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76章  迷いの夜

 カツカツと軽快な足音を通路に響かせる。

 待ちわびた物を手に、その気分を示すように二段飛びに階段を下りていった。

 階段を一階まで一気に下り、すぐに左に折れる。

 目指す建物までその軽快な足取りは続くと思われたが、それを阻止するように背後から呼び止める声がした。

 軽い足取りが、まるで足枷を着けられたかのようにピタリと止まった。

「よう、ネイ。ずいぶんと上機嫌だな」

 その聞き覚えのある不愉快な声に、ネイは小さくタメ息をついてゆっくりと振り返った。

「ファムート……。おまえに会うまでは上機嫌だったよ」

 ファムートは真っ赤な林檎を片手に、親しげに手を上げて笑みを浮かべる。

 だが、その笑みは親しい人間に向けられるものとは明らかに違っていた。

 まとわりつくような不愉快な視線。

 ファムートは歩み寄ると、林檎を噛りながらネイの手にした物に視線を落とした。

 その物が何であるか悟ると、つまらなそうに鼻を鳴らして再び林檎に噛りつく。

「あの学者の証明書か? ずいぶん時間が掛かったな」

「おまえには関係無い」

 ネイが素っ気無く答えると、ファムートは気を悪くしたふうでもなく、神経を逆撫でするような笑みを向けてくる。

「おいおい、人が友好的な態度を取っているのに、その態度はないんじゃないか?」

 ネイはうつむき、小さく鼻で笑うと首筋を掻いた。

 その様子に、ファムートの笑みがより陰険なものへと変わる。

「ネイ、またアーセンに行くんだろ? おまえが留守の間、あの銀髪の嬢ちゃんの面倒は俺が見ていてやろうか?」

 その台詞に、うつむいたネイの眉がピクリと反応し、表情を消した顔を静かに上げる。

「ファムート、友好的に俺から一つ質問をしていいか?」

 挑発を聞き流したネイに、ファムートは鼻白んだように鼻を鳴らして目を細めた。

「……なんだ? 言ってみろよ」

「おまえはどうしてズラタンの許から去ったんだ?」

「そんなことか」

 うつむき、小指で耳を掻きながらファムートは低く笑った。

「大した理由なんざねえよ。俺は雇われていただけだ。期間が終われば自由さ」

 くだらないことを聞くな、と言わんばかりに顎を上げてネイを見下ろす。

 ネイはそんなファムートと目を合わせることなく小さく笑った。

 その微かな笑い声には、ファムートを嘲る気配があった。

「――だな」

「なにい?」

 呟いたネイの言葉に、ファムートが眉を寄せる。

「必死だな……。そう言ったんだ」

「どういう意味だ?」

 ネイは薄い笑みを浮かべ、ファムートを見据えた。

「アシムに居所を知られたからな。ズラタンの館程度じゃ、さぞ心許こころもとなかったことだろうよ」

「なんだと?」

 ファムートの顔が醜く歪む。

 ただでさえ蛇を連想させるその顔が、目を見開いたことにより、さらにその気配を増す。

「狩人に狙われた小心な兎……と言ったところか」

 そう言ってネイが再び小さく笑うと、ファムートはネイの首許を荒々しく掴み上げた。

 狂気を含んだ視線が、ネイの顔を舐めるように下から上へと移動する。

「あまり図に乗るなよ。城内で『不慮の事故』に遭うことだってあるんだぜ」

「おいおい、そんなに怒るなよ。小さな器がより小さく見えるぜ」

「てめぇ……」

 薄い笑みを浮かべるネイ。頬の肉を微かに痙攣けいれんさせるファムート。

 二人の視線が間近で交差する。

 が、ファームトは突き放さすようにネイを押し退けると、平静を取り戻した顔で背を向けた。

 そしてネイを一度だけ睨み、何事も無かったかのようにその場を去って行く。

「ファムート!」

 その背に向かいネイが声を上げると、ファムートが足を止めて肩越しに振り返った。

 そんなファムートにネイは矢を射る真似をして見せ、ニヤリと笑った。

 

 

 

「あんたって、人を怒らせる趣味でもあるの?」

 肩を怒らせたファムートを見送るネイに、背後から呆れたような声が投げかけられる。

 振り返ったネイはその人物に目を留めると小首を傾げた。

「なんだセティ……いたのか」

「いたのか、じゃないわよ」

 セティは緩くかぶりを振りながらネイの横に立つと、遠くなったファムートの背に顔を向けた。

「まったく……。ここに残る方の身になって欲しいわ」

 じっとりとした目でネイを睨むと、ネイは笑みを浮かべて肩をすくめて見せる。

「ああいうヤツはね、受け流すのが一番よ」

「……分かってるよ」

 ネイはそれだけ答えると、それ以上の説教は御免だ、と言わんばかりに手を振りながら足早に歩き出す。

 セティは大きくタメ息をつき、一度だけファムートを振り返ってネイの後を追った。

「証明書、届いたの?」

「……ああ」

「すぐ出るの?」

「……明日の朝にでも」

「ルーナには? 今度はちゃんと声をかけてから行くことね」

 ネイは一度立ち止まり、嫌そうな顔をセティに向けて再び足早に歩き出した。

 

 

 

 取っ手に手をかけ、扉を開けようとしたところでセティが押さえつけた。

「なんだよ?」

「ノックくらいしなさいよ。夜中にレディの部屋に入るのよ」

「……」

 ネイは少し考える素振りを見せたが、鼻を鳴らすとセティを押し退けて扉を開けた。

「ちょっと……」

 背中越しにセティの苦情が聞こえるが、ネイは気にせずにズカズカと足を踏み入れる。

 ルーナの姿が見えないのを確認すると、迷うことなく今度は寝室への扉を開ける。

 レースの垂れ下がったベッドの中、ルーナは上半身を起こして顔を向けていた。

 もちろん、その表情に驚いた様子はない。

「よお、起きてたのか」

「ドカドカと入って来られたら、寝てても起きるわよ」

 背後で聞こえたセティの皮肉を聞き流す。

「それ……寝巻きか?」

 ルーナの上半身、身に付けた肌着が純白の光沢を放っている。

 無表情なせいか、銀色の髪のせいか、白という色があまりに似合わないことにネイは苦笑した。

「俺はまた出かけることになった。その前に寄ったんだ」

 ネイが言うと一呼吸置き、ルーナがベッドから下りて鏡台へと向かう。

「?」

 ネイが怪訝そうに見守る中、ルーナは鏡台に置いてあった真っ赤なリボンを手にし、ゆっくりと振り返るとネイの正面に歩み寄った。

「……」

 ルーナの視線はジッとネイの胸のあたりに置かれている。

「なんだ?」

 ネイは首を傾げたが、直後にその視線が自分を通り過ぎていることに気付き、ネイは道を空けるように横に逸れた。

 ネイの考えが当たったらしく、ルーナはネイが身体をどかすとさらに前に進んだ。

 ネイの前をすり抜け、セティに向かい顔を上げる。

「……なに? あたし?」

 セティが戸惑っていると、ルーナは手にしたリボンを差し出した。

「へ? 結ぶの?」

 セティがリボンを受け取り首を傾げると、ルーナが背を向ける。

「……」

 そのままジッとしているルーナにセティはもう一度首を傾げたが、銀髪を束ねるときつく結んでやる。

 微かに波打つ柔らかな銀髪が、頭の後ろで綺麗に一本でまとまった。

 それが済むとルーナは再びネイの前を素通りし、寝室に戻ると躊躇ためらうことなく寝巻きを脱ぎ始めた。

「あんたは後ろを向いてなさいよ」

 セティに言われ、ネイは小さく舌打ちするとルーナに背を向けた。

「おい、まだ寝ていて良いんだぞ。ちょっと寄っただけだ」

 ネイが背を向けながら声をかけるが、当然返事はなく、返事に代わるように服の擦れる音だけが聞こえてくる。

 タメ息をついてネイが待つこと数刻、不意に腰の辺りをクイクイと引かれた。

 ネイが振り返ると、黒い服に着替え終えたルーナがジッと見上げている。

 左手にはかごを持っていた。

「どうしたんだ、そんな格好で……」

「……」

 

 

 

「で、どうするの?」

「どうするも何も、連れて行けるわけないだろ!」

 小声で怒鳴りつけ、ネイはそっと視線を移した。

 物言わぬルーナが、籠を膝に乗せて椅子に腰掛けている。

 そんなルーナの様子にネイはガックリと肩を落とし、タメ息と共にうな垂れた。

「あのなあ、出かけるのは明日だぞ。とりあえず部屋に戻れよ」

 ネイが言い聞かせるが、ルーナはピクリとも反応を示さない。

「一度置き去りにされてるからねえ。学習したんじゃない?」

 からかうように言ったセティを、ジロリと横目で睨みつける。

「書物と埃だらけのこんな部屋で一晩過ごすこともないだろ? おまえのベッドの方がよほど寝心地が良いぞ?」

「……」

「なあ、明日の朝にもう一度話し合おうぜ。ちゃんと発つ前に声をかけるから。なっ? 信用しろよ」

「……」

 説得に応じる様子の無いルーナに、セティが笑い声を上げた。

「信用しろなんて言葉を盗賊が言ってもねえ。『悪い占いと盗賊の言うことは信じるな』って言われるくらいよ」

「……勝手にそんな格言を作るな」

「あら、本当に在る格言よ。信じなさいよ……ってあたしが言ったら信じる?」

 そう言ってニヤニヤと笑うセティに、ネイは顔をしかめて舌を打ち鳴らした。

「じゃあ、あたしは自分の部屋で休むとするわ」

「おい!待て!こいつを一緒に連れて行けよ」

 腰を上げたセティに言うが、セティはヒラヒラと手を振った。

「知らないわよ。まあ、一晩かけて説得しなさい」

「ちょっと待て!」

 追いすがるように手を伸ばすが、セティはヒラリと躱して笑い声を上げた。

 そして素早く扉を開けると顔だけを覗かせてくる。

「じゃあね〜」

 満面の笑みを浮かべ、手を振った直後に扉はバタリと閉められた。

 扉が閉まるとネイは力無く腕を落とし、深いタメ息と共にかぶりを振った。

「ったく……」

 ルーナはうつむき加減でジッとしている。

 その様子は、固い意思を感じるようでもあった……。

 

 

 

 ベッドに寝かせて毛布をかけてやると、ルーナの顔を見下ろして呟く。

「変なところで器用なヤツだな」

 ルーナは姿勢を変えぬまま、いつの間にか器用に椅子で寝入っていた。

 目を閉じていることに気付き、顔の前で手を振ってみてやっと寝ていることが分かった。

 ベッドの上、ルーナの陶器のような白い肌が、月明かりで淡い蒼に見える。

 その顔を見て、不意に教会本部の屋上、隔離されたような場所で出会った少女の顔が浮かんだ。

 聖女と言われ、その蒼き瞳の色以外はルーナと全く同じ顔を持った少女……。

(あいつは、俺を待っていたような口ぶりだった)

 胸の内に疑問が浮かび上がった。

「キューエルの仕業だろ? 一体俺に何をさせたいんだ?」

 寝入るルーナに呟くように問いかける。

 しかし、ルーナが目を開けて答えるわけもなく、静寂が部屋を包む。

「聖女様は、おまえと違って口を利いたし笑って見せたぜ」

 苦笑しながら皮肉を言い、ベッドをそっと離れた。

 椅子に腰を下ろし、テーブルに置かれた明日の荷物の中を探る。

 そして一冊の書物を取り出す。

 復活祭が書かれているであろう歴史書。

 すでに使われなくなった古代の文字で書かれているため、ネイに読み解くことは出来ない。

 それでも書物を何気なくパラパラとめくっていく。

 所々に描かれた、決して精密とは言えない挿絵。その一つに目が止まる。

 横からの視点で描かれた構図。

 左側には無数の人が描かれ、右側にはそれと対面するように一人の人物が描かれている。

 左に描かれた人々は祈りを捧げるように膝を突き、右に描かれた人物は両腕を上げていた。

 上げられた腕の先には杖らしき物が描かれ、その格好は女性のようにも見える。

 何より目を引いたのはその人物の背後、最も右側の場所に、まるで天に昇るように朱色の巨大な鳥らしきものが描かれていた。

「これが聖女……か?」

 両腕を上げた女性に視線を落とし、ボソリと呟く。

(聖女は鳥でも呼び出すのかよ)

 胡散臭げに書物を見下ろし、タメ息と共にさらにページをめくっていく。

 が、不意に肘がテーブルの荷物に当たり、ドサリと床に落ちた。

 その拍子に、ルーナの手篭が置かれた椅子が揺れ、籠の中身が床に散る。

 ネイがタメ息をついてそれらを拾おうとしたとき、伸ばされた手がピタリと止まり、その目が大きく見開かれる。

 ネイの荷物とルーナの籠。そこから飛び出した二つの小石。

 その二つの小石が、引き合うように寄り添って落ちていた。

 まるで離れること拒否するようなその光景に、ネイは思わず息を飲んだ。

「……」

 二つの小石を拾い身を起こす。

 手に収められた二つの小石を見下ろし、緩くかぶりを振った。

「そんなバカな……」

 自分の考えに苦笑し、二つの小石をテーブルの上に並べた。

 落ちた荷物をそのままに、再び椅子に腰を下ろして腕を組む。

「……」

 二つの小石をしばらく睨むように見据え、ベッドのルーナに視線を移した。

「馬鹿げてる。あいつを連れて帝国領土なんて……」

 自分の意志を再確認するように口に出して呟き、再びテーブルの上に視線を戻す。

「馬鹿げてるさ……」

 寄り添う二つの小石。

 蝋燭の灯りに照らされたその影が、ネイの心のように揺れていた……

 

 

 

 つづく

 

 


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