77章 漆黒
噴水の水が照りつける陽の光を不規則に反射する。
その噴水の傍らに置かれたベンチに腰掛け、手を日よけ代わりにそっと頭上を仰ぎ見る人物が一人。
眩い輝きを放つ太陽。その太陽に憎々しげに舌打ちをすると、その口から不満の声が漏れる。
「ネイのやつめ、人を何日待たせるつもりだ」
苛立ちを主張するように組んだ足を小刻みに動かし、あらゆる者を呪うような視線を周囲に走らせた。
行き交う兵士の群れ。それが暑苦しさをさらに増加させ、擦れ合う金属音が神経を逆撫でする。
「この陽射しが強い中で、重装備とは恐れ入る。あの装備の中はかなりの悪臭だろうな」
一人ブツブツと呟きながら、その臭いを嗅いだかのように顔をしかめて鼻を摘んだ。
その格好のまま、再び呪詛のような不満を口にしていると、突然に名を呼ばる。
「せんせ、ルー先生」
「ん?」
声の方向にルートリッジは鼻を摘んだまま顔を向けた。
視線の先、栗色の髪を短く切り揃えた女がクスクスと笑っている。
「なんだクレアか……。買い出しか?」
クレアと呼ばれた女は笑いを噛み殺しながら頷いた。
「買い出しならビエリにでも手伝わせれば良かっただろうに」
「お客さんにそんなこと頼めないですよ」
クレアが笑うと、ルートリッジが首を傾げて低く唸る。
「我々のような状況は、『客』ではなく『居候』と言うんじゃないのか?」
真顔で言ったルートリッジに、クレアはカラカラと澄んだ笑い声を上げた。
「待ち人は現れず……ですか?」
笑顔を浮かべながら小首を傾げるクレアに、ルートリッジは目を閉じて肩をすくめて応える。
その様子にクレアは微笑みながら数回頷き、手にした籠を持ち上げると軽く振って見せた。
「じゃあ店に戻りましょう。そろそろお昼ですから」
「もうそんな時刻か? どうりで陽が高いわけだ……。よし、戻るとしよう」
言い終えると同時に、ルートリッジは子供のようにベンチから跳ね下り、クレアの両手に下がった籠に視線を落とした。
「荷物を片方持とう」
ルートリッジが申し出ると、クレアは視線を上下させて複雑な笑みを浮かべる。
ルートリッジの小柄な身体。身の丈はクレアの肩ほどしかない。
「……いえ、結構ですよ。いつも酒樽を運んでいる腕は、そんなにヤワじゃありません」
クレアが丁重に断ると、ルートリッジが顎をわずかに上げてジロリと睨みつける。
「今、微妙な『間』があったぞ。この身体じゃあ持てないとでも思っているのか? ……貸してみろ」
ムっとした表情で手を差し出すルートリッジに、クレアは笑いながら慌てて首を左右に振った。
「なんだあ? 卵が全部割れてるぜ」
袋を覗き込み、ギーが素っ頓狂な声を上げる。
そんなギーに、ルートリッジは視線を合わせることなく小さく鼻を鳴らした。
「ちょっと落としただけだ。まあ、今から使うところだったんだから、割る手間がちょうど省けた」
ルートリッジがサラリと答えると、赤毛の男は怪訝そうに片眉を上げ、再び袋を覗き込む。
「今から使うって……これ全部かよ。どれだけ卵が好きなんだ?」
「うるさい男だな。文句を言うならおまえは食うな! 居候の分際で」
「なっ……居候はあんたも同じだろ!自分の家みたいに言うな!」
身を乗り出して反論すると、うんざりとした表情のアティスがギーを押し退け冷たい視線を向ける。
「赤毛、騒ぐな。耳障りだ」
「あ、赤毛ぇ? このっ!」
アティスは言い返そうとするギーを無視し、ゆっくりとルートリッジに向き直った。
「ルー、来なかったようですね」
小声で不平を漏らすギーを尻目に、ルートリッジに静かに問いかける。
それに応え、ルートリッジは緩くかぶりを振った。
「ネイのヤツは本当に無事戻れたのだろうか」
頬杖を突いてタメ息混じりに言ったルートリッジに、アティスは小さく首を横に振った。
分からない、という意思表示に、ルートリッジが再び長いタメ息を漏らす。
「予想よりもだいぶ遅れているぞ。もし無事に戻れなかったのなら、この街に長居をしても無駄ではないか?」
「……アウウ……」
『無事に戻れなかった』という部分が引っかかったのか、ビエリが批難の呻き声を漏らした。
大きな身体を出来る限りに小さくし、それでも視線には精一杯の反抗を示す。
「心配するなよ。ヤツなら大丈夫さ」
まるでビエリを援護するようにギーが言った。
その意外な状況にルートリッジは目を丸くし、ギーの顔を観察するようにまじまじと見やる。
「なんだよ?」
「いや、なに……。おまえがネイを擁護するのが意外だったのでな……」
率直なルートリッジの感想に、ギーは顔を背けて唇を突き出した。
「別にあいつを庇っているわけじゃないぜ。ただ……まがりなりにも『元盗賊ギルド』の人間だ。国境を越えるくらいワケ無いさ」
当然のように言ってのけたギーの意見に、ルートリッジは考え込むように低く唸った。
「なるほどな。では、なぜ遅れているのか……」
「さあね。デカい荷物でも持っているんじゃないのか?」
言いながら、ギーは自分の冗談がさも愉快だというように低く笑った。
そんなギーに、三人が白い目を向ける。
「昼飯が出来上がるのは遅れそうだな」
欠伸をつきながらギーが独り言のように呟いた。
一階の酒場から聞こえてくる男の声。
帝国兵の隊長だという男は、昼時になると必ず昼食を取りに一階の酒場に現れた。
そして、その男のダミ声が今日も二階まで響いてくる。
「しかし毎日々よく懲りもせずに足を運ぶものだ。酒場なのだから夜来れば良いものを……」
ルートリッジが言うと、ギーが薄笑いを浮かべる。
「あの髭のオッさんは、よほど店主を気に入っているんだろうよ。夜来たら他の客もいるだろ? ましてや常連のほとんどは帝国兵だぜ。口説いている姿なんて見られたくないだろうよ」
低く笑うギーに、ルートリッジがさらに顔を歪ませる。
「毎日あのダミ声を聞かされちゃたまらん。しかも、話の内容が戦場での自身の武功ときたもんだ」
毒づくルートリッジにギーが声を上げて笑う。
「そうでもしないと、誰も気付いてくれない程度の武功なんだろうよ。どの世界も一緒さ。無能なヤツほど偉そうに語る」
「自分が見えていない……ということだな」
言葉を継いだルートリッジに、ギーがニヤリと笑って頷く。
「しかし、あの男も役に立っています」
それまで壁際に立ち、目を閉じながら腕を組んでいたアティスが静かに口を開いた。
「ほお〜……」
ルートリッジが興味深げな視線を向けると、アティスは静かに壁から背を離す。
「あの男は、ご丁寧に帝国兵の情報を流していく」
アティスが言うとルートリッジは愉快そうに笑み浮かべ、緩くかぶりを振った。
「無能だからこそ役に立っている……ということか。皮肉な話だ。しかし、この状況が続くとクレアに迷惑が掛からないとも限らんな」
部屋の空気が重くなりかける。
ネイがどうなったか確認が出来ない以上、いくら帝国兵の動きが分かってもどうすることも出来ない。
しかし、そんな空気を払い除けるように、ビエリの腹が食料を求めて大きな鳴き声を上げた。
「……ビエリよ、おまえの腹は空気を読まんな」
「アウウ……]
苦笑交じりにルートリッジに言われ、ビエリは頬を赤らめうつむいた。
「―――というわけで、それらしい人は捕まってないらしいわ」
紅茶を啜りながら得意げにクレアが言うと、ルートリッジとアティスが顔を見合わせる。
「なあクレアよ、協力してくれるのはありがたいのだが、何も無理に情報を集めなくても良いのだぞ」
クレアは目をしばたかせると、合点がいったように頷き笑い声を上げた。
「大丈夫、貴方たちが疑われるようなヘマはしないわ」
「いや、そういうわけではないのだが……」
ルートリッジは頭を掻き、アティスに救いを求める目を向ける。
アティスは小さく頷くと、真っ直ぐにクレアの顔を見据えた。
その真剣な眼差しに、クレアも笑いを止めて顎を引く。
「残念ながら、我々は帝国兵に歓迎される存在ではない。もし何かあったとき、匿っていただけならシラを切れるかもしれんが、情報を集めていたとなれば別だ。……ただでは済まん」
脅すように言われてクレアの表情が一瞬強張ったが、その表情もすぐに和らぐ。
「大丈夫よ。あの髭の隊長さんが気付くわけがないわ」
「そういう素人判断が一番危険なんだよなあ……。情報収集っていうのは、案外神経を遣うものだぜ。誰が知りたがっていたか、相手に印象を残しちゃいけない」
ギーが口を挟むと、クレアは子供のように口を尖らせてうつむいた。
「悪いが、赤毛の言うことはもっともだ。そのことで我々に害が及べば、結果的に自分自身が危険な目に遭う」
「……」
淡々とした口調でアティスに言われ、黙り込むクレアにルートリッジがタメ息をついた。
「親切心で協力してくれているのに、何も二人で寄ってたかって否定することは無いだろう?」
自分がこの話題を持ち出したことを都合良く忘れ、ルートリッジが平然と二人を責める。
その変わり身の早さに、ギーは顔を背けると思い切りその顔をしかめた。
「ルーの言っていることも分かるが、自分から訊き出す行為は危険すぎる。今後は止めてもらいたい」
鋭いアティスの視線がクレアに突き刺さる。
「……はい。分かりました」
拗ねた子供のようにうつむきながら返事をすると、その隣でビエリも居心地が悪そうに身を小さくしてうつむく。
傍目から見れば、ビエリも一緒に叱られているような光景に、ルートリッジが苦笑した。
「さあ、私はまた噴水に戻るぞ」
ルートリッジが腰を上げると、アティスも一緒に立ち上がり扉の前まで見送る。
「ルー、申し訳ありません」
「元帝国兵のおまえが街中をうろつくわけにもいくまい。ビエリじゃ目立ち過ぎるしな。結果、私が行くしかないということだ」
そう言って肩をすくめると、アティスが再び謝罪の言葉を口にする。
それにルートリッジは微笑んで応え、アティスの肩を軽く叩いた。
「気にするな。この部屋でボーっと待っているよりはマシだ」
街中が朱色に染まる刻、欠伸が一つ漏れる。
「今日も現れずか……」
諦め、ルートリッジがベンチから腰を浮かそうとしたとき、周囲を行き交う帝国兵に変化があった。
何やら慌しい動きを見せる始める。
その慌しさは次第に増し、まるで奇襲を喰らった野営地さながらとなった。
それはこの街、サイホンに滞在してから初めて目にする光景だ。
「ネイのヤツが捕まったか……?」
様子を伺うように背筋を一杯に伸ばし、キョロキョロと顔を巡らせる。
しかし、眺めているだけで状況が分かるはずもなく、ルートリッジは近くの花屋へと足を向けた。
花屋の店先では、一人の娘が花束を片手に不安げに兵士たちの様子を伺っていた。
「ちょっと良いか」
「あっ……いらっしゃい」
ルートリッジが声をかけると、娘は途端に笑顔を作り小さく頭を下げる。
「いや、客じゃないのだ。一体何事かと思ってな」
ルートリッジが背後の兵士を親指で指し示すと、娘は小首を傾げた後に数回頷いた。
「ああ、兵隊さんたちのことですか?」
ルートリッジが軽く頷く。
「私も良く分からないんですよ。なんか気味が悪いですよね」
「そうか……」
「あっ!」
不意に娘が声を上げ、ルートリッジが目を丸くする。
「なんだ? どうした?」
ルートリッジが怪訝そうに訊ねると、娘は答えること無く慌てて店の奥に引っ込んでしまう。
置き去りにされたルートリッジが呆気に取られていると、店の中から娘がヒョコリと顔を見せる。
「お客さん! 早く隠れた方が良いですよ! 魂、抜かれちゃいますよ」
「なんだと?」
冗談のような娘の言葉に間の抜けた声を漏らした。が、娘の表情は真剣そのものだ。
意味が理解出来ず、ルートリッジは一度首を捻ると周囲に視線を巡らせる。
先ほどまでいた街の人間の姿はすっかり見えなくなっていた。
目に入るのは緊張した面持ちの兵士だけだ。
「どけっ! 道を空けろ」
一人の兵士がルートリッジの肩を押し、その行為に憤慨して喰ってかかろうとするが、兵士はすぐに背を向けてしまう。
直立不動の姿勢でいる兵士の背に、ルートリッジは文句を言いかけてその言葉を飲み込んだ。
ルートリッジの目に映ったのは、ズラリと立ち並ぶ帝国兵。
「な、なんだ?」
この街で全ての兵士が集まったのではないか? そう思わせるほどの人数が横一列に並び、通りの左右に人の壁を造る。
兵士たちは一様に背筋を伸ばし、ただ正面に顔を向けていた。
「一体何なんだ?」
もう一度疑問を口にした直後、兵士が造る壁の隙間から、風になびく旗がチラリと見えた。
ルートリッジは花屋に置いてあった樽に慌てて登り、その方向に目を凝らす。
街の門まで続いていると思わせる兵士の壁。その壁の間を、馬に跨り闊歩する一団が目に留まった。
まだ距離があるが、風になびく旗が良く見える。
王冠の左右に剣と盾のデザイン―――間違いなくヴァイセン帝国本隊の旗印。
「帝国軍本隊だと……」
ルートリッジは呟きながらさらに目を凝らす。
徐々に近付いて来る一団。数は五十人程度。さほどの数ではない。
その一団の中、一際目立つ人物に自然目がいく。
黒馬に跨り、馬の色よりもさらに濃い、漆黒の鎧が全身を覆う。
街の中だというのに兜を脱ぐことすらしていない。
そしてその兜の横、耳の辺りから乳白色の巨大な角のような物が伸びており、その形はヤギの角を連想させた。
微かに曲線のついたその角が、まるで首を守るように胸元に向かって伸びている。
「血路の騎士……」
ルートリッジがゴクリと唾を飲み込む。
その脳裏に、異形の怪物の呼び名―――『悪魔』という言葉が浮かんだ……
つづく
ええ、前回から間、投票をクリックしてくれた6名の方、大変ありがとうございます。
今回、感激なことが二つありました!
まず一つは、なんと!この話を読んでくれている『女性』の方がいらっしゃいました!拍手っ!!
この話、『男臭いから女の子は読まない』とバッサリ言われたことがあるので驚きました。
と、同時に、気を失うかと思うほど感激した……(涙)
他の作品と間違っているのでは?と疑ったほどです(苦笑)
二つ目に嬉しかったのは、たまたま『レクイエム』という言葉を検索しましたら、なんと!この作品をブログで書いてくれていた方がいらっしゃいました!
二行程度?だったのですが、大変嬉しかったです!
断りも無く名前を出して良いのか分からないため、ブログの名前は伏せますが……。
上記の御二人方、改めて感謝いたします。
次回も5日後ぐらいの更新を目標にがんばります。
どうぞよろしく〜