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85章  飛ぶ心

「遅いな……。何をグズグズしているんだ」

 ルートリッジがカウンターで紅茶をすすりながら不満を漏らす。

 それを隣の席で聞いていたネイが、顔を背けてしかめっ面を作った。

 ルートリッジが張り切って荷造りをしたのは始めだけだ。

 残りをアティスとビエリに任せると、すぐに一階の酒場へと降りて来てしまった。

 荷物の大半は滞在中にルートリッジが買い集めた物ばかりだったが、そんなことを気にするつつましさは残念ながら持ち合わせてはいない。

「おい、本当に良いんだな?」

 後ろのテーブル席からギーが憮然とした表情で声をかけ、ネイは背けた顔をギーへと向けた。

「ああ」

 ネイが口の端を上げて見せると、ギーは憮然とした表情で鼻を鳴らす。

 時折わざとらしく首筋を擦る姿が当て付けがましい。

「まあ、俺は別におまえがどうなろうが、セティちゃんが無事なら問題無いけどよ……」

「そんなにセティが気になるなら聖都じゃなく、フォンティーヌを経由して罪人国ベルシアに戻ったらどうだ? そうすりゃセティの顔を見れるぜ」

 ネイがそう提案すると、ギーは嫌そうな目つきしたが口許は二ヤけていた。

「お、おまえがそんな親切なことを言うなんてどういう風の吹き回しだよ」

 口を尖らせるが、口調は半笑いになっている。

 正直なヤツだ、と内心ほくそ笑んでネイは肩をすくめた。

 そのネイの態度に、ギーが慌てて笑みを引っ込める。

「そ、そんなことより、本当に良いんだな?」

 ギーがもう一度同じ質問をすると、ネイはうんざりとしたように緩くかぶりを振った。

 苛立った気配を見せたギーは席を離れ、ネイの横に立つとカウンターを掌で強く叩く。

 その音に、別のテーブル席に着いていたトゥルーとリムピッドも顔を向け、カウンターの奥にいたクレアが目を丸くした。

 ギーは視線が集まったのに気付くと、ネイに耳打ちするように顔を近づけて小声で噛みつく。

「俺は、戻ったら遠慮なくギルドに報告するぜ?」

「だから『良い』ってさっきから言っているだろ? そうした方がおまえの株も上がるし、俺がおまえの立場でもきっとそうするよ」

 ネイが顔を向けることなく平然と言うと、その内心を探るようにギーは目を細めた。

「……本当に良いんだな。そうなったら、すぐに暗殺組織アサシン・ギルドのヤツが飛んで来るぜ」

「だろうな」

 不安を見せるどころか、逆に笑みまで浮かべるネイにギーが深くタメ息をつく。

 そして赤毛を一度掻きむしるとネイの隣に腰を下ろした。

「おまえ……本当にどうしちまったんだ? 仕事の報告をおこたった挙句、そのまま姿を消して『渡り鳥』になって……あの『亡霊ファントム』にまで狙われてるらしいじゃないか」

「よく知ってるな」

 わざとらしくネイが驚いて見せると、ギーは白い目を向けながら鼻を鳴らした。

「当たり前だ! ギルド内でも噂だぜ。たかが『渡り鳥』の処罰に、どうしてそんな大物が出て来るんだって……」

「どうしてだろうな」

 白々しくネイが言うとギーは顔を歪め、ネイの逆隣、ルートリッジのさらに奥に座るルーナに目をやった。

「あのガキが関係しているんだろ?」

 ギーが顎先でルーナを示しながら問うが、ネイは何も答えず腕を組んで目を閉じる。

「あんな小娘とはさっさと手を切って、ギルドにとっとと詫びれば良いだろ。それで元通りだ」

 正面を向いたネイの顔を覗き込むようにしてギーが言うと、ネイはうつむいて笑いこぼす。

「手を切るか……。それは出来ないな」

「何でだよ?」

 ネイがそっとルーナの横顔を見やる。

「あいつはきっと『鍵』だからさ」

「鍵? 何のだよ?」

 口を尖らせるギーに、ネイは小さく首を左右に振って見せた。

「俺にも分からない。だが、何かを開ける鍵だ。それが何なのかを知りたいんだ」

「……頭、大丈夫か?」

 真顔で顔を覗き込んできたギーにネイは苦笑した。

 ギーの言ったように、さっさと手を切ったからといって、それで済むとは思えなかった。

 それで済ますには、首を突っ込みすぎた。

 だが反面、これ以上関わって状況が悪くなることはあっても、良くなるとも思えない。

 それはネイ自身にもよく分かっていた。

 しかし、手を切ることを拒絶する自分がいる。

 ネイはもう一度チラリとルーナを見た。

 キューエルが姿を消してから、自分の前に再び現れるまでの空白。

 ルーナを追う教会。そして、その教会が保護する『聖女』と呼ばれた少女。

 それらを覆い隠す目に見えぬ壁が確かに在る。

 その壁に在る唯一の扉。それを開く鍵こそがルーナという存在だということ。

 もし投げ出せば、その扉の先に在る『何か』を知ることは永遠に無いだろう。

 きっとそのときは、知りたいという意欲も同時に投げ出すことになる……。

 それだけが今のネイを支える揺るぎない確信。

「どんな扉も開けてみせるさ……」

 ネイの呟きを聞き取れなかったギーが、怪訝そうにネイを見据えていた。

 

 

 

「世話になったな。それと迷惑をかけた」

 ルートリッジが右手を差し出すと、その手をクレアがぎこちない笑みを浮かべて握り返した。

 陽が昇ろうかという刻。

 夜明けと共に去り行く背中にクレアは吐息を漏らした。

「しかし、今だにお人好しがいるんだな。こんな怪しい連中をかくまうなんて……」

 小さくなっていくクレアに目をやり、ネイが呆れたように首を左右に振った。

 クレアは名残惜しそうに、まだ手を振っている。

 その姿を見て、発つ直前にクレアが零した言葉が思い出された。

「いつも突然いなくなる」

 確かにクレアはそう呟いた。

「つい最近、帝国兵だった恋人を亡くした」

「ん?」

 手を振り返しながらボソリと言ったルートリッジに、ネイが片眉を上げて口をすぼめた。

「賊の捕縛に駆り出されてな……。何でも戻ったら除隊して一緒に店をやる予定だったそうだ」

「へえ〜……」

 ネイが曖昧あいまいに返事をすると、ルートリッジもクレアに背を向けてうつむいた。

 口許には哀れむような淋しげな笑みが浮かぶ。

「その賊と同じくらいに帝国軍を憎んでいるそうだ。その帝国兵が生活を支える大事な客なのだから皮肉だな……」

「クレア……カワイソウ……」

 ルートリッジの横、荷物を持たされたビエリもしょんぼりとした表情でうつむいた。

「それで、その賊はどうなったんだ?」

「詳しくは知らされていないらしい。もっとも、聞きたくも無かったのだろうが……。ただ、戻って来たのはその隊の隊長と部下がニ、三人だけだったそうだから、おそらく捕り逃したのだろう」

「無駄死にか。救われない話だな」

 ネイが言うと、ルートリッジが何かを思い出したように顔を歪めて鼻を鳴らす。

「その隊長というのがまた最低でな。足しげく店に通っては、クレアにちょっかいを出していた」

「死んだ部下の女にか? ……まあ、そんなヤツはどこでもいるか」

「確かにな。そうだアティス! おまえはせかっく宿舎に忍び込んだのだから、どさくさに紛れてあの『髭男』を斬り捨ててやれば良かったのだ」

 突然に無茶な話を振られ、アティスの表情にわずかに困惑の色が浮かぶ。

「それよりネイ、これからどうするつもりだ?」

 話題を変えようとアティスが言ったが、それに対するネイの態度はおかしなものだった。

 ネイは何と説明して良いのか分からぬといった具合に、ルートリッジに救いの目を向ける。

 そのネイの態度に、アティスはわずかに表情を固くした。

 気付けば、態度がおかしいのはネイだけではない。

 ギーは居心地悪そうに顔を背け、ルートリッジは顎に手を当てうつむいてる。

「一体どうした?」

 アティスが訝しげにネイに訊ねると、口を開いたのはルートリッジだった。

「アティス、先ほどネイと話たのだが――」

 神妙な面持ちで話し始めるルートリッジに、アティスの表情に険しさが浮かぶ。

「ゴルドランまで良い案内役も見つかった」

 言いながらルートリッジはトゥルーとリムピッドに視線を向けた。 

 突然に視線を向けられた二人がかしこまって顎を引く。

「そこで、おまえは一度グラスローに戻れ」

「っ!」

 突然のルートリッジの提案にアティスが目を丸くした。

「何を言っているんです?」

「まあ、聞け」

 明らかな拒否反応を見せたアティスに、ルートリッジがなだめるように両手を上下させた。

 そして咳払いを一つ。

「おまえは帝国軍に所属していたんだ。本土に近づけば近づくほど、顔を知る者に出くわす危険がある。それに――」

 ルートリッジは言いづらいことを突きつける前兆として一呼吸置き、アティスの顔をジッと見据えた。

「やはり今回の騒ぎは大きい。ずいぶん派手に暴れたそうじゃないか?」

「……」

 ルートリッジが穏やかに微笑みながら訊ねると、それに反してアティスはうつむき下唇を噛んだ。

 悔しさを滲ませているようにも見えるが、自身の取った行動を恥じているようにも見えた。

「おまえは顔を知られている可能性が高い。だからこそ、一度グラスローに戻ってはどうか? 将軍エインセへの報告も兼ねて、と考えればそれが良い選択だと思うが」

 ルートリッジが穏やかに言うと、アティスは多少迷いを見せたが、結局うな垂れるように小さく頷いた。

「うむ。分かってくれれば良い。ああ、それともう一つ……」

 二回ほどわざとらしい咳払いをし、今度はルートリッジがネイに目配せをすると、その要求にネイが顔をしかめた。

 互いに相手に言わせようと無言のまま口だけを動かして押し付け合うが、最終的にネイが折れる形となった。

 もっとも、それはネイからの要望なのだから、ネイが説得するのが当然とも言える。

「ええと、その……」

 ネイが言いづらそうにすると、アティスが苛立ったように横目でジロリと睨む。

「なんだ? はっきりしろ」

「いや、グラスローに戻るのに、こいつを一緒に連れて行って欲しいんだ」

 ネイが作り笑いを浮かべながらギーに親指を向けると、ギーは顔を背けて鼻を鳴らした。

 アティスの冷たい視線がネイを射抜く。

「『二人で』帰れと? ……本気で言ってるのか?」

 仮面を着けたように表情を消した顔。

 しかし、そこには先刻見せたものとは異なる種の拒否の気配がある。

 それは『怒り』と『嫌悪感』。

 その気配に、ネイは笑みを浮かべたままの口許を引きつらせると、弁解をするように慌てて口を開いた。

「違うんだ! いや、違うわけでもないんだが……。ほら、こいつは『一人で帰れない』だろ?」

 ネイがギーに同意を求める視線を送ると、ギーは舌打ちして再び顔を背ける。

「道に迷ってウロついて、帝国兵にでも捕まったら厄介だろ? だから、ベルシアに戻るまでおまえに監視して欲しいんだ」

 ネイが笑顔のまま小首を傾げると、アティスはわずかに顎を上げて見下ろすような態度を見せた。

 無言の威圧感に、再びネイの笑顔が引きつる。

「それに、こいつには『貸し』があるんだ。ある男の館に侵入する際に手を貸してもらった。だからこいつを一緒に連れて行ってやってくれないか?」

「貸しか……」

 アティスがタメ息混じりに呟くと、ネイが急いで首を縦に振る。

 そのネイの様子にアティスは鼻で小さく笑うと、口許に薄い笑みを浮かべた。

「安心しろ。私がその貸しを無かったことにしてやる」

 そう言った直後、アティスの右手が拳先突剣ブンディ・ダガーへ伸びる。

 瞬間的にギーの顔が蒼ざめ、ネイが慌てて止めに入った。

「よせ、よせ! ちょっと待て! 殺人それはダメだっ! こいつはセティの恋人なんだ!」

 ネイが咄嗟とっさに嘘を吐き出すと、アティスが手を止めて訝しげな表情を見せる。

「……本当か?」

「本当だ!」

 即座に答えたのはギーだ。

 自身満々に胸を張ったギーに向かい、アティスは遠慮の無い疑惑の眼差しを向ける。

「そういうわけで、こいつをセティに会わせてやってくれないか? ベルシアまで連れて行くのはセティに任せても良い」

 再び作り笑いを浮かべるネイと、思い切り胸を張るギー。

 アティスは二人を交互に見て逡巡し、ルートリッジへと視線を向ける。

 ルートリッジが『そうしろ』というように頷くと、アティスも嫌々ながら首を縦に振った。

「不本意だが仕方が無い。だが、おかしな真似をすれば容赦せんぞ」

 鋭く言い放ったアティスにギーが肩をすくめ、横ではネイが安堵の息をつく。

「分かってくれて良かったよ。ギーもそれで良いな?」

「まあ、俺はセティちゃんに会えるなら何でも良いけどな。それより、しつこいようだがギルドにはしっかり報告させてもらうぜ」

「好きにしろ」

 素っ気無く答えたネイの背後、トゥルーとリムピッドが目を丸くし顔を見合わせる。

「今、ギルドって言わなかった?」

 リムピッドが耳打ちすると、トゥルーが口を開いたままコクリと頷く。

「な、なあ、今ギルドって言わなかったか? あんたたちはギルドの人間なのか?」

 上擦った声でトゥルーが訊くと、ネイとギーが振り返った

「ギルドは俺だけだ。こいつはあくまで『元』ギルドだ」

 ギーが鼻の穴を大きくしながらネイを指差すと、トゥルーとリムピッドは再び顔を見合わせ、丸くしていた目を今度はキラキラと輝かせた。

 そんな二人をよそに、ネイがギーにそっと耳打ちをする。

「おい、セティと会えるようにしてやったんだ。こっちの『頼み』もちゃんと聞いてもらうぞ」

「分かってる、分かってる」

 軽く返事をしたギーは、顔をニヤつかせながら鼻の下を伸ばす。

 その心がすでにセティの元へと飛んでいるのは明らかだ。

 ネイはそんなギーに一度深いタメ息をついた…… 

 

 

 

 つづく

 

 


 前回からの間、投票をクリックしてくれた22名の方、大変ありがとうございました!

 この数字は驚きです! 今回に限ってなぜ……?

 連載当初は見向きもされず、それでも地道に書いてきて良かった……(涙)

 

 次回も読んでいただければ幸いです(3/12)

 

 

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