがいいのか、それとも始めから寝ていないのかは定かではないが、少なくとも少女に眠そうな気配はない。
荷物をまとめ、廃屋を出るとすっかり陽も沈んでいた。
振り返ると少女もフードを被り、ちゃんと着いて来ている。
「今から馬を調達する。しっかり着いて来いよ」
「……」
「よし、行くぞ」
ネイが小走りに走り出す。
もちろん少女が着いて来れる程度の早さでだ。
肩越しに振り返り、少女が着いて来ているかを確認するが、一応大丈夫なようだ。
この四日間で知ったが、どうやら運動能力は人並みにあるらしい。
少女が着いて来れているのを確認すと、立ち止まることなく丘を下り街中に入る。
街中に入ると歩調を緩め、自然に人ごみに紛れた。
小さな街とは言っても、街は街だ。それなりに夜も賑わっている。
少女がはぐれていないか時折確認しつつ、目的の場所まで辿り着いて立ち止まった。
そこは酒場の裏口。客の馬を入れている馬小屋の前だ。
「よし……ちょっとここで待ってろ」
そう言って少女を建物の陰に残し、身を低くして馬小屋に素早く近づく。
その動きは仕事のときのものだ。
突然の来訪者に驚いて、多少暴れる馬の中から一頭を選び出し、手早くその馬に馬具を装着して手綱を握りる。
そして『ドウドウ』と声をかけ、馬を落ち着かせるとそのまま馬小屋から連れ出した。
「行くぞ」
馬を引いて少女の元に戻り、そう声をかけると少女はジッとネイを見上げる。
「うっ……」
その顔を見てネイは一瞬言葉を詰まらせた。
少女の物言わぬ紅い瞳に、非難が込められている気がしたからだ。
実際は気のせいなのだろうが、その真っ直ぐに向けられる瞳にそんな感覚を覚えた。
「今は非常事態ってやつだ。仕方ないだろ?」
そこまで言って、勝手な思い込みで言い訳をしている自分がバカらしく思い、思わず苦笑し目を逸らした。
「……とりあえず早く乗れ」
目を逸らしたまま少女の脇に手を入れ、そのか細い身体を馬の背に押し上げて手綱を握らせる。
「よし、じゃあ……」
そこまで言って少女を見上げたとき、少女もネイを見下ろしていた。
「……」
視線がぶつかると、まるで自分もしゃべれなくなったかのように、言葉が口から出てこなかった。
そんな状況に何か言おうと、必死に言葉を発しようとする。
そしてやっとの思いで吐き出した言葉は
「……お前は他人の物なんか盗むなよ」
少女の瞳を見上げながら、ごく自然にそんな台詞が出た。
自然に出た自分の言葉にネイ自身も驚き、慌てて少女の後ろに飛び乗った。
それと同時に勢い良く馬が走り出す。
アっという間に馬は街を後方に追いやり、見る々うちにその影が遠退いていく。
馬を疾走さながら、ネイは前に乗る少女の頭を見下ろした。
(他人の物を盗るな、か……)
心の中で呟き苦笑した。
「盗賊の言う台詞じゃないな」
そう口に出し吐き捨てると、何かを振り切るように、馬の横腹を蹴りさらに加速させる。
馬の背の上。何かを洗い流すかのように、強い風がネイの頬を撫でた……
つづく