88章 二人の旅路
肩にかかった荷物を担ぎ直し、肩で息をしながら吐息を漏らす。
「なあ、少し休もうぜ。荷物が重いんだよ」
頼りない声を上げるが、前方を行く者の軽快な足取りは緩まることはない。
「なあ、聞いてるのか?」
しつこく繰り返される呼びかけに、前方を行く者の口から小さく舌打ちが漏れた。
わずかに歩調を緩め、冷やかな視線を後方に向ける。
その拍子に、背まで伸びた黒髪が柔らかに揺れた。
「うるさいぞ。黙って歩け」
にべもないその態度に、後方の人物――ギーが口を尖らせる。
「おまえなあ、俺だって好きで一緒にいるわけじゃねえんだから、ちょっとは愛想を良くしろよ」
背後から上がる不満の声に、アティスはもう一度冷やかな視線を送ると小さく鼻を鳴らした。
「悪いが、こっちは『好きでいるわけじゃない』どころか、虫唾が走るのを必死に堪えて一緒にいるんだ」
そう言い放つアティスにギーが唇を震わせる。
遠慮の無い不躾な台詞に返す言葉が見つからない。
「……おまえ、友達いないだろ」
やっと発したギーの言葉に応えることなく、アティスは再び歩調を速めた。
二人は国境を越えてフォンティーヌへ戻るため、アーセンの地を北上していた。
サイホンでネイたちと別れて丸三日が過ぎようとしている。
ほぼ休むことなく歩を進めた結果、国境はすでに目前に迫っていた。
前を行くアティスの背に、ギーはげんなりとした様子で吐息を漏らす。
ネイたちと別れてから交わされた会話は、先刻のような軽い口論のみ。
重く気詰まりな状況。その息苦しさを解消するためにギーが無理に口を開く。
「なあ、サイホンを出て見かけたヤツら――」
ギーが振った話題で、初めてアティスの歩調が若干緩まる。
サイホンでネイたちと別れて半刻が過ぎた頃、二人はある一団を目にしていた。
その一団は、馬に跨り白い装備に身を包む少数の騎士団。
一台の馬車を守るように隊列を組み、聖都の方角からサイホンの方角へと向かっていた。
「あれって聖都の聖騎士団の連中だよな? ヤツらが来るから、帝国本土から本隊のヤツらがサイホンまで出迎えに来たのか?」
「……」
ギーの疑問にアティスは肯定的だった。が、わざわざそれに答えてやる気はない。
しかし、頭の中では同じようにそのことを考えていた――と言うよりも、聖騎士団を見かけてからずっとそのことを気に懸けていたのだ。
一体あの馬車には誰が乗っていたのか。枢機卿か? または他の誰か?
そのことがアティスの頭の中を巡る。
残念ながら馬車の中は窺い知ることは出来なかった。だが、それでも馬車の中にいる人間が、教会にとって要人だというのは分かった。
目にした聖騎士団の数は少ない。しかし、数が問題ではない。問題はその中の一人。その人物がいたからこそ、馬車の中の人物が要人だと分かる。
「スラル・ガート」
呟くようにアティスが口にした名に、後を追うギーが眉を寄せる。
「すらる? 今、スラル・ガートと言ったのか!」
「そうだ」
振り返ることなくアティスが短く答えを返した。
「へえ……」
どれがスラルだったのか? それは訊かなくともすぐに分かる。
訊くまでもなく、一団の中で最も目立つ人物だ。
その人物――たった一人、金の装飾が施された鎧を身につけ、纏った真紅のマントをなびかせる。柔らかなクセのある明るい金髪に、色白の肌をした端整な横顔がギーの脳裏に浮かんだ。
「あれが『騎士の中の騎士』と呼ばれる男か……」
騎士の中の騎士――その呼び名を知らぬ者は、おそらくこのバルト大陸には存在しない。
七年ほど前に若くして聖騎士団の団長の座に着き、その影響力は、実質的に枢機卿に次ぐものがあると言われている。
「まあ、顔は俺と良い勝負だな」
腕を組みながら納得したように頷くギーに、アティスが肩越しに口の端を小さく上げて見せる。
その表情に気付き、ギーはうらめしそうにアティスの背を睨みつけた。
「なんだ、その人を小馬鹿にしたような笑い方は?」
「おまえは目が悪いのか? それとも自分の顔を見たことがないのか?」
「なんだと!」
真顔で訊かれるからこそ余計に腹が立つ。が、アティスは気にする素振りも見せず、再び背を向けるとさっさと歩き出したしまう。
一人取り残されて怒りの矛先を無くしたギーは、拳を震わせながら地団駄を踏んだ。
「本当にギルドに報告するのか?」
木陰に入ってしばらくすると、アティスの口から静かに疑問の声が漏れた。
『二人分』の荷物を放り投げるように置いたギーは、一度鼻を鳴らすと荷物を枕代わりにゴロリと寝転がる。
疲れた身体をいっぱいに伸ばし、手足を四方に投げ出した。
「報告はするぜ。――だが安心しろ、誰と一緒だったかまでは言わねえよ。ギルドが知りたがっているのは鷹の眼の居場所だからな。余計なことを言ったら俺まで危険に遭いかねない」
目を閉じながら笑みを浮かべるギーに、アティスは表情の無い顔を向ける。
「簡単に仲間を売るんだな」
嘲笑するような口調で静かに吐き捨てると、目を閉じていたギーが勢い良く身を起こし、鋭くアティスを睨みつけた。
その両目には、激しい怒りの炎が浮かぶ。
「何度も言うが、俺たちは仲間じゃねえ! 同じ組織に属しているってだけで、一人ひとりは商売敵だ」
ギーの怒りを受け、表情を消していたアティスの眉が微かに動く。
その表情こそ大きく変えることはなかったが、ギーの怒りに多少なりとも驚いた。
『仲間を売る』と言われたことに対す怒り――そのプライドにだ。
「盗賊にもプライドがあるのか?」
思わず口をついた純粋な疑問。その証拠に、今度はその声色に嘲りの色はない。
それを察してか、ギーも怒りの色を消し、唇を尖らせながら顔を背けた。
「あいつに……鷹の眼に腹を立てているのはギルドの上の連中だけじゃねえ」
「どいうことだ?」
「あいつはギルドでもトップクラスの盗賊だ。他のヤツらだってそれを認めている。なのに、あいつはそれを簡単に捨てやがったからさ」
「……」
顔を背けたままのギーに、アティスは目を細めた。
上官も部下もない。味方もなく敵もない。情けをかけることもない。
ただ純粋に競い合うだけの同業者。認めるべきは腕が利くかそうでないかだけ。
そうして認めたからこその怒り。不本意な形で去る者への苛立ちに触れ、その関係がとても不思議なものに思えた。
上を目指すため、足を引っ張り合う者たちとは何かが違う。
『騙し騙され、盗賊ギルドのヤツらは仲間意識なんて持っていない。だがその実、ヤツらは根深い処で繋がっている』
誰が言ったか、いつかそんな言葉を耳にした覚えがあった。
その言葉がフと頭に浮かび、アティスは納得するように小さく頷いた。
「ギルドの上の連中とはどんな人間なんだ?」
アティスが話題を変えると、ギーが唇を尖らせたまま横目を向ける。
「知らねえよ」
「知らない?」
「『上の連中』っていうのはギルドの本部のヤツらだが、呼び方が無いからそう呼んでるだけだ。そいつらはギルドを管理してるだけで、別に立場が上ってわけじゃねえ。上の連中が仕事を取り、仲介人が仕事を流す。そして俺たちがそれを実行する―――役割が違うだけだ」
「呆れたな。仕事を出す人間のことを知らないなんて」
「ヤツらは多くの仲介を間に入れて仕事を出すからな。だから本部がどこなのか、どんなヤツらで構成されているのかは知らないし、知る必要も無い」
アティスは小さくタメ息を漏らしてかぶりを振った。
根本的に他の国とは違うのだというのを再認識させられる。
「確か、ネイのような人間を『渡り鳥』と言ったか? そんな組織でも規律はあるのだな」
「そんな組織だからこそ絶対的な規律が必要なんだよ。ギルドは『信用第一』だからな」
言い終えると同時にギーが顔を向け、その口許にニヤリと笑みを浮かべた。
その顔を見て、アティスの口から低く小さな笑いが漏れる。
人が集まれば自然に規律が生まれる。それはどんな悪党の集いでも同じ――そのことが妙に可笑しい。
「ネイとの付き合いは古いのか?」
「ああん? そりゃあ罪人の国は一つしか街がねえからな。もっとも、俺はセティちゃんを通じてあいつを知ったんだがな。で、セティちゃんはキューエルを通じてあいつと知り合ったってわけよ」
「キューエルか……」
「そうだ。――まあ、鷹の目がギルドを抜けたのも、キューエル絡みじゃあしょうがねえのかもしれねえな」
そう言ったギーの顔に、どこか自虐的な笑みが浮かぶ。
「なぜだ?」
「全てをキューエルから学んだからさ」
当然のように言うギーに、アティスが小さく頷いた。
「師弟関係というやつか」
「いや、上手くは言えねえが、あいつらはもっと特別な何かだ。だからこそ必死でキューエルの背中を追うんだろうよ。他のヤツなんて眼中にありゃしねえのさ」
吐き捨てるように言った最後の言葉。
アティスはその言葉にギーの素直な感情が現れているように思えた。
おまえもネイに認められたいんだな――その言葉をそっと飲み込む。
自分が認める相手なら、その相手にも認められたい。至極当然のことだ。
「ところでよ――」
ギーが胡座をかき、ニヤけた顔で下からアティスを覗き込む。
「虫唾が走る相手に、鷹の眼のことだとずいぶん口を利くじゃねえか?」
「何が言いたい?」
白い目で見下ろすアティスに、ギーが肩を揺らして低い笑い声を漏らす。
「さては、あいつに気があるんだろ? でも、止めておけよ。どうせアサシンに消される身だ」
そう言ってニヤつくギーに、アティスは憐れむような視線を向けた。
「おまえの単純な思考を羨ましく感じる」
「なんだと! どういう意味だよ!」
「気にするな。――そんなことより、もう一つ訊かせろ」
「何だよ?」
「サイホンで別れる際、ネイに何か頼まれたろ。何を頼まれた?」
「おっ、やっぱりか! やっぱり興味あるのか?」
茶化すように嬉々とするギーに、アティスはタメ息をつき一瞥をくれる。
「……もう充分に疲れが取れたようだな。そろそろ行くぞ」
「お、おい、待てよ! 素直に言えば教えてやるって!」
さっさと歩き出すアティスに、ギーが慌てて二人分の荷物を抱え上げる。
「おい、待てって! ちょっとは手伝えっ!」
アティスはギーの怒鳴り声を無視し、木陰から身を出すとゴルドランの方角へと顔を向けた。
柔らかな風が頬を撫で、黒くしなやかな髪を軽く踊らせる。
(ネイ、死者の誘いに囚われるな。死んだ人間には決して追いつけないぞ)
声には出さずに胸の内でそっと呟くと、まるでその声に応えるように風が湿り気を増す。
絡みつくような生暖かさ。その不快な風に、アティスの胸が微かなざわつきを覚えた……
つづく
再開しました。
新キャラ『スラル』の名前を考えてくれた黒まんじゅうさん、
ありがとう〜。感謝します。
実はこの新キャラ、今回は名前のみですが、ずっと前(42章)にちょこっとだけ登場してます。
だから、正確には新キャラではないのです!
どうでも良い事だけど(汗)
次回の更新は結構早いと思います。
なぜなら、今回の話は次回分を書いている途中、急遽足すことにした話だからです。
よって、次回の話はほぼ出来上がっています。
というわけで、次回も読んでいただければ幸いです(4/5)