81章 千載一遇
「ここで待機するのか?」
「ああ。『動き』があるまで待つ。あとは、反乱組織のヤツらが上手く逃げてくれればな……」
薄暗い部屋の中、囁くような二つの声。
ネイとアティスだ。
二人は西の棟の一階、一室に身を潜めていた。
窓の外、目の前に並んだ植え込みの間から、庭園と向かいの東の棟が良く見える。
「そうそう上手く、思う通りにいくか?」
アティスが否定的に言うと、ネイは軽く鼻先を掻いた。
アティスの言うことがもっともだというのは、ネイにも良く分かっていた。
侵入者の素人然とした様子から、上手く逃げ切れるとは到底思えない。
ましてや、血路の騎士をを討つなどとは夢のまた夢。
「それならそれで他の方法があるさ。何にせよ、東の棟から兵が動かなきゃ話にならない。もっとも、あの黒騎士殿が動いてくれれば言うことは無いんだがな……」
「……」
アティスは何も応えず、向かいに建つ東の棟を睨みつけた。
三階、窓に浮かぶ灯りと、無数の人影が激しく揺れ動いている。
まだ戦闘は続いているらしい。
そこからさらに一つ上の階、血路の騎士がいるという四階へ視線を移す。
そこは三階の慌しさなど嘘のように静まり返っていた。
ネイはアティスの視線を追って四階を見ると、意識的に呑気な声を上げる。
「まあ、レジスタンスが逃げるにしろ捕まるにしろ、二組の侵入者がいると気付いていない状態なら必ず隙が出来るさ」
アティスの逸る気持ちをなだめるように言うと、アティスが小さく頷いて応えた。
「ところで……これはどういことだ?」
唐突に言ったアティスの問いに、ネイが片眉を上げる。
そして、視線をアティスの背後に移した。
アティスの背後、影のように寄り添うルーナの姿。
その様子にネイは口の端を上げて笑った。
「さあ? 気に入られたんじゃないのか?」
ネイが恍けると、アティスがジロリと横目で睨む。
「私はおまえに従っている。おまえは本当に協力する気があるんだろうな? おかしな企みはタメにならないぞ」
アティスが向ける疑惑の眼差しに、ネイは歯を見せながら満面の笑みで返した。
その胡散臭い笑顔に、アティスの眼差しに浮かんだ疑惑の色が濃さを増す。
「疑り深い女だな。約束はちゃんと守るよ」
「だったら良いが……」
尚も疑いの眼差しを向けるアティスの背後、ルーナはただジッとたたずんでいた。
どれほどの時が過ぎたか。
アティスには永く、ネイには短く感じる時が過ぎ、庭園に変化が訪れる。
複数の人影が、帝国兵とその喧騒を引き連れて姿を見せた。
次の瞬間、ネイとアティスが反射的に身を低くし、それに習うように一呼吸遅れてルーナが緩慢に身を屈める。
「来たぞっ!」
言わずとも分かることをネイが口にすると、アティスが小さく頷く。
アティスの口許、待ちわびた変化に薄い笑みが浮かぶ。
庭園に現れた人影の数は、アティスが侵入時に目にしたときよりもその数を減らしていた。
「大したものだな。数は減ったようだが、よくここまで逃げられたもんだ」
アティスの考えを察したようにネイが言うと、侵入者を凝視していた二人の目が同時に見開かれた。
「……あれがレジスタンスか?」
ネイが独り言のように疑問を口にしたが、アティスがそれに答えることはない。
アティスも同じ疑問を抱いたからだ。
庭園に飛び出した侵入者は、皆が皆、まだ少年と言えるような容姿をしていた。
「トゥルー、早くっ!」
一人の少女が、帝国兵にクロスボウを向けた少年に呼びかける。
トゥルーと呼ばれた少年は、追って来る帝国兵に矢を放つと振り返った。
「リム、止まるなっ! 門まで走れえ!」
叫び、再びクロスボウから矢を放つ。
リムと呼ばれた少女は逡巡すると、下唇をきつく噛んだ。
「……皆、行くよ!」
他の者に声をかけ、踵を返して走り出そうとする。が、少女はすぐにその足を止めた。
逃がさんとし、先回りをする帝国兵に門への路を塞がれてしまったからだ。
「やべえよ、リム……」
気弱な声を漏らす仲間に、少女は顔を歪めて舌打ちを漏らす。
「今さら泣き言なんて聞きたくないっ! 覚悟を決めて来たんだろ!」
そう鋭く吐き捨てた少女に、帝国兵が声を荒げる。
「小僧共、観念しろ! 貴様らがしたことはガキの悪戯じゃ済まされんぞ!」
周囲を囲む帝国兵の顔に引きつった笑みが浮かぶ。
それは、相手を嘲るというよりも、やっと捕らえることが出来るという安堵の色の方が濃い。
少女がそんな帝国兵に視線を巡らせて言葉を発しようとしたとき、肩に手を置かれその言葉を飲み込んだ。
「トゥルー……」
振り返ると、追いついたトゥルーが険しい表情を浮かべていた。
トゥルーは一歩踏み出し、正面で路を塞ぐ帝国兵を真っ直ぐに見据えて鼻を鳴らすと、その後で取り囲んだ帝国兵にグルリと視線を巡らせる。
「俺はトゥルー! 帝国にこの地を奪われた、アーセンの民の代弁者だっ! アーセンの民でありながら、帝国軍に加担する己を恥と知れ!」
トゥルーが大声を張り上げると、それを耳にした帝国兵の顔色が変わった。
トゥルーはリムの肩に手を乗せると、さらに言葉を続ける。
「我が妹リムピッドと共に率いるは『牙ノ団』! 我等の命がここで尽きようとも、我等の行いは水面に投じた石の如く波紋を生み、必ず第二、第三の牙の団を生むだろう!」
鼻孔を大きくし、微かに上気した顔でトゥルーは胸を張る。
その隣、リムピッドも同じように胸を張る。
二人の様子は、散々練習した演技を完遂した演者のようだった。
「あの子供、言っていることは青臭いが、中々やるじゃないか」
西の棟の一室、様子を覗っていたネイが愉快そうに笑った。
「しかし終わったな。まだ少年とはいえ、謀反を起こしたことに違いは無い。ただでは済まんだろう」
「だな……」
ネイはアティスの言葉に短く同意すると、庭園に視線を巡らせた。
レジスタンスの少年たち、それを取り囲む帝国兵、噴水、馬小屋、花壇……。
そこで不意に視界の隅に何かの動きを捉え、その方向へ顔を向ける。
東の棟、四階の通路をゾロゾロと歩く人の群れ。
「アティス!」
ネイが呼びかけると、アティスは顔を向けた後にネイの視線を追った。
そして、その姿を目に留める。
「っ! 血路の騎士!」
その声にネイが口の端を上げた。
「ついに動いたな」
ネイの言葉にアティスが拳を握り締めて力強く頷く。
捕らえた少年たちに直接裁きを与えるためか、四階通路を歩く一団は、間違いなく庭園を目指しているのが分かった。
「あいつ等、庭園に姿を見せるつもりだぜ」
ネイが言うと、アティスの顔に歓喜と殺意の入り混じった笑みが浮かぶ。
その顔に、ネイは苦笑した。
「……じゃあ、おまえはここで張ってろよ」
ネイが言いながら窓際から離れると、アティスが訝しげな視線でネイを追う。
「どこに行く気だ?」
「おまえが黒騎士に近づきやすいようにしてやるのさ。それに――」
ネイは庭園で囲まれている少年たちに目を向けた。
「あのガキ共も役に立ったんだ。こっちも少しくらいは手を貸してやるさ」
「待て、ネイ! 余計なことに首を突っ込むな」
不快感を示すアティスに、ネイはうつむき低く笑う。
「心配するなよ。おまえにとっても悪いようにはしないさ」
「待てっ!」
部屋を出ようとするネイをアティスが追う。
それに合わせ、ルーナがアティスの後を追った。
しかし、ネイは待つこと無く部屋を出てしまい、アティスが歩み寄る前に扉は閉ざされる。
アティスは一度考える素振りを見せたが、仕方無しに窓際まで戻り再び身を屈めた。
その背後、ルーナも同じように再び身を屈める。
「ネイめ、一体何をする気だ……」
取りか囲んだ帝国兵が一向に襲って来ない。
そのことが、トゥルーたちに得も言われぬ威圧感を与えた。
トゥルーたち五人は円陣を組み、四方の帝国兵に警戒を向け続ける。
「おいトゥルー……。帝国兵どうして襲って来ないんだ?」
仲間の不安そうな声に、トゥルーは答えることなく喉を鳴らす。
そのとき、その緊張を切り裂くように、宿舎の正面入り口の扉が重々しく開かれた。
扉の開かれるその微かな音に、トゥルーたちよりも帝国兵の方が身を強張らせる。
木製の両扉を二人の兵士が開いて姿を見せると、すぐに二人は左右に分かれて路を空けた。
その直後、建物の中から姿を見せる漆黒の鎧姿。
乳白色の曲がりくねった角が、異形の怪物を印象付ける。
「あれが……血路の騎士……」
初めて間近で感じたその雰囲気に、トゥルーたちも息を飲んだ。
庭園に集まる者の視線を一身に受け、血路の騎士は悠然と歩を進める。
正面入り口の前に立ち並んでいた帝国兵が左右に分かれ、血路の騎士とトゥルーたちの間に障害は無くなった。
しかし、トゥルーたちはその威圧感に、誰一人として動くことが出来ない。
血路の騎士は尚も歩を進め、トゥルーたちに充分に近づきゆっくりと立ち止まる。
そして、一振りの剣を地に突き刺し、その柄に両手を乗せた。
鎧と同じく黒を主色とした両手持ちの大剣。
その剣身は、まるで血を吸ったかのように淡い朱色に染まっていた。
地に突き立ったその剣を目にし、リムピッドが震えた声で呟く。
「魂喰らい……」
その言葉の後に訪れる一瞬の静寂。
その場に居合わせた全ての者が、まるで凍りついたように誰一人として動かない。
堂々と立つ血路の騎士の表情は、顔まで覆った異形の兜のため、全く読み取ることが出来ない。
鉄で出来た無機質な顔が、血路の騎士の内面を表しているように思われ、さらなる畏怖を与える。
そんな静寂の中、一際高く上がった馬の嘶き。
その嘶きで、まるで呪縛が解かれたかのように我に返り、トゥルーは視線を走らせた。
庭園の一角にある馬小屋から、一頭の荒れ狂う馬が飛び出して来る。
続いて一頭、また一頭と、次々に馬が小屋の中から飛び出す。
そうして飛び出して来た馬の尾は――
「火だっ! 馬の尾に火が着けられてるぞ!」
誰かが叫んだ直後、馬小屋から激しい炎が立ち昇る。
「仲間がまだ潜んでいたのかっ!」
荒れ狂いながら向かって来る馬の群れに、帝国兵が慌てふためく。
しかし、そのことに一番驚いていたのはトゥルーたちだった。
「一体……」
呆然とするリムピッドの肩をトゥルーが引っ張る。
「行くぞリム! なんだか分からないが、チャンスには違いない」
リムピッドは頷くと、逃げ出す前に一度だけ燃え上がる馬小屋に目をやった。
そしてそれを目にする。
馬小屋の裏手から飛び出した、松明を持った人の影。
その人影が、一度だけリムピッドたちの方へと顔を向ける。
松明の灯りに照らされたその顔を、リムピッドはしっかりと眼に焼き付けた。
「ネイの仕業か……」
西の棟の一室で様子を伺っていたアティスが声を呟いた。
庭園に飛び出した馬の群れ。
それは混乱を生み、その混乱を治めようと帝国兵が散り散りになった。
アティスは素早く血路の騎士の位置を確認すると、その目をわずかに見開く。
血路の騎士は先ほどまでと変わぬ場所に立っていて、その周囲を帝国兵が守るように取り囲んでいた。
周囲を囲んでいる帝国兵は、血路の騎士と共にやって来た本土の者だ。
その者たちに慌てている様子は無い。
少数で来たことから考えても、一人一人が手練の戦士だというのも分かる。
しかし――
(いける! ヤツに届く!)
アティスは瞬時にそう判断した。
確実とは言えない。
それでも、ただ一太刀を浴びせることだけに集中すれば……。
己の身が震えたのが分かった。
決して恐怖のためではない。
それは歓喜の身震い。
口許には笑みさえ浮かぶ。
アティスは顎を引き標的を改めて見据える。
そして小さく頷くと、全てを振り払うように勢い良く立ち上がった……
つづく
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追記
ここからは、分かる人にしか分からない話。
今回登場した二人、トゥルーとリムピッドの名前の由来は、
トゥルー →truly →『真に』とかいう意味だそうです。
リムピッド→limpid→『澄んだ』とかいう意味だそうです。