79章 風の如く
月明かりの下、複数の人影が庭園を移動する。
それを一人の兵士が窓から見下ろし、眉をひそめて首を捻った。
「なんだ、あいつらは……」
忍び込むにはあまりに無防備な移動に、呟きながら思わず笑み零れる。
「一騒動ありそうだな……が、ありがたい」
兵士はほくそ笑むと、足早に移動を開始した。
「さて、どうしたものか……」
門をくぐり、庭園に足を踏みれたアティスが一人呟く。
騒ぎらしい騒ぎはまだ起きてはいない。
先に入った複数の人影も確認出来ない。
(騒ぎを起こされる前に、宿舎には入っておきたいが……)
視線を巡らせ、宿舎の外観を素早く観察する。
幾つかの棟に別れているようだが、基本的には一つ繋がりの建物となっているようだった。
それを確認すると向かって左、西側に見える窓を目標にし、身を低くして走り出す。
植え込みを飛び越え、転がりながら壁際に身を寄せると、片膝を突いて周囲に視線を配った。
誰かに見られた様子は無い。
そっと首を伸ばし、窓から室内の様子を伺う。
これといった人影は見当たらなかった。
確認が済むと手早くフードを脱ぎ、脱いだフードを窓へと充てがう。
そしてもう一度周囲の気配に気を配った後、フードの上から窓に肘打ちを放った。
肘打ちに耐え切れず、割れた窓が多少派手な音を立てて室内へと落ちる。
アティスは再び身を低くし、充分な間を取った。
「……」
窓の割れた音に気付かれた様子は無い。
次に、窓に残ったガラスを丁寧に取り除くと、そこから腕を入れて開錠し、転がるように室内に身を入れた。
「……」
そこで一息つき、今後の展開について思案する。
まず、目的の部屋がどこにあるかが問題だったが、残念ながらそれを知る術は今のところ無い。
かと言って、悠長にここで誰かが来るのを待っているわけにもいかなかった。
先に侵入した者たちが騒ぎを起こすのは良いが、それがあまりに早いと自分も近づけなくなる恐れがある。
やはり、多少危険でも自分から動くしかないと考えたとき、扉の向こうに慌しい気配を感じた。
苛立たしげに舌打ちを一つ。
「もう見つかったのか。使えないヤツらだ」
不満を口にすると、アティスは扉に近づき堂々と外へ出た。
「賊が出た! 東の棟に十人弱だ!」
「なに? 西の棟に一人だって聞いたぞ?」
錯綜した情報が混乱の度合いを物語っている。
「ええい! 本土から将軍殿が来ているときに!」
髭の男が苛立たしげに床を踏み鳴らすと、一人の兵士が冷静な声を上げた。
「その将軍殿が来ているからじゃないのか?」
「なにい? 貴様、上官に向かって何だその口の利き方は!」
髭の男が襟元を掴み上げると、兵士は両手を軽く上げて茶化すような笑みを浮かべる。
「ん? 新入りか?」
「いや、臨時で配属されたんでね」
兵士が小首を傾げると、髭の男は目を細めて鼻を鳴らす。
「元の配属先の上官は誰だ?」
「そんなことより……良いのかい? 賊は、将軍殿を狙っているんじゃないのか?」
「なにい?」
髭の男は憎々しげに顔を歪めると、掴んだ襟元を荒々しく離す。
「良いだろう。貴様の処分は後でしてやる! よし、おまえたち――」
言いながら他の部下を見やる。
「これはチャンスでもあるぞ。我々の隊が、将軍殿の前で賊を捕らえて見せるのだ!」
意気揚揚として拳を振るわせる髭の男に、部下がおずおずと上目遣いに申し出る。
「西と東、どちらの棟に向かいますか?」
「う〜む……東だ! 人数が多い方が手柄になる! 行くぞ!」
勢いよく扉を開ける髭の男に、部下たちは辟易とした様子で肩を落とした。
部屋に残った一人の兵士。
「兵士っていうのも大変な仕事だな」
笑いを噛み殺すと、他の兵士とは逆―――西の棟へと向かった。
「いたぞ!」
通路の角を曲がり、姿を現した兵士が叫び声を上げる。
その声を聞き、後に続いて姿を見せる五人の兵士。
アティスはその数を瞬時に把握すると、通路の広さを瞬時に目測した。
「三回……」
歩みを止めることなく呟くと、フードを翻して拳先突剣を表に晒す。
槍を構えて駆け寄ってくる六人の兵士。
アティスは一度足を止めて静かに息を吐き出すと、兵士たちに向かって走り出した。
向かって来るアティスに驚き、先頭の兵が慌てて踏み止まり槍を突き出す。
アティスは、その槍を相手の懐に潜り込むようにして躱すと、身を低くしたまま横をすり抜けた。
続く二本の槍も身体を回転させて躱し、その二人の間も同じように素早くすり抜ける。
三人を抜き去ったところで一度足を止め、身を起こすとブンディ・ダガーを軽く振り払う。
と、同時にアティスの背後、三人の兵士がバタリと倒れた。
残った三人の兵士は、仲間がすれ違いざまに倒されたのを目にし、槍を構えたまま後退りを始めた。
その姿にアティスが冷笑を浮かべる。
「温いな。この通路の幅は狭い。同時に攻撃を仕掛けられるのは三人までだ。三人がバラバラに槍を突き出しても、私を仕留めることは出来ないぞ?」
アティスの挑発に、三人の後退がピタリと止まった。
「くっ! 女が生意気な口を利くな!」
「その女に恐れを抱いているのは誰だ?」
一人が腰を低く構えると、他の二人も覚悟を決めて腰を落とす。
その決意の表れに、アティスが小さく頷く。
「それでいい」
そのアティスの言動に怒りを露にし、三人が同時に地を蹴った。
三本の槍がアティスに襲い掛かる。が、アティスは三人の意表を突く行動に出た。
同時に突き出された槍を躱すのでもなく、また向かって行くのでもない。
窓を突き破り、建物の外へと飛び出した。
三本槍は虚しく空を突き、取り残された三人が顔を見合わせる。
唖然とする三人。しかし、すぐに我に返ると兵士の一人が窓に駆けより、割れた窓から顔を出した。
アティスの行方を探るべく、視線を周囲に走らせようとした瞬間、その視界に紅い火花が散った。
窓から顔を出した兵士の真下、地に伏せていたアティスのブンディ・ダガーが、隙だらけの喉元に突き刺さる。
窓枠にもたれかかるように膝を突いた兵士の姿に、残った二人が驚愕する。
その直後、間髪入れずに窓の割れる音が再び響く。
二人は慌ててその音の方向へと顔を向けた。
外に出たはずのアティスが、一つ先の窓を突き破って建物の中へと舞い戻る。
そこからは、二人の兵士に何も成す術は無かった。
一気に距離を詰めて来るアティスに対し、槍を向ける時間すらない。
いとも容易く一人が倒れると、残った一人の喉にブンディ・ダガーの切先を突きつけられる。
戦意を完全に喪失し、槍を捨てて両手を上げた兵士にアティスは無感情な視線を向けた。
その視線に、兵士は小刻みに震えながらゆっくりと両膝を突く。
「新兵か?」
アティスが静かに問うと、膝を突いた兵士が首を小さく縦に振る。
「数で勝っていても、狭い場所で戦っては意味が無い。先の三人が倒された時点で、腕の差は明らかだ。おまえたちは挑発に乗らず、距離を保って救援を待つべきだったな」
突然にアティスが部下を指導するように語り出し、兵士は困惑の表情を浮かべた。
しかし、アティスはそんな兵士の様子に構わず、淡々と言葉を続ける。
「三人では仕留められなくとも、それを何度も繰り返せばいずれは体力と共に気力も尽きる。……学んだか?」
兵士は口を半開きにし、アティスの顔を見上げた。
最後の言葉が、自分に対しての問い掛けだと理解することに時間が掛かった。
「学んだか?」
もう一度静かに問われると、今度は何回も首を縦に振って見せる。
「よし。では、次は私が学ぶ番だ。血路の騎士……ヤツの居場所を教えろ」
そう言うと、アティスは突きつけたブンディ・ダガーに軽く力を込めた。
東の棟へ向かう兵士の群れの中、流れに逆らうように西の棟へ向かう一人の兵士。
その兵士は人の合間を縫うように進み、止まること無く駆け抜けた。
その足が、大広間まで辿り着いたところでピタリと止まる。
「あれは……」
大広間の階段。踊り場にフードを纏った人物の姿を見た。
風に乗ったようにフードをなびかせ、無駄の無い動きで二階へと駆け上っていく姿。
男は慌てて階段下まで駆けより、階上を覗き見た。
大広間は二階の天井までが吹き抜けとなっている。
しかし、すでにフードを纏った人物の姿は見えない。
「……」
そのまま後を追うか逡巡すると、西の棟の方から聞こえる人の声を耳に拾った。
もう一度階上を覗き、舌打ちをするとその声の方向へと駆け出す。
西の棟へ向かう通路を直進し、角を折れたところでその光景を見た。
血を流して倒れる五人の兵士。
その傍ら、四つん這いになり、涙ながらに倒れた兵士に声をかける男の姿があった。
「おいっ!」
駆けより声をかけると、涙を流した男はビクリと肩を揺らし、ゆっくりと顔を向けてくる。
その男の横に膝を突き、刻みに震える肩へそっと手を置いた。
「一体何があった?」
「女が……女が……。何なんだよあの女! 簡単に殺しやがって! ハンスは……ハンスは子供が生まれたばかりだったのに……。トマスは幼馴染だったのに……。くそぅ! 間単に殺しやがって……」
語尾は聞き取れぬほどの涙声で掠れていた。
「……どんな女だった?」
「褐色の……女だ」
くぐもった声で答え、男はガックリと肩を落として涙を零した。
「その女はどこに向かったんだ?」
「将軍の居場所を……」
「将軍? ……今日来た『黒騎士』だな?」
男が鼻を啜りながらコクリと頷く。
「場所はどこだ!」
「東の棟……四階……」
それを聞き、兵士は小さく舌打ちをして立ち上がった。
しかしすぐには去らず、涙を流す男を一度見下ろす。
男は動くことも出来ず、うな垂れたまま啜り泣いている。
「……残念だったな」
兵士は男にそう声をかけ、踵を返すと来た路を駆け戻った。
「な、何だおまえは!」
三階まで一気に駆け上ったアティス。
それと鉢合わせになり、顔を突き合せる形となった兵士が上擦った声を上げた。
「誰か……」
兵士がさらに声を上げようとしたところで、アティスが素早くブンディ・ダガーを突き立てる。
兵士は驚いたように目を見開き、口を魚のように動かしながらゆっくりと膝を突いた。
が、そこでその姿を後続の兵士に見られてしまう。
「おい、こっちにいるぞ!」
叫び声。その声を聞きつけ、兵士が蟻のように集まってくる。
階段を挟んだ左右の通路、四階に通ずる階段、その数は三十人程度。
三方から取り囲まれ、アティスは階段を下へと戻るか逡巡した。
「……」
戻ったところで東の棟へ向かうには、どちらにせよ兵士の群れを越えなければならない。
従って、導き出した解答は――強行突破。
それを遂行するため、三方を睨みつけながらゆっくりとブンディ・ダガーを構えた。
その動きに、取り囲んだ兵士がガチャリと槍を構え直す。
「観念しろ! この人数相手に何が出来る!」
兵士の一人が叫ぶ。と、同時にアティスが動いた。
四階へ上る階段。そこに立った兵士の喉元をブンディ・ダガーで斬りつける。
そのまま兵士の持った槍を奪うと、槍の柄でさらに奥の兵士の腹部を突いた。
腹部を突かれて兵士の身体が前のめりになると、アティスは槍を手放し、その手で兵士の頭を手前に引く。
通路に立った兵士が槍を突こうとしたが、階段から転げ落ちた兵士が壁となり、アティスにその切先が届くことはなかった。
その時間の喪失が致命的となり、ブンディ・ダガーが喉元に突き刺さる。
アティスは続けて一人、二人と流れるように仕留め、途端にその場に混乱が渦巻いた。
「こいつ、速いぞ!」
「狭い場所で槍は不利だっ! サーベルだ、サーベルを抜けっ!」
「階段を塞げ! 下に逃がすなっ!」
怒号が飛び交い、アティスを仕留めようと躍起になる。
それに反し、アティスは冷静に一人、また一人と近づく兵士を斬り伏せていった。
が、次第にアティスと兵士たちの距離が詰まっていく。
「くっ!」
アティスの左腕を、兵士のサーベルが掠めた。
痺れるような痛みが二の腕に走る。
「よしっ! 続けえ!」
さらに勢いづく兵士に、アティスの整った顔がわずかに歪む。
チラリと斬りつけられた左腕に視線を落とした。
その気の緩みに乗じ、兵士が一歩踏み込みサーベルを振付ける。
アティスの肩口を目掛けて襲い掛かる冷たい刃。
確実に捉えた―――そう思われた瞬間、猛然と階段を駆け上がってきた一人の兵士が、風の如くアティスの前へと飛び込んだ。
突然飛び込んで来た一人の兵士。
手にするのは大振りのナイフ。
そのナイフの峰、凹凸の付いた形がサーベルの刃をがっちりと受け止めた。
帝国兵が侵入者を救う――その不自然な構図に、その場の時間が一瞬止まる。
ナイフを持った兵士がその手首をわずかに捻ると、受け止めたサーベルが軽々と折れた。
その音に、止まっていた時間が再び動き出す。
アティスに背を向け、ナイフ構える兵士。
その兵士がアティスに向けて、顔を向けることなく言葉を発する。
「ずいぶん忙しそうだな」
その声にアティスが目を見開いた。
「おまえ……。こんな所で何をしている!」
アティスが言葉に、ナイフを構えた兵士が肩越しに横顔を向けた。
アティスと同じ褐色の肌。その顔は――
「そりゃあ、こっちの台詞だ」
呆れたように、ネイが苦笑して見せた……
つづく
前回からの間、投票をクリックしてくれた2名の方、大変ありがとうございます。
最近、自分的に更新が早い方だと思います。
次回も早く……と、思いますが、一応5日後ぐらいを目標にがんばります!
どうぞよろしく〜(2/23)
 




